眼馬
「…………」
神門の仏頂面は常ながらも、ここまで反発の色が濃いのは常にはない。
「……すみません。黒き君。人像柱は女性しか存在しないので」
謝罪の声には耳を傾けず、神門は如何にも不機嫌であると雄弁な沈黙を貫く。
神門が気分を害している原因が彼の服装にあるのは、一目瞭然だった。
白い
衣裳を纏った者の表情はともかく、なるほど確かに元々の相貌の造形が中性的――或いは女性に寄っていたこともあり、女性の群れにいたとしても違和感はないだろう。尤も、それが当人にとって望むところであるか否かは別の問題ではあるのだが。
「…………」
神門の無言の圧力に、随行する青年は文字通り身を縮こまらせて恐縮した。彼はというと、ロングカーディガンから身体の描線を覆い尽くすトゥニカへと服装を変えていた。また、短い髪を誤魔化すために頭巾を被っており、トゥニカも相俟って修道服に似ていた。しかし、尋常のそれとは異なるのは、やはり退廃的な雅趣が馨る意匠だ。
共に、かつての秋津モード――
脚元から聴こえる渇いた跫音が、そして飛ぶ土砂が靴と大地に挟まれて噛む音が徐々に落ち着いてくる。荒野が次第に潤いを帯びてきているのだ。石造りの街に近づくにつれ土に草の彩りが生じ、街の中心に近づく度に濃くなっていく。
「……街の入口です」
青年の声で見上げると、土色の建物が軒を連ねていた。電算機器が存在しないと思われる、
脚を一歩踏み入れる。ここから先は、人類を――少なくとも、
南無三、と心中で唱えて、目地に苔生す石畳に脚を下ろす。軍靴の固い靴底を受け止めて、床面は渇き響く音色を上げた。一歩一歩歩を進める。後ろに控えていた青年もまた追従し、二人分の跫音が石畳を打った。
「まずは、ルードさんの聞き込みを行いましょう。運が良ければこの街にいるかもしれません」
「……だといいがな」
MBライダーのつぶやきは青年の耳に届く前に、風に解けて次第に大きくなるざわめきに溶けた。
大通りに出ると、それまで何処に潜んでいたのかと疑問を浮かべる程度には、人が
それは、神門は預かり知らぬことではあったが、〝柱の時代〟とカリアティードが呼ぶ世界が幕を閉じようとする姿だった。
眉目秀麗と呼ぶにはあまりに均整が整い過ぎた彼女らは、洗練された機能美的なそれと着飾った装飾的な美の双方を兼ね備えている。そう、それこそ
見つかれば面倒、といった言葉では済まぬ。油断なく、しかし張り詰めすぎれば様子から察知される恐れがある。あくまで身体には弛みを保たせつつ、精神は不意の事態にも対応できるよう引き絞る。女装していた屈辱については、緊張感からか、とうに頭から抜け落ちていた。
気の赴くままに歩を進めていく。眼鏡の青年は随所随所でルードの消息を尋ねているものの、遅々として進展は見られなかった。
卒然と鳴った、風を扇ぐ音に振り返る。塵械が渦巻く様を映す空に
アラキムのノートを脳裏で読み返しながら、彼らを眼で追うと――いた。神門の視界に映る、豊潤に緑成す樹々を纏った黎い巨大な騎士の軀。
「…………」
上半身こそヒト型だが四脚の獣の下半身の身体持つそれは、神話にいう
公園とおぼしき広場の中心――恐らく街自体の中心でもあろう――に坐した黒騎士は街の豊かさの象徴であるかのようだった。しかし、ただ周囲の営みを知らぬ顔で敗残者の呈で眠る巨大な騎士の軀自身は、一体何を考えているのだろうか。
やはり、例によって元は白い姿をしていたとみえるが、かつての白亜色の名残りを付着した煤の向こうに透かす程度である。馬胴には鞍の代わりに
「〝眼馬ザルディロス〟……」
青年のつぶやきと共に、黒騎士が軋みを上げて震えだす。樹々を持ち上げ、草や落ちた枝を踏みしめる
顔面の中央が開き、巨大な単眼が瞠られる。朱に染まった眼光は鋭く〝柱の時代〟を貫いた。〝眼馬ザルディロス〟の覚醒め。巨大な諸刃剣を抜き払い、そして樹々を薙ぐ。旧き
〝眼馬ザルディロス〟、ここに
突如として覚醒めた樋嘴は、豪たる存在力を顕示し、安寧の揺り籠だった樹々を文字通り蹴散らす。雄々しき嘶きが拡声され、石造りの街に谺した。それは、延々と轟く雷鳴の如く、不吉を
波紋状に伝播する存在力――アルマが〝眼馬ザルディロス〟と呼ばれた樋嘴の実力を示唆していた。空間を圧する強烈な存在力が光焔となって迸る。光輝き、燃える黒騎士の姿は、自らの炎に灼かれる咎人にも見えた。
馬脚の黒騎士は
大質量の高速移動によって巻き起こされた強烈な大気の循環が、身体を持ち上げようと扇ぎ、それに抗い足腰を沈める。浮き上がりそうな程の噴き上がり
「……〝眼馬ザルディロス〟ッ! グッ、覚醒めたばかりで
眼鏡の青年が迸る土埃に顔を腕で覆いつつ、叫ぶ。撒き散らされる枝葉と土砂と水飛沫が瞳に残像を残す。土と茶と緑、そして三色の斑に染まった
「…………ッ!」
塵埃立ち込む中、薄い視界を凝らして見やれば、石造りの建築物が崩れようとしていた。容易く潰える砂上の楼閣の儚さで――しかし、そこに籠められているのは
「黒き君!」
人を圧し潰すに充分な質量を前に、神門へ駆け寄った青年の声が響き――虹色に煌めく透明な燐光が空間を満たす。終わりゆく時代への福音か、それとも……。闇に潜む超越者は笑みをこぼす。これが、神なる者の指した一手。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます