開戦

「よっしゃーー!」


 太陽による昼夜の光量の差はなくとも、地底湖の朝もそれなりに変化はあるらしい。ようやく、その変化を肌で感じるようになってきた。少し名残惜しい気持ちもあるが、オリヴェイラはそれを振り切って気合注入に両頬を自ら叩いた。朝の冷たい空気が頬の痺れをいたわるように優しく撫でる。


「じゃあな、爺さん。また来るぜ!」


 言外に生きて戻ってくると告げて、オリヴェイラは手を振る。過度な気負いはないといえる。いい精神状態だ。


「もう来るな。公務から逃げる隠れ家にされてはかなわん」


 にやり、と笑いながら、爺さんは指先を軽く振った。


「ひでークソジジイだな」

「お互い様じゃ、馬鹿王子」


 気の置けないやりとりは昔馴染みの悪友が暫しの別れを惜しんでいるようで、とても年齢としの離れた二人とは思えない。


「お世話になりました」

「お前さんはクソ真面目じゃなぁ」


 一礼する神門に、爺さんは残念そうな表情を見せる。彼は、神門にもオリヴェイラ同様砕けた態度を期待していたらしいが、それは残念ながら朴訥ぼくとつな秋津人にはかなり困難を極めた事柄だったようだ。


「じゃあ行くか!」


 足元に置いていた銃火器の束を担ぐ。ずしりとした重量はバナイブスを越えていたが、それが却って心強く感じるようになった。


 神門がオーデキュロープに乗り込む。差し出されたオーデキュロープの掌に飛び乗ると、マニピュレータ・バイクは慎ましやかに大地を踏んだ。


 戦いはすぐそこまで迫っている。背中にアラカムの視線を感じる。振り向かずに、手を振った。別れは済ませた。オリヴェイラのかおがオーデキュロープが足を踏み出すごとに、引き締まり戦士のそれに変化していった。



 * * *



 そろそろと跫音あしおとを潜めて、オーデキュロープは荒獣ドブルがいるとおぼしき座標へと近づいていく。既にオリヴェイラは降ろして、今は戦場になると見定めた地点で待ち伏せている。あとは、神門が丁々発止を繰り広げながら、その座標まで誘い出す算段だ。


 胸に巣食う緊張を紛らわすために深呼吸を一つ。吐いた息が通常と異なる感触を伝えてくるのは、張り詰めた精神故か。


 カメラアイを通した色境は暗視モードに切り替わっており、洞穴のはだに生息する蛍光植物の淡い灯火の中でも、鮮明に視覚情報を伝えてくれる。


 この緊張感の中ではむしろ戦闘そのものが救いだとさえ言える。いつ果てるとも判らぬタイトロープな綱渡りを続けているようなものだ。いっそ、この緊張感から開放されるのであれば――と、益体もない考えが浮かぶのも頷ける話だ、と神門は思っていた。


 曲がりくねった天然の隧道トンネルは視界が悪い。眼に届く範囲はかなり鮮明に見えるとはいえ、死角とあればその限りではない。突然、予定の座標より手前で遭遇することも十分考えられるのだ。この狭い場所では十全に立ち回るのは曲芸技といっていい。できれば、このようなところで遭遇したくはないところだが――


 そろりと歩を進めた瞬間ふと脳裏をよぎった違和感が、神門の反射神経を刺激した。脊髄反射が半秒にも満たぬ瞬間の内にオーデキュロープの車体をよじらせた。刹那の後、黒い塊が数瞬前の彼の過去座標を通過した。装甲を通過して届く獰猛な息遣いが、やけに耳に近い。


 どうやら既に索敵されていたらしい。本日のドブルは権能をもたぬ不遜な輩が自分にきばを剥いてきているのを、察知していたようだ。


 陽の光も充分に届かぬ洞穴の薄闇の中、ギラついた荒獣の眼が不気味な光で神門を射る。既に臨戦態勢のドブルは前足で地を掻きながら、オーデキュロープをめつけている。完全に敵と認識している。


 まなじりを決して、やおら左腰の爆斬鉈ばくざんしゃを抜いた。苔が生んだ淡い光を倍増しているかのように、爆斬鉈ばくざんしゃの刀身が闇間を斬り裂く。


 ――後ろを見せずに、後退する。眼を離した途端、先ほどの突進に捕まる。常に、行動のおこりを見定めるべし。


 ここに来るまでに収集していた情報を基に、拡張現実ARに地図を表示させ、り足でゆっくりと後ずさる。余計な刺激は禁物だ。あくまで思考は冷静に、刀は水鏡に写る月光の如く、身体は電脳の正確さで――されど業は烈火の激しさを。


 荒獣の気配を注視し、その動きに対応して構えを変えつつ、オーデキュロープは蛞蝓なめくじの滑らかさで後退していく。ドブルもそれを追いかけるように、一歩々々いっぽいっぽと歩を進める。攻める者、受ける者。どちらも、一撃に総てを賭す互いの心胆が伝わってか、牽制し合うも戦端は未だ開かれない。だが、その均衡も永遠には続かない。


 オーデキュロープが足元の石を踏み、一瞬バランスを崩した。背後に眼を持たぬ人の身では対応できぬ、生物的な陥穽かんせい。踏み砕いた刹那、これをドブルが見逃すわけもなく、むしろ待ち受けていたと言わんばかりに、一気呵成に突進してきた。


 突進するドブルのすだれのようだった体毛が硬質化し、針の鋭さで襲い掛かってくる。当たれば、鉄の処女アイアンメイデンに処された生贄の凄惨さは必至であろう。


「――ッ!」


 神門はそれを認めると、右手の爆斬鉈ばくざんしゃ鉈爪ひきがねを引いた。打ち鳴らされた火花に反応した火薬が瞬間的に爆ぜ、爆圧を以って爆斬鉈ばくざんしゃす。それは、バランスを崩したオーデキュロープの車体のベクトルを狂わせ、はたして木の葉が舞い落ちるが如き螺旋の動きで、ドブルとの接触を危ういところで避けうることができた。


 必殺を賭したたいあたりを透かされたドブルは、狭い隧道トンネルの壁に激突した。刺突剣と化した体毛が洞穴の壁に突き刺さり、散弾のような破壊痕を残す。


 壁と衝突はしたものの身体自体は接触しなかったらしく、ドブルは立ち直りも早く、即座に体毛を緩めて神門に向き直った。


 その間に抜け目なく距離をとっていた神門は、ドブルのもつ爆発的突破力に舌を巻いていた。この突進力、この狭い空間では容易に避けられぬ。先ほどの曲芸めいた回避など、殆ど運任せの代物だ。何度も成功できる技では、ない。


 オリヴェイラの待つ座標まであと少しとはいえ、それまでに何度肝の冷える状況に追い込まれるものやら。神門は、オーデキュロープに爆斬鉈ばくざんしゃを青眼に構えさせつつ、いつからか吐いていた自身の荒い息を感じていた。

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