黒鴉

 轟音の雄叫びがノルトルダイムの街を響かせる。土煙を友として、巨大な陰翳が姿を顕わとした。陰翳に似合わぬ細身に不似合いとも言える黒く重圧感のある装甲。翼竜を思わせる尖鋭的なデザインの石像機はその翼腕を振りかぶってきた。翼腕が割れ、内部から超振動デバイスが大気を燃やして赤く染まる。巨人級翼竜型――一〇~二〇メートル級の石像機の翼腕ともなれば、人の身の丈など超えてゆうにある。圧倒的質量の暴力の前では、カリアティードの身など粉砕し骨すら残らぬ。


 瓦礫の下にはカリアティードの墨色の血の河が流れ、翼腕の通過で体躯をえぐり取られた軀が散らばっている。これぞ、翼竜の姿をした石像機がまさしく破壊の権化である証左、絶対強者である権能と言えた。


 しかし、その絶対的な翼腕の一撃も身にこうむればの話だ。散らばる塵芥の中、女性の陰翳がある。かつて砦だった瓦礫が襲いかかるも、精妙な身体操作で袖にする姿は踊り子の如く。紫の髪が銀の飛沫を打ち震い、複雑な色彩を放って煌めく。


 如何な巨体、如何な威力と言えども、体躯故に空気抵抗をはじめとする諸々に雁字搦めとなり、一定のモーメントを必要とする器械ともなれば、木偶ならいざしらず彼女――久遠には通じぬ。


 一度に駆け抜けた後を追ったかのように、巨翼が地を叩く。途端、逆流れの瀑布よろしく土砂が翻り、世界を灰と砂に染める。だが、彼女の服飾に埃を付ける以上の効果をもたらすことはなかった。


 黒い衣裳に付着した埃はひどく目立つ。久遠は相貌には無表情を固定したまま、はたき落とした。


 黒を基調としたドレスは、特殊な刺繍技術によって支えられている。胸元から腹部まで開かれて麗しく象どられた肌膚はだえを顕らにしている。背中も同じように切られたように、黒い衣裳が黒い肌を浮き上がらせる黒白モノクロームに色の抜けたからこそ成り立つ麗美が存在した。


 波打つ襞ドレープのスカートと、その下には複雑な模様パターンに織り込まれたレースのシースルースカート、加えて編み紐のように幾重にも垂れ下がったコードが霊妙な陰翳シルエットを構成している。


 これも、かつて秋津モード界において山中雅と双璧を成し、一世を風靡したClaudius5クラウディウス意匠デザインだ。独自の縫製法を用いた独創性と何処か廃頽の趣が見られる意匠は、山中雅にも無い仄かな倒錯感が馨る逸品である。


 黒に黒を重ねてはいるが素材の違いも相成り、玄妙な統一感がありながらも、決して一辺倒の黒ではない色景色がそこにはあった。だが、華美な服飾にも外連を感じさせぬ久遠本人の見目麗しさに、何処か計算された美を感じるのは果たして錯覚か。


 無謬とさえ言える鮮烈な均整は、確かに計算されたデザインからのみ生まれるレースの妙に近しい、自然物には構成できぬ人工物特有の整美だ。実際、彼女には――少なくとも、機化ハードブーステッドされていない生身ニュートラルボディのヒトにはあり得ぬ、人工器官が存在していた。


 品と質が両立された胸元には、紋章じみた形状に藤色の光が溢れている。また、身体の各部も同様の色を放つ物体が存在し、淡いながらも確かに自ら発光していた。更には、彼女の背中にもレース状に意匠化された脊髄が貼り付き……否、肌膚はだえの内から突き出ていた。


 久遠の視線の先、岩色の煙幕を切り裂いて翼竜が吼える。


 久遠は差し出した両手に、トリガーの前方にエネルギーマガジンを備えた拳銃を空間転移召喚/銃爪を引けば、紫光の弾丸が吐き出され、機械翼竜の黒い装甲へと吸い込まれていく。一定の破壊エネルギーを消化し、装甲に損傷を蓄積させて弾丸は朧の夢となって散っていくも……。なるほど、予想よりも堅い。


 ならばと、装甲の隙間隙間に見える細身のフレームに照準を変える。だが、ある種、身体の基部ともあって装甲よりは柔いと思われるものの、こちらも容易く破壊できる代物ではないらしい。


 翼竜という外観から想像される飛翔能力を捨てた、重装甲型――。単体で制圧するには、なかなかに骨の折れる相手だ。


 罅割れた路面を奔り、斜めに傾いた尖塔の壁面へと駆け上る。加速/加速/加速。後を追って、破断の刃がクレバスを刻んでいく。高速に高速を重ねた久遠に対し、翼腕の質量はあまりに莫大で……だからこそ、鈍重だった。


 しかし、軽んじるには危険な一刀であることもまた事実。機械翼竜は一撃で事足りるのだ。対して、久遠は連ね連ねる連撃に託すしかない。


 機竜は奔る久遠を追尾する無意味さを悟ったとみえ、翼腕剣を引いた。そして、久遠の進路方向――彼女の未来位置に設置する要領で翼を振るった。なるほど、機械竜の翼撃のモーメントと生まれる大気の抵抗を加味すると、翼腕は決して久遠を捉えうることはできない。だが、未来位置に死の翼を振るうと、蟲は自ずと死地へと飛び込んでいく。


 久遠の紫色の瞳が紅く煌めく。決して予想できぬ展開ではない。それならば、体躯で圧倒的に劣る彼女がどうして豪刀の脅威に無防備でいようものか。


 片脚で地――傾いたビル面を蹴る/しかし、一定の速度を得ている状態では慣性の軛は免れない/速度は目に見えて衰えたが、未だ剣の脅威から逃れたとはいえぬ/逆の脚で今度は方向転換/そして、墜落した振動デバイスは獲物を逃して空と壁面を斬る。


 刹那に近しい高速軌道。それを成したのは、刹那を掴む反射と認識力/そして、何よりもその身の粘りの強靭さだ。実際、高速戦闘を得意とした久遠でなければ、骨を己の筋力で捩じ切られても不思議ではない程だ。


 高速戦闘に特化した体躯――。これこそが、久遠の真骨頂である。そして、無謬の身体操作のさなかも撃ち続けた結果、巨人に僅かに動きに陰りが現れた。先程までは久遠の銃撃など何ほどものかと受け流し続けていた機械翼竜だが、執拗な針の一刺し一刺しに損傷が見られ始めたとみえる。僅差であっても、高速戦闘を旨とする久遠から見れば、大いなる空隙と化す。


 ここで、久遠は二挺拳銃を戻しヽヽ、今度は両肩に使い捨て対機械兵ロケット砲を形成/跳躍し、装甲の薄い首元へと発砲。成形炸裂弾によるモンロー・ノイマン効果により、装甲内側に向けて爆裂の衝撃波が翼竜のフレームを痛打する。用済みとなったロケット砲を手戻しヽヽ、再度形成。両肩に先程と同じ――しかし、装填されたロケット砲が姿を顕す。


 滞空しつつ、砲を続けざまに撃ち捨て、ロケット榴弾を連発。爆発の熱い風圧が久遠の銀の紫髪を撫でる。幾度も連ね撃ち、着地/突進。今度は重ライフルを形成。接近と同時に、牽制と呼ぶには些か過剰な火力を注ぎ込む。


 重ライフルは装弾数が五発。ロケット砲以上の反動で銃身が跳ね上がるが、握力と腕力で抑え込む。五発×二挺の計十発を撃ち出して、陽炎が放熱ジャケットから立ち昇っていた。


 たたらを踏むも、まだ佇立している巨大翼竜型機械。動きに鈍ってきたところだが、流石に分厚い装甲相手には至近距離からの減衰のない銃撃、あるいは質量と速度を兼ね備えた単純な打撃が必要だ。しかし、石像機に駆け登っての銃撃に移るには、未だ尚早だ。


 成形炸裂弾の爆煙と超大口径からなる牽制射撃で視界と動きを遮り、久遠は全力で駆け、スタン・チャフグレネードを投擲/更に――。スライディング/靴と路面が悲鳴を上げ、爆煙のそれではない焦げた臭いが鼻を突く/グレネードが炸裂。まばゆい光と電子撹乱の花弁が咲き乱れた。滑り込みつつも、体勢を反転/後にした道を眼にしたままで路面を削る。靴底に地を舐めさせ続け、再びロケット砲を装備。膝関節の裏側目がけて、左右のロケット弾を撃つ。


 翼竜型である故の陥穽。膝は重力という束縛に立ち向かっている強固さをもつが、反面、重力に逆らうベクトルを乱されれば容易く崩れる。例え地に膝を着けなかろうと、動きは寸毫の間、滞る。


 果たして、久遠の睨んだ通りに、翼竜型が動きを止め――美女が飛び石よろしく、ジグザグに跳び登っていく。首元には焼痕。榴弾の乱発が身を結び、遂には灼けた躯体フレームに亀裂が生じていた。


 強引に裂かれた隙間に捻り込むのは、電磁誘導弾が装填された刺突爆雷槍――〝不可視の雷霆ゼギルゼウス〟。折りたたみ式のパゴダ傘に似た形状のそれの柄を伸ばせば、確かに槍といってもいい長さへと伸長された。銃爪を引けば、傘の剣先から電磁誘導弾が火薬によって撃ち出される/躯体フレーム内部に割り入り、電磁誘導弾が破裂/強烈な電磁パルスが翼竜の躯体フレーム内部を蹂躙し、シールドされた内部機構ごと灼き尽くす。如何な機械翼竜と言えども、この電磁の猛毒にはひとたまりもない。電磁誘導という劇毒が内部機械機構を糜爛し、機能不全を起こしていく。止める手立てはない。いくら機械神経の反応速度と言えど、電流の速度で体内を蹂躙するパルスに抗するには明らかに遅い。


 金属同士が軋む音色が断末魔となって廃墟の街に響く。傍らの砦を犠牲にして、翼竜型石像機は機能停止/崩れ落ちた。砕ける石壁/崩れる木材/砦が割れる/雑多な構成物の音色が幾重もの蕭殺たる和音となって、建築物由来の塵芥が街頭に立ち込める。


 規模を鑑みれば針の如き、突き立てた刺突爆雷槍〝不可視の雷霆ゼギルゼウス〟を引き抜き、慣れた手付きで折りたたむとスカートの内側――太腿に仕掛けた鞘へと収める。


 石像機は完全に沈黙した。この街ノルトルダイムのエネルギー事情の今後は明るくないが、差し当たっての脅威は久遠の手によって拭い去られたのだ。周囲には、痛みに呻しかない哀れな声と漂う黒煙。戦いを終えた白い鴉は煤に塗れて黒く染まるも、そこに感謝の声はない。むしろ……。


「……どうして早く来てくれなかった」

「あの――ファザード!」

「まさか、シメール……! 忌まわしい〝黒い鴉〟!」


 怨嗟の声、それに――石像機と同様か、それ以上に忌むべきものを眼にしたような脅えのどよめきを浴びる久遠。黒く染まった鴉は足元に蹲る黒い石像機と同じ――忌避たる黒。


 純白いろ失っそめた鴉は空を見上げるも、曇天は常と変わらず。灰色の天空を刺す柱は今日も地上を俯瞰して佇んでいた。

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