合流

 ひらりとオーデキュロープが、直前まで引きつけたドブルの突進をかわすと、それに岩壁に激突が円形に陥没した。巻き込まれた周りの岩肌が持ち上がり、花開いたようだ。


 撒き散らされた粉塵の花粉の向こうから、轟牛の体毛が無数の蛇のように蠢く様が影法師となってゆらめき、猛りに灯る眼だけが紗幕しゃまくを斬り裂く刃のように鮮明に見える。蒸気機関の如くに吹き出される荒い気炎が、大気に冷却されて白い雲となる。


 その、影法師に当たりをつけ、オリヴェイラは位置を変えつつ、アサルトライフルを斉射する。走りながらとはいえ、人の身から見れば標的はそれなりに大型だ。銃弾に貫かれた遮光幕の爆ぜた薄膜が、広がった風穴にその身を霧散させていく。


 はたして、姿を顕した轟牛はその体毛を多少血に濡らしていながらも、その戦意は萎えるどころかなおいきり立たせていた。


「~~~~~」


 咆哮。乱れ咲く塵芥ちりあくたの花弁も、身を包み込む粉塵の霧も、その声量だけでし退けるほどの苛烈な咆哮は、分厚くないとはいえ鉄の装甲に覆われた神門さえもおののくほどに洞穴を蹂躙した。洞穴の沈殿した大気をさざめかす音の暴力の影響を直接受けたオリヴェイラは、本能的に身体が麻痺したようだ。時間にして一瞬とはいえ、それは目敏い野生の獣には格好の隙だった。


 脆弱な人の仔をせせら笑うように生え揃った門歯を見せつけた轟牛は、横合いからそれを目撃した神門がそう意識した瞬間に地を蹴っていた。


 ――まずい。


 その様子に肝を冷やす意識と分かたれたかのように身体の反応は顕著だった。或いは、意識よりもそれは早かったのかもしれぬ。



 ほんの一刹那だけを切り取った写真のように、時を凍らせたように総てが無音のうちにまっていた。舞う塵は一つ一つすら意識できるほどに静止し、突進するドブルの足は地を蹴ったまま宙に固定されている。

 耳をつんざく咆哮に身をくぐもらせたオリヴェイラも水圧に囚われているように動きをやめている。そのまった景色を意識しつつも、神門は何故か戸惑うことはなかった。それが至極当然の現象であるかのように、意識は凪いだ湖面と等しく、彼は無我の域にいた。神門はただ無我の領域に立ったまま、無命むみょうの境で操縦桿を前へと倒した。



 奇妙な現象はそこで終焉を迎えた。音が蘇り、舞う塵埃が息を吹き返した。大気が流れ、生けるもの総てがその生命を取り戻し、時が過去もとから現在いまを隔てて未来さきへと流れゆく。


「ッ~~!?」


 轟牛が王子をその鉄針と化した体毛で磔刑へと罰する瞬間、辛うじて間に合ったオーデキュロープの膝がそれの横腹をしたたかに蹴った。幾らドブルの突撃が優れていようと、横合いからのMBの重量を載せたベクトルに抗しうる突破力は持ちあわせてはいない。


 到底間に合うと踏んでいたオーデキュロープの乱入に不意を打たれた格好のドブルは、苦痛に体躯をくねらせて、口から毒々しい碧の血の混じった涎を岩畳に撒いている。


 今に至るまで、轟牛は身に迫る脅威に対して硬質化した体毛を鎧にすることにより、己に振りかかる暴威の程を減衰させてきた。だが、完全に意識の埒外から受けた打撃に体毛の鎧を形成することなどできようはずもない。


 そもそもにおいて、オリヴェイラへの突進を阻止できる位置には、ほんの僅かにだが確実に遠かった神門に何ができたはずもない。いわば、人の反射速度を越えていなければ成し得ぬ、不可能攻撃。今になって、焦点が合わさった意識が我を意識し、神門は先の不可思議な現象に心を奪われた。


 ――なんだ、今のは? 時間が止まったかのような。


 話しに聞く、危機的状況に対する脳内分泌液で加速を促された意識が見せた、玉響たまゆらに刻まれたしきだったのであろうか。


 脳裏を圧迫しそうになった考えを振り払う。何を莫迦な。今は、一髪千鈞いっぱつせんびょうを引く修羅の巷。そんな答えが出るか否かも定かではない思考など、生還してからの贅沢だ。


 己を叱咤しつつ、カメラアイを通して網膜投影された色境を覗くと、身体を建て直し、揺れる意識を取り戻そうと頭を振っている轟牛が映った。

 ドブルが四肢を張り岩畳をしかと踏みしめた。次なる動きの前触れを認識した神門の心胆が、脊髄が氷が張り付く冷たさに凍える。獲物が発した危機に凍った匂いを嗅ぎ分けてか、轟牛の体毛が蠢いて鋭く研ぎ澄まされた複数の突撃鎗ランスへと変じた。


 ――回避! 間に合う? いや、間に合わねば! 速い…… 触れる――? 


 同時に、幾つもの疑問符と自答が浮かんでは消えていく。たわみに撓み、張り詰め、引き萎められた筋肉の緊張から開放される瞬発力は雷光のそれと同等だろう。とりわけ、人に反応しきれぬ速さでは。限界まで張った弓弦に嚆矢こうしが放たれ、それは影にも映さぬ速度で神門を貫き――。



 だが、それは開放されてこそのことわりだ。発火炎マズルフラッシュの怒号が連続して響き、ドブルを横薙ぎに打ちのめした。体毛の鎧の減衰を受けてなお、轟牛を横殴りにしたものの正体とは――。



 はたして、それは窮を脱したオリヴェイラが放った銃弾だ。ただし、彼が携行していたような人が持つ銃火器のものではない。


 体毛の防壁の向こうから打ちのめされた威力のほどに、赫怒に燃える轟牛の眼が睨んだ先には、かつて置き去りにされたMBの右腕部とそれに握られたMB用ライフルがある。銃口より硝煙をたなびかせているそれは、この戦域に昨晩仕掛けていた固定砲台だ。ライフルに搭載されているカメラアイを網膜投影フェイスガードと直接つなぎ、腕部を動かすことで狙いを定める仕組みだ。


「よっしゃ!」


 危ういところではあったが、オリヴェイラに救われた。だが、連射によりカートリッジに残された残弾は底をついたであろう。もう固定砲台としての用を成すことは不可能と考えるほかない。MBの火力を失ったオリヴェイラの頼みは、牽制に人間用の銃器のみとなった。


 ならば、自分が前に出てこちらに釘付けにさせるだけのこと。爆斬鉈ばくざんしゃ剣鉈けんなたとしてドブルへと斬りかかった。先ほどまでと同様、体毛が凍りついた滝の如くにかたまり、爆斬鉈ばくざんしゃの刃筋を微妙に狂わせる。


 ここにきて、誤魔化し誤魔化し組み上げたオーデキュロープのツケが回ってきた。程度の違いはあるにせよ、スクラップ同様のMB三台から組み上げたオーデキュロープの各部部品の信頼性は決して高いものではない。これが十全な状態の部品を用いていたのならば、轟牛の体毛に刃筋を立てることも可能であっただろうが、振るう爆斬鉈ばくざんしゃは神門の操作とは微妙なベクトルの狂いが存在し、その狂いが爆斬鉈ばくざんしゃ剣鉈けんなたとしての切れ味を鈍らせているのだ。


 爆斬鉈ばくざんしゃ鉈爪ひきがねを引けば、爆圧による加力で強引に断ち切ることも出来うるだろうが、既に弾倉には一発分の火薬しか残されていない。一発分しか残されていない今の状態では、確実に仕留められる状況を見定めねばならぬ。


 迫り来る鉄塊にも匹敵する暴威をいなしつつ、通過する一瞬に際どいバランスで横腹を蹴る。充分な打撃とはいえないまでも、ドブルの怒りを誘うには効果的だ。現に、時折襲いかかる銃弾にも、それを撃つ人間オリヴェイラにもなんら注意を払っていない。元々、人間サイズの銃弾など歯牙にもかけない荒獣だ。憤怒に盲目になれば、蟷螂とうろうの斧にすら満たぬ玩具になど、畢竟ひっきょう意識の外に自然と追いやられる。


 オリヴェイラの安全を確認すると、神門は爆斬鉈ばくざんしゃのみならず、蹴りや手刀、体当たりを織り交ぜて、轟牛と眼にも危険な剣舞を踏み始めた。刃筋が立たぬのならば、無闇に斬りかかるのは得策ではないと悟り、爆斬鉈ばくざんしゃは柄尻を槌に見立てて打ち下ろす。


 肩装甲からドブルにもたれつつ、無限軌道の助力を得て一個の鉄塊と化して突っ込んだ。だが、体当たりなら轟牛の望むところ。ドブルは意趣返しともとれるオーデキュロープの行動に屈辱を味わったのか、そのまま逆に押し返してきた。


 なんたる膂力りょりょくか。軽装甲とはいえそれなりに重量があるはずのMBを力任せに圧し戻しているのだ。地を噛んでいたはずの履帯がドブルに負け、空転を始める。


 このままでは薄い装甲を突破されると判断して、神門は左脚のブレーキステークを地面に打ち込み、右へと轟牛の突進を受け流した。胸部の増加装甲代わりの履帯が接触し、擦過音と共に千切れて吹き飛ぶも、オーデキュロープ自体はなんとかドブルの体躯から逃れることができた。ドブルが通過した後がわだちのようにえぐられ、その恐ろしい脚力のほどを雄弁に伝えてくる。


 ドブルが地面を蹄で軋ませながら止まった。距離が空いた……。轟牛は――眼前の鉄塊を文字通り全力で粉砕する腹なのだろう。足元を確かめているのか、それとも時機を伺っているのか、幾度も地面を前足で蹴っている。おそらく、次の攻撃は今までで最大の威力と最高の速力のものとなるに違いあるまい。至るところが軋み、機能不全を起こしている箇所も一つや二つではない、今のオーデキュロープにはたして回避できるのか――。


 ――致し方無いか。


 神門は賭けに出る覚悟を決めた。おそらく、次の一手は完全に避けうることは不可能に近い。

 ならば迎え撃ち、交差法で仕留める。


 攻撃に転じている際の意識こころの動きは、平素ならば自然に起こりうる衝撃に対する生態的反射による反発力を鈍らせる。その限りなく防御まもりに対して無防備な状態を狙い定める――それこそが交差法の極意。死地にあえて飛び込み、その先の生を拾う。生を拾うために、あえて死する。


 深く息を吐き、心身を充実させていく。まだ死ぬつもりはない――と言えば、彼の師は甘いと一喝しただろうか。だが、それは紛れもない神門の本心でもあった。


 刀身の照り返しがカメラアイを通して、神門の網膜を一瞬く。その向こうを透かし見れば、今にも飛び込んできそうな憤激もあらわな荒獣の姿……。オリヴェイラも神門の決意の色を肌で感じたのであろうか。援護の銃撃もいつしか途絶えていた。


 だが、襲いかかるもの、迎え撃つもの、両者の均衡を破ったのは不可視の槌の一撃だった。


「こいつは、痛ってーぞ!」


 声の方向を見れば、ドレープのパーカーを着た金髪碧眼の少年が、両手に挟んだ見えぬ重量物を頭上から振り下ろす。実際のところ、それは圧縮した大気を轟牛へと叩きつけるイメージをより強固にするための行動にすぎず、彼の手には一切の負荷もかかっていない。しかし、その行為パントマイムに込められた効果のほどは、意図を裏切らず覿面てきめんな力をもたらした。


 洞穴で温度を奪われた大気が収束し、水に浸された絵具同様に光線をにじませていた気圧のつちは明確なイメージに誘導されて、轟牛を頭上からさえつける。


「サダル!」


 少年の叫びに応じて、巨大な剣を肩に担いだ影が地を這うようにはしり出した。その巨剣は斧と剣を同化させたような形状をしており、切っ先が存在しない。柄部に渡る斧部がそのまま、無骨なまでに直線的な刀身へと続いている。まるで金属の板を柄だけくり抜いたような、素っ気ない意匠だ。影は白いフード付きローブを纏っていたが、獲物に喰らいつく獣の如き奔走にフードが剥がれ、細いコーンロウが風圧に棚引いた。


 目を奪われる暇もあらばこそ、見えぬ手に圧されて動きもままならぬドブルに接近すると、遠心力を乗せた一撃を見舞う。巨剣に断たれた空気が突風のいななきを響かせた。


 だが、流石は轟牛と仇名される荒獣種か。抑圧され身動きもままならぬ状態とはいえ、体毛はその限りではなかったとみえ、巨剣と身体が触れる数瞬前に体毛を硬質化させていた。


 衝突、同時に彼らを中心に同心円状に鏗然こうぜんと凄まじい音の波が発生し、それは洞穴内で反射して、さながら鐘の内側の騒々しさで鳴きわめく。乱反射の余韻で、耳鳴りにかかったかのように鼓膜を叩いている音は、断じて剣と生物の身体が接触したそれではなかった。


 大気からの弾圧に加えて、破断力は抑えたものの巨剣による打撃ヽヽは、荒獣といえども耐え切れるものではなかったらしい。四肢の張力が萎えていっているのか、轟牛の体躯がついに揺らめく。荒い鼻息も先ほどまでの力強さはなく、鬼火に燃えている瞳の光もせているのは明白だ。


 予期せぬ援軍によりもたらされた、千載一遇の時機。これを神門の戦士の本能が嗅ぎ分けぬわけがあろうか。身体に沁み込ませた操作は、今や意識するよりも正確にMBの動静をつかさどり、轟牛に止めを刺すべく爆斬鉈ばくざんしゃを振りかぶった。当然、その鉈爪ひきがねには指がかかっており、鎖に繋がれた猛獣の如く、開放のカタルシスを今か今かと待ち受けている。


 まさに紫電一閃、刃に触れた一切をすべからく二つに分かつべく、爆圧の助勢を受けて刀身が奔った。刃が発火炎マズルフラッシュを照り返し、紅い雷光の眩さを放つ。しかし、その軌道はあくまでも流麗で、薄闇に咲いた眩さも手伝って、目撃した総ての者の眼に灼きついた。充分な状態でないMBとは思えぬほどに、それは飛燕の跳ね上がる様にも似た、胸のすくような一太刀だった。


 抵抗を感じさせぬ鉈の軌道は、それ故に轟牛の身体を透過して映ったが、その疑惑を払拭するように刃の通った面より体躯の連続性が途絶えていく。煌めいた剣筋の鋭さに、破断面が自重でズレて分かたれているのだ。その、あまりに美事な業前は、斬られた当の轟牛ほんにんが悲鳴を上げるに至る前に完全に一刀の元に両断された。


 土煙を上げて、どぅと斃れた二分割のドブルは瞬く間に燐火へと変化していき、火の粉と同じように上昇しつつも大気に溶かされていった。



「いやいやいや、なんとか間に合って何よりだよ」


 或いは再び会えることはなかったかもしれぬというのに、カラカラと笑う金髪の少年――カウスメディアは離れ離れとなった時と変わらない、気安い態度のままだ。


「大事無いようで何よりだ」

「お互いにな」


 サダルメリクは肩の荷が下りたといった様子で無事を祝う。彼が拳を向けると、オリヴェイラは自分の拳をこつんと合わせた。


「あれ? このMB、もう使わないの?」


 装甲を展開し、オーデキュロープの操縦席から降りてきた神門を見て、カウスメディアが疑問の声を上げた。


「あー、元々、廃品利用したでっち上げだからなぁ。あれだけガシガシ戦ってたんだから限界だろうな」


 オーデキュロープを見上げて応じたオリヴェイラの後を、ヘルメットを脱いだ神門が引き継いだ。


「ああ。さっきのでもう腕も上がらない。じきに脚部も機能停止するだろう」


 それを聞いて、サダルメリクが「げっ」と顔を顰めた。「マジでギリギリだったんだな」


「ああ。……お陰で助かった」

「お?」


 ぶっきらぼうに感謝を口にした神門に、サダルメリクは笑みを浮かべた。


「初めてじゃないのか? 君がそんなことを言うなんて」

「そうか? ……お前が感謝されるようなことを普段していないだけじゃないのか?」

「ハッ、言うねぇ」


 呵々大笑してサダルメリクは外へつながる横穴を親指で指し示す。


「まあ、いつまでもこんなところ、いる理由もないだろ。早く帰ろうぜ」

「そうだな。家に帰るまでが遭難って言うしな」


 オリヴェイラがクールぶって先導して歩き始めるが、当然、逃がすカウスメディアではなかった。


「そんなの、初めて聞いたよ。誰だよ、そんなこと言った馬鹿王族」

「はぁぁぁぁ? 馬鹿王族って俺のことか?」

「さて? 『家に帰るまでが遭難』って言った人だよ? オリヴェイラくぅ~ん?」


 オリヴェイラとカウスメディアが、離れていた時間の埋め合わせをするかのように、いつも通りの下らないやりとりをする。


「馬鹿やってないで行くぞ」


 それに慣れたサダルメリクが巨剣を肩に担いで歩き出した。彼にしては珍しく剣が重そうな様子だ。一体、この巨剣、どれほどの重量を誇っているのだろうか。


「馬鹿? また馬鹿って言った?」


 馬鹿馬鹿しく思いながらも、たった数日間ご無沙汰していただけにすぎぬとはいえ、神門は二人の舌戦と呼ぶにもお粗末なじゃれ合いに呆れつつも多少の懐かしさを感じた。


「いいから行くぞ、馬鹿二人」


 そう言い放つと、神門もまたサダルメリクの後に従って、出口へと歩き出した。


「あ、また馬鹿ぁ?」

「あははは、馬鹿だねぇ……あれ? 僕も馬鹿なわけ?」

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