咆哮

 機兵――可変型航空航宙戦闘機――に似た寸法の黒い人型機械が、宇宙空間を航る。しかし、この人型機械、尋常ならざる科学力の産物であると、見る者が見れば看破できる代物であった。


 つなぎ目がほとんど存在しない関節部は、躯体フレームの上から柔軟性を兼ね備えた皮膚装甲を塗布しているのだろうが、エネルギー消費の激しいそれを採用するからには、高性能な機関を備えなければならぬ。さらに、オーバーサイズな脚部には高速戦艦の速度を遥かに凌ぐ巡航速度を支えるスラスターが存在している。


 それらのエネルギーの消費量を上回る機関を備え付けるとなれば、とても一五メートル級の人型機械に採用などできぬ大型かつ高価格の機関となるのだが、人型機械にはそのような機関部が存在していないかのように洗練され、あたかも理想的に鍛え上げられた武芸者の如き威容があった。


 人型機械が目指すのは、ある星系の小惑星群だ。ここには、結社の秘密施設ロッジが存在していた。小惑星群は遠間から見れば、様々な色を孕んだ帯であるが、接近すれば散りばめられた小惑星との衝突で命を奪われる危険宙域である。


 しかし、人型機械は意にも介さぬとばかりに真空の海に浮かぶ岩礁へと飛び込んでいく。小惑星帯は大小様々な、それこそ山脈に例えられる規模から小石程度までの岩石で構成されている。小石ほどといっても堅牢な物質で構成され、相対速度も伴えば、まさしく魔弾もかくやといった破滅を招く破壊力を帯びるのだが……。


 破壊の礫を痛痒にも感じていないとみえ、一直線に人型機械は進む。己の規模ほどの小惑星さえも覇道を阻むことはできず、むしろ千々に砕かれた小惑星は波紋状に礫を飛散させた。


 覇道を進む人型機械の前に、規模・質量ともに数倍した小惑星が塞がる。だというのに、相対速度は致命的なまでに――。


 突如、空間を揺るがす咆哮こえ。それは断じて、大気を振動させるなどといった尋常の咆哮こえでは断じてなかった。そもそも、真空の大宇宙で咆哮こえを伝播させる媒介が存在ない。であるのならば、これは……。


 人型機械は今や一頭の獣と化していた。過剰な熱を排気するために転化された光エネルギーが爪となり、被毛となる。展開された顔面が、開かれた顎門あぎととなって口内から迸る光を放つ、まさに獣といった様相だ。


 咆哮こえひずみを喚び、小惑星が滲んでいく。滲みに応じて、堅固であったはずの岩石にまたたく間に亀裂が生じ、そして――破裂。信じがたいことに、人型機械の数倍もの規模を誇っていた物体は無数の塵埃と化して、幽き恒星の光を反射するもやへと変じた。当然、獣となった人型機械の行く手を阻むなどできようはずもなく、推進力で蹴散らされて小惑星の名残りは雲散霧消した。不可解な現象を引き起こした猛獣じみた人型機械にとっては当然の出来事か、無感情かつ一直線を辿る機動には些かほどの変化もない。いつしか、獣と化していた人型機械は元の人型たる姿を取り戻していた。


 この小惑星帯において最大の小惑星――テリオスX2に人型機械が近づくと、ビーコンの光が誘導路を描く。そう、秘密施設ロッジはテリオスX2の内部をくり抜いて建設されていたのだ。ビーコンに従い、ロッジ内部の駐機場に着艦ヽヽした人型機械のちょうど胸部装甲辺りへと舷梯タラップが伸びる。

 胸部装甲が展開され、ライダーが姿を現す。その姿をどう捉えればよいのか。逸脱した権能をもつ機械であるならば、その騎手もまた尋常ならざる者でなければならぬというのか、ライダーは一切の肌膚を見せずに甲冑を着ていた。いや、正確には甲冑ではない。甲冑とは癒着するものではない。ライダーの身体と同化した鎧はすでに鎧ではなく、ライダーの肉体そのものである。


 白い装甲は身体の描線に限りなく近く、薄く艶めいていた。前頭部から頭頂へと突起が伸び、そのまなこは無機質な深紅に光る。瞬きをしない、仮面の瞳。そして、それと同じ色をしているのは丹田に埋め込まれた玉は、彼――或いは彼女が常人ではない証左か。黒い軍用外套マントをまとったライダーはおもむろに乗機から、舷梯に脚を下ろした。


「久しぶり、狼我ランウォ


 舷梯の手すりに腰を下ろした少年が、白いライダーに声をかける。おどろに波打ち逆立った金髪の少年はライダーと比べるべくもなく人らしい姿であるが、身の内から放たれる狂気のほどは勝るとも劣らぬ。それもそのはず、彼もまた尋常な身の上ではない。殺戮を忌避として感じぬまでに倫理性を欠如させ、更に戦闘に対する才能を可能な限り向上させた、悪魔の申し子――戦闘特化型被造子デザイナーズチャイルド。宇宙用ライダースーツを身に着けた彼の名は――


「……ジラ・ハドゥ」


 狼我ランウォと呼ばれたライダーは、しかしジラを存在しないものと弁えているのか、彼の前を通過する。


「待てよ、蠱毒」


 むべもない態度に気分を害したとみえ、悪魔の申し子は狼我ランウォを先程と異なる名で呼び止めた。奇しくも、その響きはプラメテルダ銀河において禁忌の一つとされているものだった。たして、ジラの言葉に白い人狼は歩を止める。


オレは貴様にかかずらっている暇はない。快楽戦闘狂マニア

「それはお互い様だけどねぇ。認めろよ、蠱毒。君の手には汚染された君の兄弟の黒い血がこびりついてるのさ。何十もの……何百だったっけ?」


 黒い軍用マントが翻る。途端、駐機場の大気を震わせたのは、狼我ランウォの右の豪腕だ。てらいなく振るわれた腕は、しかし人類の限界を超え、総身義体者パーフェクトサイボーグ――生体脳と脊髄以外の生体器官オリジナルパーツの七〇%を機化ハードブーステッドした人間――クラスの、生身には触れるだけで致命なり得る脱魂の一撃と化していた。


 振るわれた鉄腕に一拍遅れて、圧された大気が身を捩った勢いで、宇宙施設ではまずありえぬ豪風が吹き荒び、狼我ランウォの軍用マントとジラの金髪をなぶる。げに恐ろしきは、勁力を練らずとも人体を千切るに足る膂力を持つ白き人狼か。


「ちょうど、このライダースーツ暑かったんだよね。扇いでくれてありがとう?」


 であるならば、致死の一撃が呼んだ業風をその身に浴びて、なお無傷の者もまた、人を逸脱した畏怖の対象と言えよう。


 そう、生身の人間をいとも容易く解体し得る暴虐の豪腕を、しかし、ジラは超人的な反射神経で避けていた。それどころか、一瞬でも誤れば我が身を滅ぼしていた圧倒的膂力の持ち主を、なおも挑発する。あまりに傲岸たる精神性は天上天下に我のみが尊しと、語っているかの如く。なるほど、確かに尋常の人物ではないのだろう。


「…………」

「フン、やるのかい? ここじゃ狭いと思うけど……それでも、僕は一向に構わないよ」


 笑むジラからは、表情に見合わぬ殺気が迸っていた。酸素を奪っているかと錯覚するほどの重圧は、ジラの身の丈を横溢してなお足りぬとこぼれ続ける殺意の瘴気。一方、白い人狼は無機質の中に眠る獣性が、己を闘争の喜悦よろこびに打ち震えさせていることに気づいた。


 一触即発の重圧は空間さえも侵食して歪め、たわめ、にじめしめる。ずずず……と何処からか轟く重音は、圧し潰されようとしている空間の必死の抵抗なのだろう。もしくは、圧し潰す殺気が質量を増していく轟音か。


 こうなっては、もう誰にも止められない。止められる者がいたとするならば……。


「双方、そこまでだ。遊ぶのは勝手だが、命のり合いはすでに遊戯の域を踏み越えているからな」


 麗らかな春の日差しを思わせる涼やかな声が、悲鳴を上げていた空間に沁みゆく。途端、苦痛に歪んでいた場が一挙に広がりを見せ、先程までの駐機場の光景が蘇った。


 そう、引き返せぬまでに殺意の坩堝るつぼに傾斜していく両者を止められる者がいたとするならば……両者を超越する者以外ない。いつの間に姿を顕していたのか、舷梯の操作盤に美丈夫が腰を預けていた。そう、吸血鬼だというのに太陽もかくやといったまばゆさという二律背反の妖しい美貌の持ち主は、その優雅さと裏腹に両者を相手取って、なお勝利を収め得る実力の持ち主でもあった。


 メルドリッサ・ウォードラン。ローブのような黒いロングカーディガンの下には、長衫を意匠化した赤いロングシャツが滑らかな光沢に流れている。そして、黒いハカマパンツには金糸で精妙な刺繍が施されていた。華美とさえ言える服飾だが、それでも一切の外連が感じられぬのは、太陽に背を向けた吸血鬼がむしろ自らが太陽であるかと主張するかのように、燦々と眩い気配を放っているからであろう。


 そして、彼の傍には、栗色の髪をシニヨンで纏めた少女が侍ている。少女が着ているモードブランド製の黒い旗袍チーパオ天鵞絨ベルベットの生地に匠が縫い付けた、紫糸の複雑精緻な刺繍が華やかながらも過ぎない程度に抑えられた気品を馨らせる逸品だ。スリットから華奢な脚の描線が艶かしく覗き、年齢に見合った美しさと見合わぬ色香が揺蕩う。傾城の……と冠をつけても差し支えない美しさを、彼女は持ち合わせていた。


「ジラ、貴公が出迎えるとは聞いていなかったぞ。いらぬ挑発は貴公の短所だ。直したまえ」 


 メルドリッサの涼しい声が柔らかく吹く風の如くに、キャットウォークを満たす。すでに、美鬼はいながらの気配だけでこの場を支配していた。


 毒気を奪われた狼我ランウォは知らずの内に構えを取ろうとしていた腕を下ろす。安い挑発のためにメルドリッサをも相手にするのは愚策だ。いずれは超えるべき相手として認識してはいるものの、未だ実力は彼が上回っている。単なる、たかが吸血鬼ヽヽヽヽヽヽ。膂力も、能力も、持久力も、耐力さえ人狼が勝っている。……だというのに、メルドリッサはその身に修めた体術だけを以って狼我ランウォを打倒する。


「へえ、矛を収めるの? 犬はご主人様の言うこと聞くっていうけど、狼もそうだったとはね。それとも、きばを無くして尻尾巻いちゃったのかな?」


 悪魔の申し子のあからさまな侮蔑と嘲笑に反応したのは、意外にも狼我ランウォでもメルドリッサでもなかった。


「……なんだい、端女」


 栗色の髪の少女がジラを睨んでいた。むしろ、顔の造形や身から馨る品から、怒りを顕すには些か以上に迫力に欠けてはいたが、吸血鬼特有の緋色の瞳の輝きが人外の者が持つ怪物の気配を漂わせていた。


「ジラさん。メルドリッサ様の仰ることは従うべきですわ。貴方の絶対的な矜持はわたくしも認めるところですが、自らよりも強者に向かって吠え立てるのは気の小ささの証拠です」

「上等だよ……」


 金髪の悪魔から、濃密な瘴気が質量を孕ませて溢れ出る。おもてには、眼前の美しい少女を殺戮する予感に貼り付けた笑みと爛々と光る瞳。


「ジラ・ハドゥ。やめておけ」


 メルドリッサの再度の咎めに、ジラは承服しかねるといった態度で舌を打つ。反抗性の強い彼に、少女――アリアステラが可愛らしく頬をふくらませる。


 ――もとよりその傾向はあったが、飛海塞城の一件からかなり自我が強くなってきたな。


 手ずから調整を行ったジラがその圧倒的な自負から、制御を超えていく可能性について、メルドリッサはもとより承知していた。しかし、それを良しとしていたのは抑圧からの解放、そして被造物は常に創造主の想像を超えていくものだと、彼が弁えていたからだ。


 ――むしろ、吉兆なのかもしれぬ。超越を志す……覇道を征く者としての気概が確かにあるという証左なのだからな。

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