本能

「戻ったか」


 石造りの街の郊外。小高い丘に立つ白い翳があった。灰を孕んだ風に軍用外套マントを靡かせた翳の正体は、狼我ランウォと呼ばれている白い鉄仮面の男だ。その表情はおろか、四肢に到るまで白い装甲に覆われて、皮膚を垣間見せることはない。


 つぶやきに応えるように、彼の背後から蒼いMBが近づいてくる。狼我ランウォの背後、一メートルに満たぬ際で停車したMB。白い装甲に前進を包んでいたとしても、勢いのままに蹴散らされた土砂、そして引き連れた大気の圧は生理反射的に慄かせるには充分なのだが、狼我ランウォは微動だにしない。


 MBの胸部装甲が展開し、中から顕れたライダーがヘッドギア付きのヘルメットを脱ぐ。密閉空間から開放された金髪が、それ自体が一個の生物であるかの如くざわめき逆立った。我以外皆我下といった傲岸不遜な笑みを浮かべた被造子デザイナーズチャイルドの少年は、呃逆あくぎゃくの気配を味方にまで発散させる。


「へえ、全然怯まないんだね」

「…………」


 ジラ・ハドゥの挑発と戯言はいつものことだが、今回は度が過ぎていた。


「それほどまでに龍神神門が気になるか?」

「……!」


 嘲弄を含んだ狼我ランウォの一言がよほど癪に障ったとみえ、ジラの薄ら笑いが消え、底冷えのする瞳で睨みつけてきた。匂う暴力の瘴気が爆薬の如くに立ち込め、激発の時を待ち受ける。


「僕と、一戦交えるかい?」

「……楽しめそうだな」


 天空――塵級機械ナノマシンの雲に潜んでいた震狼フェンリルが主から滲み出た暴虐の成分に反応し、降下を始める。一方、地上――悪魔の申し子からは兇悪な瘴気が横溢し、その向こうから神々しくも禍々しい異形が顕在化しようとしている。


 止める者アリアステラがいない灰色渦舞く空の下、二人の人鬼が殺傷遊戯に耽けようと――狼我ランウォ震狼フェンリルが、ジラ・ハドゥの〝光却のサウゼンタイル〟が、互いを喰らおうと空間に作用して重圧を生む。この場に人がいたのならば、彼らを中心として光景がひずみ蠢く様を見ただろう。たしてそれは錯覚か、現実か。


 黎い――いつしか可視化していた瘴気がジラを包み、内側から怪物の姿を映し出す。ヒト型でありながらもいびつなそれは、人が攻殻を纏っているようにも、蝦蛄しゃこが人の姿を持った存在であるようにも見えた。


 頭蓋は人じみていたが、眼窩から鼻骨までを碧眼を思わせる器官が埋めており、顎部の剥き出しとなった乱杭歯らんくいばが殺戮の予感に嗤っているように思える。痩身と言える上半身に生えているのは退化した短く細い腕、それに夥しい数の荊棘けいきょくだ。胸部中心にはくんを纏ったジラが結跏趺坐けっかふざした人像状の器官があった。肥大した大腿部、その下へと眼を移すと、二本ずつ逆関節に伸びる脛骨けいこつじみた節、そして節から甲殻類のはさみに似た巨大な湾曲した爪が生えている。当然、そんな脚では體軀たいくを支えられないとみえ、その証左か恠神かいじんは自身を地に依らさず、重力を裏切って浮遊していた。


 〝光却のサウゼンタイル〟――。触れるもの総てを光燼こうじんと化すメイサーの操り手。ジラ・ハドゥが現在の宍叢ししむらである。後頭部から伸びた尾状の器官は背なを越え、體軀たいくさえも越え、その終端に雄々しく生えた荊棘けいきょくが太古の拷問器具を想起させる。


 刺々しい殺戮本能を形とした棘皮きょくひに包まれた恠神かいじん――〝光却のサウゼンタイル〟はひかりではなく棘皮そんざいりょくで森羅と万象を、そして目前に存在する〝敵〟を視る。


 震狼フェンリル――。機動兵器の操縦にかけては無尽の才能を誇るジラでさえ、鞍を委ねぬ荒。主とは真逆の漆黒の体色と蒼白き妖光を纏う機動兵器は、天から舞い降りて狼我ランウォの後ろに控えていた。


 尋常の――戦闘機兵と見せて、未だ銀河人類史に於いて前例の無い永刧神軀エターナルフレーム、その実験機プロトタイプの一つである。その関節部には割断面が見られず、装甲がその実、連続した皮膚であることを示唆していた。この特殊な関節部は、震狼フェンリル独特の躯体に依る。変異した塵級機械ナノマシンで構成された躯体は、ともすれば機械細胞の共喰いは言うに及ばず、躯体を超えて周囲に拡散し暴走する危険性さえ孕んでいる。


 なるほど、この稀代の怪物機体モンスターマシンを禦することができるのは狼我ランウォのみだろう。


 臨界にまで高まる爆発の瞬間。刹那に燃え広がり、周囲は灰燼どころか地に焼痕が穿たれるは想像に難くない。


 黎い震狼フェンリルが餓狼の本性を剥き出しにし、ヒト型を離れ、青褪めた光焔を燻らせる顎門あぎとを開く。〝光却のサウゼンタイル〟が碧き魔性の光却レイサーの煌めきを、一ツ目に似た、眼窩の発振器官に籠もらせて弓弦を引き絞る。


 豪雷の如き地響きが世界を横断する。ともすれば、火薬庫に火種を投ずるきっかけは、しかし予想に反して、両者への水入りとなった。


「……チッ。白けるなァ」


 恠神かいじんの姿が夢幻の如く掻き消え、逆立った金髪の少年が再び姿を顕した。


 片や空間そのものに作用する衝撃、片や物質化の域にまで達する高濃度の光の槍。彼らが衝突した場合、その規模は丘から望む石造りの街を巻き込み、焦土どころか消滅せしめるのは確実とさえ言えた。


 今の〝光却のサウゼンタイル〟を超越する宍叢ししむらを求めるジラ、そして狼我ランウォが求めるはメルドリッサからの命である〝龍神神門の神化〟と――〝塔〟。両者の目的をたすには、衝突は避けなければならぬ――少なくとも今は……。


「残念だけど、今回も君と遊べないみたいだね。次があれば……るよ?」

「俺は、構わん」


 腰だめの構えを解いた狼我ランウォは事もなげにつぶやくと、水を入れた地響きの方角へと視線を飛ばした。


 蠢く黎い翳が土煙に浮かび上がっている。カリアティードという機械人種を狩る、絶対強者。宍叢ししむらへの宿命を背負わされた神の楽園へのきざはしを築く、運命の奴隷。石像機――または樋嘴ひはしと呼ばれる、この惑星に棲息する機械猛獣。


 渦巻く磨り硝子の空、風の色は未だ灰。巡る時代の変遷は、二度目は悲劇、三度目は喜劇という。ならば、〝灰の時代〟を超え〝魔の時代〟を越し〝柱の時代〟を継ぐ時代は、たして悲劇なのか喜劇なのか、全く異なるのか。

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