産神

 世界を金屏風が染める。膨大かつ濃密な存在力が世界を染め上げているのだ。それは、在る種世界への侵食であり、一個の世界の誕生でもあった。


「咲夜……」


 咲夜、咲夜、咲夜……! どれほど、彼女を求めたか。人に似て人と異なる、神か魔の造形物。眼にしたならば、忘我の嘆息を漏らす程の美麗。復讐の炎の中にそっと芽生えた萌芽。或いは、報復に鬼と化す神門を人間に留める寄す処なのやもしれぬ。


 無骨な機械にはりつけられた銀の裸身。長い髪までも鏡面の滑らかさで白銀に鍍金めっきされた彼女は、無愛想な装置に両手足を囚われ、瞳を閉じて身じろぎすらしていない。その相貌は白銀に固着されたような無表情だったが、流麗と相反する工学的意味合いを剥き出しにした拘束機器は、闇が一筋の光を濃くする二律背反性の誇張で、彼女の哀婉あいえんたる婀娜あだ姿を強調していた。縛られた女体が奏でる哀韻あいいんは、痛ましいからこそに美への陶酔と嗜虐の悦楽を視る者に与える。


 甘やかで鮮麗な艶姿は遺伝子の悪戯では到底生み出せぬ、幾何学的或いは工芸的な整美。ならば、目的のために徹底的に単純化された機械装置と銀の少女の裸身像の対比コントラストは、畢竟、同じ地平からやって来たものとも言える。


 森羅万象を鈍い黄金の光沢に満たした彼女の姿に、神門は覚えがあった。眼の醒めるような、しかし何処か夢の中にいるような、曖昧にして判然とした奇妙な感触。


 矛盾の異感覚に苛まれながら、浮遊した白銀の少女を神門は見上げる。あの時、あの瞬間、彼女に触れ――そして、時が再動うごきだした……。思えば、この金屏風の世界は、幾度か森羅万象の脈動がまったと錯覚した感触に近しい。まさしくこの世の、或いは宇宙の総てが凝固し、固着された瞬間の中を己のみが動けるという絶対的な感覚。


 己を支配する異感覚に思惟の薄れた少年は、誘蛾灯に誘われるがままの蟲の如くに少女へと近づき、引きずり込まれていく。重力の縛鎖から逃れらぬ人の身が何故それを解き放ち、彼女と同じ地平してんにまで浮かび上がったのか――。怪異な現象の一部と成りてた自身すら気づかぬままに。


 頬に触れれば、やわい輪郭に反して、革手袋の向こうからでも感ぜられる金属質な冷たい感触。同時に、磨き上げられた純銀の滑らかさと艶やかさも確かに存在している。銀鏡の肌膚はだえは硬く、それが彼女が囚われた無命むみょうの絶対さを意味していた。


 そして、触れた神門の指先を呼び水に、金屏風の世界に変化が訪れる。膨大な存在力の満ちた空間において、それらが凝固し、密度を増し、質量さえ伴う。二重螺旋の銀の鎖が天地を結び、奥に控える神々しくも禍々しい気配を喚び醒ます。鎖がとなり、骨骼ほねを形成し、にくを纏って、装甲かわを羽織る。全長にして一〇メートルを超える巨軀は尋常な生物のそれではなく、しかし単なる騎乗兵器のそれでもなかった。喩えるならば、生物的特色を持ち合わせた人型の神像か。黎い表皮に浮かぶ正六角形ハニカムの輝線は、それが単なる装甲かわではなく鱗である証左だ。


 陰翳こそ人を象っているが、これが人を模した像ではないことは明白だった。人に非ざる鱗、機械的な文様が表皮の内を趨り、手は六指。華奢な程に線が細いというのに、相貌かんばせは龍とも鬼ともつかぬ。背後に煌めく光背は、複雑に駆動する機械式時計の内部構造モーメントじみた律動を見せている。


 これぞ、機神。終わりを告げる世界を新たな地平に導く、相剋の宿命を背負った二柱が一。無命むみょうを制する神骼しんかくにして、侵されざる破壊と創造アンビバレンツの狭間に立つ一個の世界ほうそく。機神――黑燿。黒きにありて赫灼たる、闇の太陽。龍神神門を神の座へと昇らせるべく仕組まれた神化の呼び水にして、プラメテルダ銀河を含む世界の上位存在とくいてん


 この機神のに半ば巻き込まれる形で取り込まれた神門は、まさに世界の中心にいた。総てが流れる大気の塵の一粒、いやイオンの流れまでも知覚できるような、奇妙な体験。自分の存在が世界に満ち、総てが凍りついた感触が、彼を支配していた。そう、圧倒的な情報量が大挙し、彼の自我を押し流し、神門は忘我の域にあった。


 金屏風の光景が次第に晴れていく。黑燿という存在を喚ぶために生じた世界は、己の存在力を贄として役目を終えたのだ。そして、金屏風の世界が失せていく事実は、同時に機神という在る種、世界への侵喰を顕現させるという意味を持っていた。


『…………黑燿ッ!』


 變神へんしんにより〝光却のサウゼンタイル〟と化したジラ・ハドゥが憎悪を凝り固めたを漏らす。最速の光を総べる〝光却のサウゼンタイル〟といえども、圧倒的かつ厖大な存在力の圧の前では吹けば消える蠟燭の火に等しい。しかし、そんな自明の理ですら憎しみで曇ったジラにとっては、些事でしかなかった。


 被造子としての、生まれながらの逸脱者としての矜持。天と鬼が与えた才覚は、彼を神の座へと引き上げる筈だったというのに――眼前のは彼のそれに劣るというのに破格の権利を持っているのだ。我が優位性こそを自己同一性としているジラ・ハドゥにとって、伸ばそうとも手に入らぬ特権を持ち合わせている――しかも、それを望みすらしていない龍神神門は許されざる者としか映らぬ。


 知らずして神の座へと到ろうとしている者、神の座に手を掛けようと足掻く者。金屏風の背景の中、彼らは相対する。だが、機神黑燿と恠神かいじん〝光却のサウゼンタイル〟が相対するこの構図、数ヶ月前にあったものだ。そして、両者が変化していないとなれば、結果も焼き直しにしかならぬ。


 恠神かいじんたる〝光却のサウゼンタイル〟が複数の天狗巣じみた光球を周囲に具現化させ、そこから光絲を伸ばした。光速でほとばしった光絲は、無論人間の反射神経では回避かなわぬ。それどころか、狙いさえ精確ならば確実にたる必中性を持つ。点と点を結ぶ最短距離を駆ける必滅の光は、細くとも万物を貫通せしめる厖大にして過密な熱量が籠められている。


 だが、光絲は自ら黑燿に触れることが烏滸がましいと言わんばかりに、その身をよじった。無為に虚空へと消える残滓は、視る者がいればその瞳を感光していたことだろう。


『チィッ!』


 ジラにとって残酷な事実の確認は、すなわち数ヶ月前の屈辱の再演だった。〝光却のサウゼンタイル〟の感覚器官も兼ねている棘皮が、彼に眼前の機神の存在力の密度を知らしめている。濃密な存在力は凝縮していなけらば、もはや世界という器を横溢しかねぬ程であり常識や法則の埒外にある。


『けどねぇ!』


 宙空に浮かぶ光の天狗巣が密度と規模を増していく。絡み合いもつれ合い、次第に過密になる光絲の球――。誰が視ても明白だろう。凝縮されていく光絲が威力と熱量を臨界に達して燃え盛っていることが。


 吐き出された光絲が更に〝光却のサウゼンタイル〟の眼前で絡み合って、破滅光となって黑燿へと迫る。単純な光線ではなく存在力をも籠めた破滅光は、遍く森羅万象の総てを世界の地平線へと蒸発させる必滅の咒いだ。いくら機神といえども……。


 以前相対してから、ジラ・ハドゥはさらなる成長を遂げていたのだ。いくら圧倒的な存在だったとしても、才覚を強引に引き出された被造子ならばいずれその地平へと辿り着ける――。彼の妄執的な矜持はけだし、金髪の被造子に神通力を与えていた。そう、余人では到達どころか見上げても眼にすることのない高み。それすら手をかけるのが、ジラ・ハドゥという少年だ。桁外れの才能と技倆を兼ね備えた、生きる戦闘機械。精確かつ無慈悲、残虐かつ無邪気。世界を手中に収めることさえ可能な、選ばれし被造子。


 ならば、破滅光さえも凌ぎ切ってみせた眼前の存在はなにか。


『    ッ』


 今の彼に可能だったなら、ジラは眼を剥いてたことだろう。しかし、無意味に流れたは彼の心中を察するにあまりあった。


 余波でさえ魂魄を容易く奪う破滅光が、黑燿の掌から生じたに引きずり込まれたのだ。破滅光の輝きが界面に合わせて輪郭を描く。輪を持つへと吸引された破滅光は、次の瞬間、〝光却のサウゼンタイル〟をから撃っていた。


 ――⁉


 決して油断はなかった。たとえ万分の一秒でさえ、〝光却のサウゼンタイル〟の棘皮は捉えきれるはずというのに、突如発生したとしか思えぬ破滅光。しかも、信じがたいのは、存在力の質がジラ・ハドゥそのものだった事実だ。


『まさか!』


 ホワイトホール。あのの正体がブラックホールだとしたら、引きずり込まれた物体は何処へゆくのか。その回答としての一つの仮説がホワイトホールである。しかし、数学的にはありえても実在は考えにくい――と、存在を否定されていたはずの天体を再現したとしたら……。


 右腕と下半身のほぼ総てを灼いた破滅光の痛みを忘れる程の衝撃。法則が神足り得る資格だとしたら、眼前の存在は神を産み出したと言っていい。或いは、別次元の神を世界に映したのか。


 解はともかく、ジラは認めがたい真実を瞬時に理解してしまった。所詮〝光却のサウゼンタイル〟も恠神かいじん――機神の類でしかない。土俵が同じならともかく、存在としての位相が異なるモノを相手取るなど……。


 ――今の僕では勝てない。


 ここで〝今の〟と付くあたり、ジラ・ハドゥのなお天井知らずな自信がうかがえるものの、現実は残酷だ。圧倒的かつ絶対的な存在を前にしているのは〝現在いま〟なのだ。


 鱗皮を伝う光の描線が濃く浮き上がっていく。続けざまに、〝光却のサウゼンタイル〟の背なの背鰭じみた部位が細かく鳴動しながら閃光を迸らせる。仄明るい金屏風の中で鮮烈に輝く背鰭は黒雲から轟く雷鳴に似て、生物でたとえるならば威嚇の意味だと捉えられた。


 相対する黑耀は泰然と佇むのみ。ただ、圧倒的な存在力が日蝕のフレアのように、黒い肌から木漏れ出ている。なるほど、黒き君とはよく言ったもの。背鰭が王冠か聳える城壁に思えるのも、決して錯覚ではない。ならば、山吹色サンライトイエローの瞬きにある眩いフレアは、帝の威厳を飾る金光にほかならない。そして、峻烈に存在力を光にのせて発する姿は、簒奪者を断罪する断頭の刃か。


『ウガァアアアアア!』


 濃密に編まれた存在力の圧力が球状に拡充し〝光却のサウゼンタイル〟を恠神かいじん化したジラ・ハドゥを絶大な反発力が爪弾き、彼のから金屏風の世界が退いていく。かつて、太陽を目指した青年は蠟燭の翼を溶かされ地に墜ちたという。宍叢ししむらを手にして神域を目指したジラも同じく、ただの世界へと墜ちていくのか。


 ――違う! 絶対に違う!


 声なき雄叫びを上げながら、彼は薄れゆく金屏風から墜ちていく。墜落する先は惑星イラストリアス4の大地。天への梯を目指す者は風に巻き上げられて、力尽きて墜落する。その定めに否と叫びながら。

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