章之弎
現王
「お帰りなさいませ、オリヴェイラ様」
王都に帰還した途端、何度聞いたのか分からぬ異口同音の挨拶に、些か飽食気味になる。
オリヴェイラにとって、王族という地位は縛り以外の何かに感じたことはない。王位継承権も剥奪されて久しい。ならば、市井に解き放ってくれればよいものの、なんのしがらみか、オリヴェイラは未だ王族としての人生を強要されている。それに息苦しさを感じているのも事実だが、だからといって、我慢できぬかと問われれば否と応える。
当然といえば当然か、生まれた時からこの
王位継承権も権能も無き王族に価値があるのかは彼自身思い当たるものはないが、王族として求められているものがあるのならば、尊き身分の者としての責任は果たさなければならぬ。そういう考えに到れる程度には、彼は王族であると言えた。
彼は今、王宮の廊下を歩いていた。左側に立ち並ぶクラシッカルな意匠の窓ガラスを透かした砂漠の太陽光線が、廊下に敷かれている深紅に染まった
上質な
両端に等間隔に配置された石像は、バラージ王国の神々とその使いの姿を模したものだ。バラージの神々は更なる高位の存在に祈っているかのように、指を組んで瞑目している。彼らは誰に対し、誰がために祈っているのだろうか。
「お帰りなさいませ、オリヴェイラ様……」
「ありがとう」
またも耳に届く、変わらぬ文句に
王族とはいえ、継承権も既にない者に取りいったところで価値はあまりに低く、そして、そうした背景のもと育ったオリヴェイラはあからさまな媚びへつらいに対して敏感である。主の気に障らぬよう、それでいて礼を失せぬように心がけている使用人たちは却って優秀だろう。それを理解しているからこそ、幾度も重ねられる同じ挨拶で辟易とした気分を隠して、感謝を返しているのだ。
歩を進めていくと、やがて人の数が減ってきた。最上階にほど近いこの階層、奥には国王との謁見の間があり、彼は今、帰還の挨拶に伺おうとしていた。現国王キルシュタイン。先王ヴァレンタインの実弟にして、オリヴェイラから見れば叔父にあたる。
順当な王位継承権の順位で語るならばオリヴェイラが国王を嗣いでいたはずなのだが、それを裏切ってキルシュタインが王座に
元々、バラージ王国の建国の祖は、強力な権能である『王権・勅令』を以って幾度もの戦を制し、彼に連なる血族はそれを研磨、練成して受け継いだ背景がある。いわば、王族の象徴に等しい権能だ。太古には『王権・勅令』をもたずに、別の異能をもっていた王族は除名されていたという。
近代化が進み、権能の有無からくる差別の払拭と社会の成熟を目指す現在のバラージ王国においては、王族からの除名は免れたものの継承権の順位を落とされた。
その後、ほどなくして先王の死去により、代行権を与えられた第一継承者たるキルシュタインが正式に王に就いたのは、先王崩御からちょうど一年後のことだった。そのあまりにも性急に過ぎるスピード戴冠に、かねてから謎の多かった先王ヴァレンタインの死との関係を訝しがる者も少なくなく、そのセンセーショナルな話題から未だ定期的にゴシップ誌の類で取り沙汰される対象になっている。
一際豪奢な木製の扉より奥に進むと、白一色に染まった大広間に出た。床面に敷かれていた深紅の絨毯も、既に無い。伽藍の静けさに沈んでいる大広間は塵の一つすら許さない潔癖さで、等間隔に床と天を結んでいる石柱の寒々しさもあり、墓標のない集合墓地を連想させる。人の生存すら許さないような
先ほどまでとは打って変わり、和らげる
「帰ったか」
広い空間に己ただ一人と認識していたところに、横合いからかけられた予想外な声はオリヴェイラの身体を反射的に身構えさせた。
はたして、声の主は腕を組みながら石柱の陰から姿を現した。遍くこの世の総てを見下したような軽薄な笑みが貼り付いた男だ。着崩したスーツを自身は野生的と捉えているのだろうが、却って安酒場で女を口説いていそうな軽薄さに拍車をかけているのだが、そういった外見から受ける印象を、男が頭に巻いたバラージ王国の王冠とも言える白いズリーバンが否定している。白いズリーバンは王の証、すなわちこの男こそバラージ王国の今代の国王、キルシュタインその人だ。
「叔父上でしたか……」
オリヴェイラはその場に跪き、礼をする。
「オリヴェイラ、ただ今帰還いたしました」
「ああ、よくぞ戻った。無事を聞いて安心したぞ」
「いえ……。ご拝領頂きました任務も途中ではありますが、取り急ぎ無事を直にご報告したく拝謁賜り――」
「おう、そうか」
傲然たる態度をそのままに、キルシュタインは眉根を吊り上げる。
「じゃあ、今からでも任務に戻ってもらおうか」
あまりに常識外れな一言をさぞ当然のことのように言い放つキルシュタインに、流石にオリヴェイラが言い澱む。
「それは――……無論、極力拙速を心がけはしますが……準備等もあります。今すぐとはあまりに――」
「わーってる。冗談だ冗談。クソつまんねー奴だな」
面倒そうにオリヴェイラの言葉を打ち切ったキルシュタイン。二人には叔父と甥の関係どころか、赤の他人以上に隔絶した間が横たわっている。
腕組みを解いたキルシュタインから
「いいか? 俺は、暴竜ラリオウスを
「ええ、承知しています。近日中に必ず」
吐き捨てるように舌打ちをして、キルシュタインはこれ以上の会話を拒絶するように後ろを向くと、既に決定事項として甥に命じた。
「……二日後だ。運搬には別の部隊を派遣するが、戦闘はお前と子飼いの部下がやれ。以上だ」
二日――。今しがた王都に帰還した甥に対してとは思えぬ、あまりに無体な命令だ。
「…………ご尊命、拝領いたします」
憤懣を胸に秘めて、オリヴェイラは心中を苦渋に染めて承った。ある意味、キルシュタインが背中を見せていたのは幸いだったのかもしれぬ。表情を変えぬよう努めてはいたが、それでも心中から感情が横溢していたかもしれぬ。
「では、失礼致します」
既に己を一顧だにしない王に一礼し下がろうとしたオリヴェイラに、何かを思い出してか声がかかる。
「そうだ。忘れていた。
「! ご結婚なさるのですか?」
「政略以外の意味がない下らぬ儀式だ。どんな
三日後の夜――生死も定かではない荒獣の生け捕りを命じておきながら、その口で夜宴の参加を強要する。死ね、と言わんばかりの仕打ちである。だが、それでもオリヴェイラは堪え忍ぶ。
「ええ。謹んで臨席させていただきます」
そう言い残し、オリヴェイラは現王の
* * *
「かなりの強行軍だよなぁ、畜生!」
分厚いケモノオロシの刀身を肩に担いだサダルメリクが叫ぶのも無理は無い。オリヴェイラと神門と合流して肩の荷を下げたと思ったのも束の間、ラリオウスを捕獲する任務をその後の二日で行えという非常識なお達しだ。翌日に一日作業で装備を整え、本日砂漠の
「これ終わったら休暇ってのは間違いないのか?」
「――ああ。明日の夜宴が終われば、二日三日は空く。すまんが我慢してくれ」
オリヴェイラに申し訳なさげに言われては、サダルメリクも承服するしかない。
「じゃあ、あと二日。なんとか頑張りますか! なんといっても、新しい装備も調達できたしな。なんとかならーな!」
砂漠を歩くサダルメリクとカウスメディア、MBに乗る神門とオリヴェイラという構図は数日前の行軍と全く変わらないが、つぶさに見れば剣士の剣に加え、MBの装備に変化が認められる。
神門の乗るサイクロップスは
代わりに、オリヴェイラのオーデルクローネに銃火器が装備されている。両腕から両肩、腰部に至るまで銃身と弾倉を抱え込んだ姿は、轟牛ドブルの体毛の如き凄まじさで全身の
「なんか、僕だけ
その様子を再確認してか、カウスメディアがぽつりとこぼした。
確かに、剣を換えざるをえなかったサダルメリクをはじめとして、二台のMBが持つ武器も変化している中、カウスメディアだけが空手のままだ。元々、身に備わった
「なんか不公平感あるんですけどぉ?」
そんなことよりも、一人変わり映えしない事実の方が彼にとっては大事なようだ。
「俺としては、クソ重い剣担がないでいいんだから羨ましいんだが……よっ、と」
歩くにつれて肩からずれてきたとみえ、剣士はごちながら巨剣を担ぎ直した。神門が睨んでいた通り、ケモノオロシと聞いた巨剣は彼でさえも扱いづらい代物らしいが、その分、破壊力を約束されているのは明瞭だ。前回と同じ
「後方の運搬部隊は付いてきているのか?」
後方に控えているはずの部隊の姿が見えないことに懸念を抱いたらしく、サダルメリクが情報収集の担当も兼任していた神門へ話題を向ける。
「追跡はしてきているが、常に一定の距離を保っている。巻き添えを喰らいたくないんだろう」
運搬部隊のマーカーを確認すると、先ほどから地図上の距離は進んでいるものの、全く変わることない間隔が両者を隔てている。姿を隠しているのは、万一の場合の身の確保のためだろう。砂漠の食物連鎖の頂点であるラリオウスに見つかれば命の保証は無い。それを、砂漠の惑星に棲まう者は実感として心得ている。彼らも、ラリオウスの運搬など拒否できるものならばしているだろう。そう考えると、彼らが空蝉の術よろしく徹底して己の存在をひた隠しにしていることも頷ける。それに、オリヴェイラが銃火器の使用を見咎められる杞憂も無いわけだが……。
「大体、
彼らのそうした行動に、神門が浮かんだ疑問は尤もといえば尤もだろう。
「多分、知らないな。現王は俺を疎んじているようだからな」
オリヴェイラがぽつりと漏らした言葉が、神門を除く三人に重たくのしかかる。
「一体どういう……」
と、神門はレーダーが告げる、この場へ急速に接近する生物とおぼしき反応に身構えた。
「――来た」
或いは、それの来襲は僥倖だったのかもしれない。この横たわる空気の中では。戦っている時はそれを忘れることができる。それを言外に告げるように、彼らの戦闘状態への移行は速やかだった。
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