隔絶

 点、転じて線。巧みな伏線に支えられた横薙ぎは必中。〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟のを喰らい、粉砕する必殺を信じた一撃。〝白き隕石いしの勇者〟の穂先に手応え――確かに感触が手中に実感を残した。止まった槍は籠められた勁力の総てがそこに集約された証左だ。石像機化した久遠の胎内なかにいたルードも、この感触は伝わっていた。


 ならば、刺突の群れで爆ぜた塵芥の煙幕の向こう側に聳える陰翳はなにか。黎い翳には些かほどの瑕疵も見いだせない。泰然と佇む巨神の像の陰翳は絶対の無謬性に支えられ、まさしく一つの時代を征した者が持つ威光を放っていた。


 塵の煙が重力に負けて沈み、或いは風に乗って攫われていく。黎い絶対者を包む紗幕がはれ、劣化による艶の失せた黎い甲冑が姿を顕す。意匠化された鴉が向かい合った両眼、磨かれずに戦の傷や歳月に任せるがままにされながらも美しさを保った細身の甲冑、そして――身に合わぬ重圧な巨剣。久遠が必殺を賭した薙撃は、巨大な刀身に阻まれていたのだ。


『なるほど、あえて通じなかった同じ策に訴えかけるとはな。それも、先より疾く重い』


 称賛の声が響くも、帰趨するところは残酷な真実。防戦一方だったというのに、結局穂先を一度も浴びせることなく、無傷を貫いた〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟。一方、防戦するゼクスルクだからこそ成立した不可避であった筈の一撃を受け止められた勇者シメール。両者の前には海底を割る裂罅の隔たりが存在していた。


『……余裕見せてるけど、武器はもうないわよ』


 久遠とルードに優位性があるとすれば、この一点だ。技術、体躯、反応、膂力……〝魔の時代〟の覇者だけあってゼクスルクのステータスは久遠を上回っている。しかし、時に敵を斬り、時に身を守る武器の不在。自身をもって槍撃を捌かねばならなくなったとなれば、いくら石像機の王とて……。


 折れた巨剣が地面へと墜ち、堅く重い音を奏でたのがきっかけとなった。〝白き隕石いしの勇者〟の穿刺を連ね連ねた連撃。先の再演だが、剣を失った王に凌ぎ切れるのか否か。軽きに重きを置いた霧雨の突きは、軽いからこそ疾い。必殺性は低くとも場の趨勢を掴むにはうってつけの一手といえよう。ましてや、今の〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟ならば――。


 瞬きの間に存在する峻烈な雨飛礫。軽いとはいえ遮るには傘の面を必要とし、だからこそ幅の厚い巨剣を失ったゼクスルクには身を護る手立てがない。だが、〝魔の時代〟を自らの技で征した者は、徒手空拳に関しても巧者だった。喩えるならば、しとどに降る雨を受け止める清流か。流麗に渦巻く螺旋で穂先を絡めたと思えば、さららと岩を避けるように流す。


「ウッソだろ……」


 ルードの放心した声もむべなるかな。接触のほんの僅かな角度を違えば、或いは連射される槍の弾丸を逸しうる時期を違えば、忽ちに己を槍衾と変える連環刺突をゼクスルクは正面から捌いていたのだ。もはや悪夢に等しい。げに恐ろしきは〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟。白鵶はくあの躯体は黎く煤けて穢れようとも、赫灼たる技の冴えは些かも損なわれていないというのか。


『ッ!』


 久遠の攻撃を見切り、危なげなく躱しいなしていた刺突の群れの内の一刺し。それが彼の左肩を掠めた。理由は定かではないが、不意に生じた空隙を見逃す久遠ではなく、それはルードも同様。起死回生を狙う〝白き隕石いしの勇者〟の穂先に紋章光ファサードの紫水晶の輝きが宿る。死中に活を求める必斃の三段撃――槍における刺突、殴打、薙払の連環套路は、槍撃の変化を取り入れた変幻自在の絶技である。


 相手の様子の変化を敏感に察したのは、有する経験故か、魔王グロテスクは瞬時にたいを靠撃の型へと転じた。狙いが逸れた刺突が虚空を刳り、空気が爆ぜる。薙ぎ払いへの移行をはかるルードだったが、動作の拍子の差――刺突後に腰から捻転する動作と自重を預ける動作、どちらが素早いかは明白だ。無拍子に近い靠撃は威力そのものよりも素早い突き崩しで形勢を揺り戻すことにこそ要訣がある。それを正しく弁えたゼクスルクが久遠の体躯を衝いたとなれば、彼女は仕留められるに足る明確な隙を誘われたということ他ならない。


 追撃を甘受すれば、すなわち死。しかし、崩れた姿勢ではそもそも次なる一手を受禦け止められるか――。足りぬたいで本能的に身構えた久遠――そしてルードは、絶望的な未来を瞬時に理解していた。技で上をゆく畸嵬像きかいぞうが宿敵である勇者シメールに手心を加えようものか。慎重かつ確実な一手で王手をかけるのは、もはや必定に思えた。


 それだけに、彼方へと視線を巡らせた魔王グロテスクの姿は彼らには意外に映った。何もない遠方を眺める〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟――否。


『何よ、このアニマ……』


 アニマを感じられるものが平伏する、ひたすらに圧倒的なるモノの気配。惑星総てを覆い尽くしてなお余りあるような、世界の理さえも裏返してしまうような、虚無と実在の狭間に位置するような、形容し難い存在がかえるような――。


 波濤の如き伝播してくるアニマの圧を前にしては魔王グロテスクさえも劣る。そもそも存在としてのが異なっている。神々しくも禍々しい、喩えるならば災禍も福音も齎す荒神の持つ威圧感。これを前にしては、勇者シメール魔王グロテスクも石像機もカリアティードも、あまねく万象の総てが頭を垂れる。魔王も勇者も跪かねばならぬ相手――まさしく皇、まさしく帝、まさしく神、まさしく天。


『黒き君!』


 叫ぶ〝穢れた白鵶はくあのゼクスルク〟は、もはや勇者も白騎士も視ていない。己と先程まで刃を交わしていた相手を一顧だにせずに、ゼクスルクは彼方へと翔けていった。


『……なんなのよ、これ』

「わからない」


 終始、戦いで優位を保持していた魔王が逃亡した事実に、久遠でなくとも戸惑いは隠せない。


「久遠、私達も行くわよ」


 足元で白金の聲。どうやら、あの戦いに巻き込まれずに済んだようだ。悪運の強さは相変わらずといったところか。


 どうやら、絞られていた緊張の弓弦が苛烈な張力に負けたらしい。紫水晶の粒子が久遠の躯体から溢れ放出し、彼女はカリアティードの身体へと戻っていた。畸嵬像きかいぞうとしての躯体の胎内うちにいたルードも、いつしか己の脚で地面つちを踏みしめている。


「なにかあるの?」

「ええ、もしかするととんでもないことが起こっているのかもしれない!」


 いつになく焦燥の表情を浮かべている白金の様子は、それだけになにか不穏な未来を示唆しているように、久遠には感じられた。

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