鱗肌

 ラリオウスの突進のほどを減衰させるように、オーデルクローネが構えたライフルの銃口から、ジャイロ効果に導かれた弾丸が螺旋状に回転しながら殺到する。だが、先ほどは予想外の出来事で醜態を晒したにすぎぬ、今やそうと心得ていれば何ほどのことでもない――とでも言わんばかりに、ラリオウスはもはや歯牙にもかけない。


 その行き先はカウスメディアだ。自前の権能でホバークラフトさながらに滑るカウスメディアではあったが、流石に暴竜の最大の突破力の前とあっては、瞬間的な加速は遥かに及ばない。そして、サダルメリクのような武芸を持ち合わせていないカウスメディアにとっては、ラリオウスの動き一つ一つが触れれば必殺の威力となって降り注ぐ。


 なんとしても、動きを止めるか、どこかに目を引きつけなければならない。ならばと、即座に動いたのはオリヴェイラだった。オリヴェイラは牽制に撃っていたライフルから、右肩に担いだキャノン砲へと武装を変えた。破城槌もかくやといった威容をほこるキャノン砲はその無骨な見た目に違わぬ威力をもっているものの、その約束された破壊力を発揮するには車体の固定が必要となる。その重量は単に担ぐだけならよいのだが、構えるとなるとMBでさえも安定せず、またあまりに強すぎる反動で車体が横転するほどだ。ブレーキステークを打ち込み、奔るラリオウスのほんの未来さきの位置を予期し、破滅の銃弾を開放させた。


 ラリオウスに負けじと放たれた暴威は、さしもの暴竜でさえも瞠目するものだったらしい。如何なる野生の本能か、四肢の爪を一度に大地に突き立てて、強制的に停止した。その鼻面辺りを、大気を灼きながら銃弾がかすめた。暴竜でなければ、その距離でも必殺性を秘めていただろう衝撃波も鱗を剥がしはしたものの、皮膚の深部へは到達しなかったようだ。碧色の血を滴らせて、ラリオウスが嚇怒かくどに瞳を光らせる。


 キャノン砲の銃撃に身をよじったラリオウスに、目敏く接近をしていたサダルメリクはそこに権能の気配を感じ、足元にまで接近するとケモノオロシで胴を斬り上げる。腹部という、荒獣を含めた大概の生物にとってやわい部分を狙い澄ました断獣剣の一太刀だったが、暴竜はそれを読んでいたらしく、四肢の力強い跳躍で上空へと逃れた。


 躍動する皮膜の羽撃きも轟々しく、巨体を宙に固定したラリオウスからは未だに権能の気配が色濃く残っていうる。それを悟ったサダルメリクはケモノオロシを掲げて、権能に備えたが――。


「――ヤッバ」

「~~~~~~~」


 轟く雷鳴に似た咆哮に遅れること数瞬、暴竜は竜の見た目に違わず口から紅い炎を吐いた。いや、本質的にはそうであっても、もはやこれを炎と呼ぶものはいないだろう。高度に圧縮された炎はすでに刃の鋭さと獄炎の熱さをもっており、一条の光線となって大地に降った。暴竜の顔が縦に振られると、それにつき従う紅い炎の光線は砂漠を縦に裂いた。


 砂漠に刻まれた亀裂の淵が太陽光を強烈に反射しているのは、異常な高温にさらされた砂礫されきに含まれていた二酸化珪素が硝子ガラスとなったためだ。硝子ガラスは千度を超える熱量で溶解するという。裂かれた断面の硝子の肌膚グラススキンはその証左に他ならぬ。げに恐ろしきは、そのような熱量を生み出すラリオウスの異能か。


 炎が奔る刹那――。ラリオウスの権能の正体は分からぬまでも、たゆまぬ鍛錬の末に手に入れた剣士の勘は、己の身体がケモノオロシごと散華する運命を前知した。重いケモノオロシを捨てて、脳から理性が希釈された剣士は生存本能のままに、閃いた炎のカッターを躱した。それは回避と呼ぶにはあまりに稚拙な運任せも甚だしい、本能から来る焦燥感から身を投じた結果だったが、僥倖ぎょうこうにも彼は劫火のギロチンの刑罰を逃れることができた。


 だが、生を拾った生存本能の遮二無二な行動の末、彼の身体は砂漠に投げ出された状態にあった。身を起こすまでのいとまを狙って、暴竜は墜落する稲妻の勢いで猛禽の如き急降下を見せた。


 鳥類の脚に見立てた後ろ脚の爪が、地を這うしかないサダルメリクの身に降り注ぐも、そうはさせじと彼らを分かつ空間にサイクロップスの車体を無理矢理ねじ込む。いくら砂漠を統べる暴虐の王とはいえ、急降下による速度に眩み視界を狭めた状態では、死角から接近したサイクロップスには気づかなかったらしい。


 暴竜は無粋な乱入者に対して身を躱すことも標的を代えて襲うこともできずに、開いた後ろ脚の爪を電磁ロッドで受け止められた。


「――」


 瞬間ごとに変化する荷重の中で勘任せに無限軌道を操作して、暴竜の勢いもそのままにそれをいなす。重力の手招きと神門の手引きが相乗効果を生み、巧みに猛襲の方向性を狂わされた暴竜は砂礫されきにその体躯を打ちのめされることとなった。


 その絶好の機会を近くにいたサダルメリクが見逃すはずもあるまい。大地に伏せたラリオウスの身体を、後ろ脚から駆け登り、背なを奔り、無防備に晒した後頭部に向けてケモノオロシを振り下ろす。当然、生け捕りが目的である以上、この箇所を断ち切ることは避けねばならない。必然、刃の無い峰か身幅か或いは柄で叩くことになるが、この度のサダルメリクは身幅での打ち据えを選択した。


「ドッラア!」


 裂帛の気合と共にうなじに振り下ろされた鉄塊の一撃は、狙い能わず暴竜の首を打った。逞しい首とはいえ、残獣剣の過度な質量による衝撃を受け止められる器量はなかったらしい。ラリオウスは前後不覚の状態に陥ったとみえ、その動作は曖昧なものへと変化していた。そして、そこに勝機を見た。


「今だ! 畳ムっみかっけルルル……ルァア!」


 これ以上ない勝機を見出したのは神門だけではなく、剣士の嗅覚でそれを嗅ぎ分けたサダルメリクが興奮に噛みつつ声を上げた。要領を得ない発言だったが、その言葉が「畳みかけろ」という意図で発せられたことを察していたのだろうか。応じるように、カウスメディアが圧縮空気でラリオウスの四肢を捕らえた。


「捕まえたよ」


 大気圧で相手を捉える権能の技は、十全な状態ならば及ぶべくもないだろうが、現在の朦朧とした暴竜には覿面な効果で自由を奪った。見えぬ枷に本能的に逃れようとしているのだろう。ラリオウスが巨躯をうねらせてあがくも、現状では拘束を引き千切ることもままならぬ。当然、覿面な効果を及ぼしたといえども、意識が回復すれば卓越した体機能の総てを費やして、大気の桎梏しっこくを脱することは可能だろうが、それまでにどれほどの時間がかかるか。もって数秒か。だが、数秒――完全に回復する前の暴竜ならば、それだけあれば……。


「も……っぱーーつッ!」


 拘束されているとはいえ暴れるラリオウスの背は嵐に翻弄される小舟に等しい。いつの間にそこから逃れたのか、大地を二本の足で踏みしめたサダルメリクが殴りつける要領で、ラリオウスの横面をケモノオロシでしたたかにはたいた。肉体的にも精神的にも無防備だった暴竜には、攻撃を避けることも前脚で防ぐことも、来る衝撃に備えて膂力で反発して受けることもできなかったに違いない。それを証明するように、折られた頑強なきばと鱗の破片がくるくると、宙に繁吹しぶく血で幾重もの円を描いた。


 朦朧に重ねられた打撃で、暴竜に与えられたスタン効果は厚く上塗りされ、復旧に更なる時間を要する状態に陥った。眼を見れば明々白々だ。あれほどの嗜虐と傲岸に光っていた瞳が、今や胡乱な色も濃く染まっている。


 神門は残された左手に握られた電磁ロッドを構え、その先端をラリオウスの堅固な鱗皮りんぴへと差し出す。接触の刹那とき、左の操縦桿の引鉄ひきがねを引くと、連動して電磁ロッドを掴んだマニピュレータが柄を捻った。迸る雷電に、平時ですらくらむほどの昼の砂漠が彼らの周りをなお眩しく彩る。頭部を揺らす鉄の衝撃に、続けざまの電撃の責め苦を与えられた暴竜は如何なる思いを抱いたのだろうか。或いは、既に意識の閾値の波間の下にあったのだろうか。


 そして、この二度と無い勝機を最後に飾るのは、オリヴェイラの銃撃だ。彼のオーデルクローネは、右手に麻酔弾を装填した大口径拳銃、左手に通常弾のサブマシンガンを装備している。


 右手に新しく構え直した大口径単発拳銃シングルショットピストルは拳銃と呼ぶよりは小型ライフルに近く、実際にライフル弾の発射も可能なモデルだ。単発銃特有の最低限の機構と精度を要求された銃身は、極めて単純な構造だがその分強固で故障も少ない。扱いづらい単発銃を採用した意図は、如何なラリオウスといえども大量の麻酔弾の前にはショック死の可能性もありうる。ならば、一発を確実に撃ち込んだ上で、更なる銃撃を加えるか否かを判断しようというものだ。


 だが、外した場合や牽制が必要な場合も少なからず存在する。そこを考慮して、神門はオリヴェイラに二挺での攻撃アタックを提案した。元々、人間のそれに比べ、MBの人工筋肉はかなり強力だ。基本的には火器の類は両手保持が推奨されるが、実際には片手ずつに火器や刃物を持たせても、それが余程の大型武装でない限りは充分に扱いきれる筋力がある。


 ラリオウスの自由を奪い、征く路に弊害も無い。回転する無限軌道に砂礫されきを巻き上げさせながら、オリヴェイラの下知に従ってオーデルクローネが奔る。


「撃てェェエ!」


 響いた声はカウスメディアのものか。


 射線にはラリオウスの姿と背後から存在を誇張する青空と砂礫されきの大地のみ。人工の鳴神に鉄槌を下された暴竜へ、絶対の距離を見定めたオーデルクローネが一発必中の祈りを込めて銃爪を引いた。

 撃鉄に叩かれた雷管が種火を起こし、即座に火薬ガンパウダーが反応する。


 単発拳銃シングルショットピストルに装填された一発の麻酔弾が怒轟の声も高らかに、先ほどサダルメリクが殴りつけて鱗が剥がれた皮膚へ着弾した。皮膚と衝突した弾丸は、弾頭に仕込まれた針――それも特注のものだ――が刺さり、麻酔薬を注射する。スタン効果が今だ及んでいるらしく、暴竜は大気の縛り付けもあって、痙攣を繰り返している。どうやら、薬効が充分に及ぶまでは保ちそうだ。


 さしもの大口径の銃弾、さしもの特別製の注射針といってもラリオウスの固い鱗を貫けるかといえば、疑問があった。部位によって違いはあるにせよ、尾を破断しようとした大剣が欠けるほどの硬度だ。そこで、鱗が剥がれた部位への射撃を検討していた。前回の戦闘がなければ、この結論には至れなかっただろう。これは先の敗戦の経験と情報が生み出した、脆弱な人間だからこそ到達した勝利だ。


 やがて、次第に緩慢になっていったラリオウスの動作が静止した。どうやら、麻酔の効果が完全に満ちたようだ。念のため、近づいて検証してみたが、暴竜はその凶暴性を忘れたように沈黙している。


「完全に寝入っている」


 神門の確認を聞いたオリヴェイラは厳かに告げた。


「――状況終了」

「ウォォォォオオオーー!」


 サダルが天を仰いで勝鬨を上げた。


 オリヴェイラがオーデルクローネの背面装甲を展開して外に出ると、カメラアイの向こうにいたラリオウスが横たわっているのが目についた。カメラアイに希釈されていない《ヽ》の凄みは、意識を失っていようともまざまざと肌に伝わってくる。こんな怪物に生身を晒して戦っていたサダルとカウス両名に感服する。


 砂礫されきに降り立つ。サイクロップスからまだ出てこない神門は、捕獲部隊へと連絡しているのだろう。外から見れば、右腕を肩から、そして腰部の一部がえぐられたサイクロップスの姿が、彼らが如何な死線をくぐったのかを生々しく瞳に訴えかけてくる。


「わああああ!」

「おぶっ」


 物思いにふけっていた意識が、カウスが身体に飛びついた衝撃に現実へと戻ってきた。


「いやあ、やるもんだね。最初、銃器使うなんて洞窟で頭打ったのか心配したけど……」


 にんまりとした笑みを浮かべるカウスメディア。この笑いをする時は、誰かをからかう時の彼だ。だが、彼の笑いがオリヴェイラを標的にしようとまさに舌にまで出かかった時、拇指おやゆびを暴竜に向けたサダルメリクが遮った。


「サダル、悪いが話は後だ。叫んじまった俺が言えた義理じゃないが、さっさと撤収した方がいい。暴竜こいつがまた暴れだしたら事だし……」


 オリヴェイラへと視線を向ける。


「オリヴィーが銃火器を使っていたことがバレたらややこしい。世間は俺たちみたいに見る奴ばかりじゃない」


 いくら権能を持たぬといっても、仮にも王族であるオリヴェイラが銃火器の類を使用していたとなれば、オリヴェイラの身辺が危うくなる。そのことについての危惧だった。


「……まあ、確かにね」


 カウスにしても、そこに異論はないようだ。いつの間にやら、サダルが投げ捨てていたレスピレーターを拾っていたらしく、持ち主へと投げ渡す。


「じゃあ、余韻に浸りたいのは山々だが、速やかに撤退するぞ」

「これから、運搬部隊が来るそうだ」


 結論を出したタイミングを見計らったように、声が降ってきた。見やれば、いつの間にか後部装甲を展開していたのか、上から神門が見下ろしている。


「よし、明日の事もあるし撤収するか」


 オーデルクローネに乗り込み、認識票を操縦桿の付け根に挿す。速やかに起動したMBでカウスを浚って歩き出す。神門のサイクロップスの左腕にはサダルが座っている。


 長居は無用だ。地に伏して夢幻の世界へと旅立っているであろう暴竜を残し、二台のMBは無限軌道を作動させて、背後に砂と礫を飛ばしながら礫砂漠を奔りだした。

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