豪牛

 遠雷のような地響きが足元から伝わってくる。先程から、それは断続的にその振り幅を増してきている。おそらく、神門がドブルを誘っているのだろう。荒獣としては小型なドブルだが、持ち前の膂力りょりょくに関しては小型の域を遥かに越えているようだ。耳に届く花火の炸裂音に似た轟き、そして何より伝播してくる震動がそれを雄弁に物語っている。


 いよいよか、とアサルトライフルを腰だめに構え、岩陰から顔を覗かせる。もはや、耳を塞いでいても意味を成さないほどの音量に達してきた音響おとが、遠からずその発生源が姿を顕す呼び水となって、オリヴェイラのいる洞穴の広間に響き渡る。


 まずオーデキュロープが横穴から飛び出し、着地の衝撃を姿勢を低くして受け流した。それを追いかけて、全身を針まみれにした荒獣が猛然と突っ込んできた。


 闘牛士の鮮やかさでそれから身を躱したオーデキュロープだが、これまでの道程が容易でなかった証左に、生々しい擦過痕が至るところに刻まれていた。見れば、胸部に下げていた無限軌道の金交かなまぜも一部が引き千切れ、脆い胸部を晒している。


 ようやく拾えた無電から神門の荒い息が伝わってきた。相当な長丁場だったのだろう。ドブルも威嚇からかはたまた疲労故か噴出した息吹が、冷えた洞穴の大気に白く染まっている。


「おい、神門。大丈夫か」


 囁くような小声でも、無電はしっかり拾って、電磁的処理で明瞭な音声へと修正してくれる。


「ああ。赤いマントを忘れてたな」


 彼には珍しい軽口だが、それに反して重い口ぶりは、彼がかなり神経を擦り減らしてきた事実を教えてきた。


「ようやく空間を確保できた。これからが本番だ」


 それを払拭するように淡々と言い放つと、神門は爆斬鉈ばくざんしゃを八方に構えた。見据える先は、眼球から異常なほどに光を放つ荒獣。


「よし。じゃあ、示し合わせていた通りに……」ドブルを捕捉できる位置へと移動を開始しながら、オリヴェイラはアサルトライフルの安全装置を解除した。「……行くぜ!」



 * * *



「なんかズシンズシンうるさくないか?」


 サダルの言うことももっともだ。洞穴の入り口に入った途端、足元に震動が感じたのがそもそも訝しかったのだ。更に、先ほどから歩みを進めるごとに、耳をろうする破壊音がその音のかさを増している。


「まだドブルと遭遇してないのもおかしいしね。――誰か襲われているのか……って、オォォイ!」


 誰か――など、議論の余地はないだろう。カウスメディアは、一気に駆け出そうとしたサダルを思わず羽交い締めにした――といっても、彼の体躯ではサダルを止めるどころか、羽交い締めにした途端に足が浮いてしまったが。


「止めるな! 君もわかるだろ? あいつらは権能が無いんだ。まごついてたら殺されちまう!」

「落ち着けってば。人の話は最後まで聞いてくれよ。襲われているのか、戦っているのか……って言うつもりだったんだよ、僕は!」

「戦っている? なお悪いじゃないか!」


 努めて冷静さを装っていたサダルだったが、ここに来てついに鍍金めっきが剥がれ、頭に血が上ってしまったとみえる。背負う形になったカウスメディアの重みを忘却の彼方へと追いやり、サダルは猛然と走り出した。


 流石、大剣を振るう筋力を持っているだけあって、人一人分の重みなど意にも介していない。彼自身の歩幅もあり、しがみついているカウスメディアは生きた心地がしない。


「馬鹿ァ! ここまで来るまでにどれだけ時間がかかった? それまで音がずっとしてただろ? つまり、戦っているのなら、それなりに対抗手段あってのことって気づきなよ!」

「だったら、なんだ?」

「だから、馳せ参じる前に準備を整えろって話だよ! 今からこんな奔って、ぜーはーぜーはー息切らしていたら却って迷惑だよ!」

「むう……」


 急激に停止されたカウスメディアは危うく振り落とされそうになったが、どうやらサダルも少しは冷静さを取り戻したらしい。見れば、カウスメディアの懸念通り、焦りと全力疾走で息を乱している。


「いいかい? 早歩きで近づくよ。いつでも臨戦態勢にとれるよう、息を整えてよ?」


 肺の二酸化炭素を胸中の焦燥と一緒に吐き出しているらしく、深呼吸を繰り返すごとにサダルの表情が落ち着いたものへと変化していった。


「ああ、そうだな。すまない、カウス……」


 サダルの背に揺られていた間は、風に耳を苛まれて聞こえていなかった怒轟が今はかなり近い。どうやら、サダルはかなりの距離を脇目もふらずに走り抜けたらしい。


 道中、どこへ続いているのか判らぬ魔酔いの洞穴で、唯一確かな耳に届く音だけを道標に近づけたものだ。カウスメディアは内心、サダルの勘働きの良さに苦笑した。


「さ、行くよ。結構近いみたいだ」


 サダルはケモノオロシを抜くと肩に担いだ。もはや、戦いの時まで幾許もないと、その戦士としての勘が告げているのだろう。彼のその出で立ちに、自然とカウスメディアは舌で乾いていた口唇を湿らせた。


 サダルを前衛として、カウスメディアたちは逸る気持ちを抑えつけて、警戒と体力の維持を保てる速度で移動を開始した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る