眼馬

「…………」


 神門の仏頂面は常ながらも、ここまで反発の色が濃いのは常にはない。


「……すみません。黒き君。人像柱は女性しか存在しないので」


 謝罪の声には耳を傾けず、神門は如何にも不機嫌であると雄弁な沈黙を貫く。


 神門が気分を害している原因が彼の服装にあるのは、一目瞭然だった。


 白いひだ成すドレスである。手を覆う白手袋、流麗な肢体を強調させるコルセットが、少年の身体つきを女性のそれに近づけている。上半身が華奢な印象を与えるよう計算された意匠であるならば、下半身は逆の演出が凝らされていた。脚元を隠すロングスカートは、あえて乱雑ランダムに切られた裾で、複雑な線を描いたバッスルスタイル。そして、その演出された女性らしさを引き立てるためか、神門の黒髪は継ぎ鬘ウィッグで長く延長されており、それが一つ処に纏められている。

 衣裳を纏った者の表情はともかく、なるほど確かに元々の相貌の造形が中性的――或いは女性に寄っていたこともあり、女性の群れにいたとしても違和感はないだろう。尤も、それが当人にとって望むところであるか否かは別の問題ではあるのだが。


「…………」


 神門の無言の圧力に、随行する青年は文字通り身を縮こまらせて恐縮した。彼はというと、ロングカーディガンから身体の描線を覆い尽くすトゥニカへと服装を変えていた。また、短い髪を誤魔化すために頭巾を被っており、トゥニカも相俟って修道服に似ていた。しかし、尋常のそれとは異なるのは、やはり退廃的な雅趣が馨る意匠だ。


 共に、かつての秋津モード――GalalaHeadガララヘッドの意匠だ。古代の衣裳を再構築させるというコンセプトのブランドラインは、この頽廃色の世界に不思議と合っていた。


 脚元から聴こえる渇いた跫音が、そして飛ぶ土砂が靴と大地に挟まれて音が徐々に落ち着いてくる。荒野が次第に潤いを帯びてきているのだ。石造りの街に近づくにつれ土に草の彩りが生じ、街の中心に近づく度に濃くなっていく。


「……街の入口です」


 青年の声で見上げると、土色の建物が軒を連ねていた。電算機器が存在しないと思われる、素朴アナログな町並みは見覚えがないというのに、不思議と神門に郷愁感を抱かせた。それは、人類の遺伝子に刻まれた文化の記憶だったのかもしれぬ。


 脚を一歩踏み入れる。ここから先は、人類を――少なくとも、生身ニュートラルボディである神門を――超える膂力を持つ種族が棲まう街だ。MBを近場に置いてきた彼にとっては、生身で猛獣潜む藪へ分け入るような暴挙。一歩間違えれば生命が危ういやもしれぬ、虎の穴なのだ。しかし、虎穴に入らずんば虎児を得ず――との言葉もまた一つの真実。ルード救出のための情報を得るには、この方法しか思いつかなかったのも、また事実である。ならば、少々の危険を冒しても、まずはルードの無事の確認、次に拘束されているのであれば解放と脱走。


 南無三、と心中で唱えて、目地に苔生す石畳に脚を下ろす。軍靴の固い靴底を受け止めて、床面は渇き響く音色を上げた。一歩一歩歩を進める。後ろに控えていた青年もまた追従し、二人分の跫音が石畳を打った。


「まずは、ルードさんの聞き込みを行いましょう。運が良ければこの街にいるかもしれません」

「……だといいがな」


 MBライダーのつぶやきは青年の耳に届く前に、風に解けて次第に大きくなるざわめきに溶けた。


 大通りに出ると、それまで何処に潜んでいたのかと疑問を浮かべる程度には、人がひしめき合っていた。皆、色とりどりの髪色をし、マネキンめいた均整の整った肢体に秋津モードの遺響を着ている。奇しくも、ランウェイを思わせる様子に、神門も面食らった。この、灰色の空と旧い石造りの建物の土色が混じり合う光景の――頽廃的な、色を喪くした灰が降り注ぐような、弛やかに絶えていく緩慢な終幕の光景に符合した。


 それは、神門は預かり知らぬことではあったが、〝柱の時代〟とカリアティードが呼ぶ世界が幕を閉じようとする姿だった。


 眉目秀麗と呼ぶにはあまりに均整が整い彼女らは、洗練された機能美的なそれと着飾った装飾的な美の双方を兼ね備えている。そう、それこそ機化ハードブーステッドした義軆処置者サイボーグと同等かそれ以上の肉体能力――たして、〝肉体〟という言葉が適切かは疑問だが――を備えた連中だ。同伴している青年はともかく、MBやその他の搭乗兵器という〝武器〟を持たぬ神門では隔絶した差異がある。


 見つかれば面倒、といった言葉では済まぬ。油断なく、しかし張り詰めすぎれば様子から察知される恐れがある。あくまで身体には弛みを保たせつつ、精神は不意の事態にも対応できるよう引き絞る。女装していた屈辱については、緊張感からか、とうに頭から抜け落ちていた。


 気の赴くままに歩を進めていく。眼鏡の青年は随所随所でルードの消息を尋ねているものの、遅々として進展は見られなかった。


 卒然と鳴った、風を扇ぐ音に振り返る。塵械が渦巻く様を映す空に色彩を喪ったいろあせた鳥が数羽舞っていた。彼が知る鴉に似ていたが、色は白く尾羽が伸びている。しかし、ここまで似通った姿は収斂進化と呼ばれる現象なのか。それとも――。

アラキムのノートを脳裏で読み返しながら、彼らを眼で追うと――いた。神門の視界に映る、豊潤に緑成す樹々を纏った黎い巨大な騎士の軀。


「…………」


 上半身こそヒト型だが四脚の獣の下半身の身体持つそれは、神話にいう人馬ケンタウロスに似ていた。いわば、馬脚型と呼ぶべきだろうか。幅広の諸刃剣は、下半身も相俟って〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟よりも巨大に見える人馬ケンタウロスに見合った巨きさを誇っていた。楯もまた下半身までを覆える程の寸法で、その巨楯により掛かるように、黎い人馬ケンタウロスは静寂の底で揺蕩っていた。


 公園とおぼしき広場の中心――恐らく街自体の中心でもあろう――に坐した黒騎士は街の豊かさの象徴であるかのようだった。しかし、ただ周囲の営みを知らぬ顔で敗残者の呈で眠る巨大な騎士の軀自身は、一体何を考えているのだろうか。

 やはり、例によって元は白い姿をしていたとみえるが、かつての白亜色の名残りを付着した煤の向こうに透かす程度である。馬胴には鞍の代わりに鎖簾くさりすだれが、淡く鈍い金色こんじきを密やかに周囲に拡散させていた。


「〝眼馬ザルディロス〟……」


 青年のつぶやきと共に、黒騎士が軋みを上げて震えだす。樹々を持ち上げ、草や落ちた枝を踏みしめるひづめ。関節部の駆動が、永き眠りの間に堆積した埃や樹々の枝葉を粉砕し、あおぐろい鎧が持ち上がっていく。鎧が擦れ合う音色と沈殿した雑多物が砕ける多重奏は、まさしく咆哮。


 顔面の中央が開き、巨大な単眼が瞠られる。朱に染まった眼光は鋭く〝柱の時代〟を貫いた。〝眼馬ザルディロス〟の覚醒め。巨大な諸刃剣を抜き払い、そして樹々を薙ぐ。旧き時代ときより朽ちるままとなっていた剣だが、どうやら鞘の内で経年による変化を抑えられてきたらしい。眼光と同じ色に明滅する剣身から溢れる唸りは、高速震動する諸刃剣の愉悦の声か。


〝眼馬ザルディロス〟、ここに再起動ふっかつ


 突如として覚醒めた樋嘴は、豪たる存在力を顕示し、安寧の揺り籠だった樹々を文字通り蹴散らす。雄々しき嘶きが拡声され、石造りの街に谺した。それは、延々と轟く雷鳴の如く、不吉を糜爛びらんする。まさに黒騎士――世をのろい、軀體からだを鎧を存在を地獄の業火に灼かれた成れのて。樋嘴というカリアティード喰い。〝柱の時代〟を忌む、旧き〝魔の時代〟の支配者。


 あおぐろい装甲が軋み、ヒトの上半身が、馬の下半身が、痙攣し震えるこえ。抜き払った諸刃剣が蠅が蝟集するような音色を奏で、巨大な楯が周辺を薙ぎ払う。まるで狂おしい激情に駆られているかのような樋嘴が胸を掻き毟る。


 波紋状に伝播する存在力――アルマが〝眼馬ザルディロス〟と呼ばれた樋嘴の実力を示唆していた。空間を圧する強烈な存在力が光焔となって迸る。光輝き、燃える黒騎士の姿は、自らの炎に灼かれる咎人にも見えた。


 馬脚の黒騎士はいきり立ち、まさしく気負った馬のように暴れ、そして何処かへと奔り去っていた。その途上にある悉くを薙ぎ払い、万物を蹴散らし踏みしめる。


 大質量の高速移動によって巻き起こされた強烈な大気の循環が、身体を持ち上げようと扇ぎ、それに抗い足腰を沈める。浮き上がりそうな程の噴き上がり


「……〝眼馬ザルディロス〟ッ! グッ、覚醒めたばかりで本能プログラムに囚われているのか!」

眼鏡の青年が迸る土埃に顔を腕で覆いつつ、叫ぶ。撒き散らされる枝葉と土砂と水飛沫が瞳に残像を残す。土と茶と緑、そして三色の斑に染まった宇宙くうかんに時折煌めく虹色プリズムの流星として。


「…………ッ!」


 塵埃立ち込む中、薄い視界を凝らして見やれば、石造りの建築物が崩れようとしていた。容易く潰える砂上の楼閣の儚さで――しかし、そこに籠められているのは生身ニュートラルボディの人類には抗えぬ圧倒的質量だ。二酸化珪素を主成分とした波濤が神門を飲み込まんとし――しかも反応こそ適えど、機化ハードブーステッドの加護を享受されていない少年の身体能力ではどう見積もっても間に合わず……。


「黒き君!」


 人を圧し潰すに充分な質量を前に、神門へ駆け寄った青年の声が響き――虹色に煌めく透明な燐光が空間を満たす。終わりゆく時代への福音か、それとも……。闇に潜む超越者は笑みをこぼす。これが、神なる者の指した一手。

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