激震

 窓枠に腰掛けながらの不自然な体勢での仮眠だったが、思いの外眠れていたらしく、睡眠不足による倦怠感は皆無だった。自らの図太さに自嘲の笑みを浮かべていると、もう一つの窓枠で眠っているのは、自らを久遠と名乗ったカリアティード――或いは、シメールと言っていたか――だ。鉄格子に寄り添う形で瞳を閉じた姿は、囚人服から覗ける脚の艶めかさもあり、ルードの方が顔を熱くなる。


「ん、んん……」


 洩れる寝息は起きている彼女の声より高く鈴鳴る可憐さがあり、平素の彼女が自らを張り詰めさせている証左であるようにみえた。思えば、久遠の口調は安定していない。ぶっきらぼうな口調で喋りながらも時折見せる柔らかさは、彼女が元から持ち合わせている性質故だろうか。何が久遠をそうさせたのかは預かり知らぬが、この牢を棲家とされている現状が関係するのは間違いなかろう。


 眠りに入っていると少々おさなく見えるカリアティードの姿に釘付けになりながら、寝起きの微睡みを愉しんでいた惑星潜りサルベージャーは、しかし卒然と、何らかの重量物が軋む轟震に飛び起こされた。


「ッ、な、なな、何だ⁉」


 青天の霹靂とは大げさだろうが、それでも大気を裂き地を揺るがした悲鳴の正体を見ようと、窓の……鉄格子の向こうを見やれば、菌糸類の伸びゆく様を連想させる、立ち込める塵煙が街の向こうにあった。その黒灰色こくかいしょくの噴煙を透かして、なお黎く染める翳が見える。巨大な翳は、濛々たる翳映しの妙か、人のようでもあり四足獣のようでもある。しかし、どちらにせよ硬質さを感じさせる陰翳には変わりはない。


 一首二腕二脚の五体、同程度の身長と、中身はともかく外見上は人類とほぼ変わりないカリアティードと一線を画するのは、その規模だ。石造りの街を俯瞰する翳は、どう少なく見積もっても――或いは錯覚を疑っても人の体軀の限界を超過している。


「久遠、あれっ……は……」


 問いかけの勢いは次第に萎んで潰えて消えた。塵芥の煙に潜む黎い翳の正体に思い当たったからではない。むしろ、問おうとした相手の状態に勢いを殺されたからだ。大気を伝播してきた轟音は牢獄内をも駆け巡り、反射して響き渡ったというのに久遠はなおも寝入っていたのだ。倖せに弛んだ表情は、煙幕の主が齎したと思われる地震と雷轟が如き絶叫を認識しているとは思えず、当然に眠りから醒める気配を見せない。


「……マジかよ」


 冬眠中の熊さえ覚醒めるであろう災禍の鐘に、ただ漫然と眠りの世界を揺蕩っている姿を豪胆と賛するべきなのか鈍感と蔑するべきなのか、ルードには判断がつかなかった。


 久遠の眠る窓枠へ駆け寄ってみると、足元で這い回っていた小動物も突如の激震にあなぐらの奥へと退散したらしく、欠けた瓦礫以外には脚を掬うものはない。一応単なる眠りではなく、重篤な状態であるか確かめる――とはいえ、カリアティードが銀河人類に於ける尋常な反応をするかは疑問だが――と、どうやら本当に眠っているらしい。


「おい、久遠? 起きて。寝てる場合じゃないっての!」

「……ん、………………え?」


 揺すって名を連呼すると、流石に眠りが深い彼女でも意識を取り戻しかけ――とはいえ、眠りとうつつしきいを移ろっていたが、それも次第に晴れ、同時に眠たげに重く沈んでいた眼が瞠られ……。


「! き……」

「き?」

「きゃあああああああああああ!」


 鼓膜を貫くほどの鋭い高音は、顔を真赤にした久遠の喉から発せられたものだ。高速で聴神経を駆け抜けた衝撃は先程の轟音と勝るとも劣らず、むしろ鼓膜への痛打という点では軍配が上がっていた。


「痛ッ~~!」


 咄嗟に耳を抑えるも時既に遅し。絶叫の残滓はなおも耳中に留まり、神経に谺している。強烈な一撃を浴びたルードが蹌踉けた隙に畳み掛ける久遠。


「馬鹿ッ、エッチ、変態!」


 牢内の床に散らばった瓦礫や石を――本気ではないのだろうが――投擲してくる。幸いにも、眼を閉じながらであるため、一つたりともルードには当たっていないが、それも狭い牢獄では時間の問題だ。


「ま、待て……待っててば! 外! 外!」


 飛んでくる石塊を必死に躱しながら、惑星潜りサルベージャーは鉄格子の向こうへ注意を促す。幼兒おさなごが駄々をこねるように投擲を繰り返していた久遠だが、次第に冷静さを取り戻してきたか――というよりも、むしろ眼が醒めてきたというべきか、ルードの切羽詰まった訴えが耳に入ってきたようだ。


「きゃあああ…………え? 外?」


 ひとしきり暴れて落ち着いた久遠だが、本当に激震を感じていなかったとみえ、きょとんとした表情を浮かべていた。


「え? そもそも、なんで私、こんなことしている? 別に寝顔を見られたからって減るものでもないのに……」


 相貌はまだ紅みを帯びていたものの、囚われのカリアティードは自身の行動の意味が本人にもわからなかったらしく、しきりに首を傾げている。ルードから見れば、過剰でこそあるが至極理解できなくもない行動――実際、フィクションではよく見られる反応だ――ではあるのだが、そこが自分自身で解せぬらしく久遠は口中で何やらごち続けていた。


「いや、それより外! 外が大変なんだよッ!」


 ルードが指差す窓の向こうへと視線を移す久遠。茸雲が如き灰煙昇る石造りの街には今、断続的に地を打つ重い音が遠雷の響きをみせていた。


「何、あれ……」


 窓枠へと駆け寄り、鉄格子へと顔を寄せる。ルードも同じように窓枠を覗き込むと、塵埃の彼方に巨大な陰翳が動く様子が垣間見えた。ヒトなのか四足獣なのか、やはり翳の形状は判別が困難である。ところどころ鋭角的な闇影は自然物にない、何処か人工物を想起させられた。


「あれ、ヤバくない?」

「…………」


 惑星潜りサルベージャーの声は虚しく黙殺された。金属と金属が擦過する如き唸りが曖昧な煙幕から放たれる。陰翳の主の、これが咆哮なのか。ルードはいつか観た、古典的巨大生物映画を思い出していた。映画に顕れた規格外の巨大生物と比較すると規模こそ劣るが、画面の向こうに息づく存在感は同等か若しくはそれ以上だ。


「…………石像機」


 絶句していた久遠が、張り詰めた弓弦が弾かれる声で呟いた。それが顕す名は、カリアティードにとって忌むべき存在。過ぎ去った〝魔の時代〟の覇者にして、今や〝柱の時代〟だというのに甦った悪しき敵……そして、生命の水を吐露する樋嘴。


「あれが、石像機」


 カリアティードの血を求めて前時代の住人が動くたびに、破砕の歌が大気を撃って枯れてゆこうとする街が沈む。石造りの街が崩れ落ちていく。轟音と共に蘇生した石像機が曇天の元、高らかに覇を謳う。窓枠を額として、鉄格子が遠近の妙と生々しさを演出する、幻想的な〝生きた絵画〟の世界がここにはあった。


「おい、出せッ! ここから私を出せ!」


 不可思議な光景に少々心を奪われていた間に、牢の同居人であるカリアティードは窓枠から離れ、廊下側の鉄格子を握りしめていた。彼女の叫びに真剣味に加えて焦燥の成分が含まれているのは、単に石像機と戦う役目を担っているという〝与えられた責務〟のだけではないように感じられる。


「早く出せッ!」


 苛立ちから鉄格子を蹴る久遠だが、相当頑丈なのか、または何か仕掛けがあるのか、鉄格子には微苦ともしない揺るがなさがあった。


 しかし、これだけ久遠が叫んでも、彼女の声が響き渡るのみで変化がないのは、監守が逃げ出しているのやもしれぬ。孤獨に谺する久遠の訴えは応える者がいないだけに痛切だ。


「……⁉」


 常闇の洞の底より響く音色――甲高く音階を上げていく独特の駆動音は惑星潜りサルベージャーも幾度か知ったものだ。そう、以前……ここではない何処か――彼が知る音景色は惑星イラストリアス4のものではなく、銀河人類由来の……。


 乾いた粉砕音は床面が抉られ、粉塵へと化していく悲鳴か。次第に近づく度に一連の聲となって、音量を上げていく。そして。


「MBッ!」


 蒼い装甲、縦に並んだ二連の複眼カメラアイ、狂暴さを形とした爪牙クロウバイトと胸部衝角ラム――ヒト型の肉食昆虫を思わせる機械兵。それは、神門が駆る小烏丸と同じ設計思想と持ち、しかし決定的に異なるマニピュレータ・バイク。MBについては門外漢ではあるルードだが、そんな彼にでも匂い立つ強烈な暴力の気配はわかった。無感情であるはずの機械兵に冷徹さと残虐性が透けて見えるのは、これを操縦席に跨るライダーのものか、それとも暴力の権化たれと設計された仕様がさせるものか。


 後に語られる柱の時代の終焉。変革の日は、ここから始まった。

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