骨槌

 呀を失った錦蛇と爪を剥がされた魔獣の肉弾戦は、いよいよ佳境を迎えていた。


 大気を擦る豪腕の風切り音。痛みにあえぐ呼吸音。気を奮い立たせる鬨の声。劇場は二つが奏でる音色に支配されている。


「ッ!? ガッ!」

「ゴボッ!」


 互いに拳を交換し、共に蹈鞴たたらを踏む。示し合わせたように両者の上体が折れる。


 先ほどから同時に殴り合い、よろめき、悲鳴を上げる全身からどうにか力を絞り出し再び殴りあう、その繰り返しだ。両者共に立っているのが不思議なほどに満身創痍、繰り出す技の数々も見る影もない。


 パイソンが一張羅と称してたスカジャンは既にズタズタに破れ、もう衣類としての体をなしていない。破かれた肩口から、下に着込んだマッスルスーツから断線した白い樹脂製人工筋肉が飛び出している。今ではパイソンの筋力を助力するほどの機能が残されているのかどうか。


 ボブの方も見る限り無事とは言い難い。軍用コートはフードと片袖を失い、その下の刺青を施した人工皮膚も刺青のものではない、墨色の痣が至る所に見受けられる。更に、義血供給が滞った事から右腕が機能を失い、今は振り子のように頼りなく右肩からぶら下がっているばかりだ。


 にわかには信じられぬ事実だろう。


 たとえ総身義体が十全でなかろうと、戦闘能力に魔性の本能が裏打ちされたボブにとって、マッスルスーツを着た生身の人間など赤子の手をひねるに等しい。なのにも関わらず、信じがたいことに眼前の隻眼の男はボブと抗すどころか、対等の決闘を繰り広げている。

 もし、ボブ以外の総身義体者パーフェクトサイボーグ相手ならば、既に勝利を収めていた事だろう。


「てめぇ――っ本当に生身にんげんかァ……?」

「ハッ……! どうだろうなぁ」


 パイソンは嘯くと、鮮血が染め上げた歯を見せてわらう。いや、血染めは歯だけに留まらない。吐き出された夥しい紅が、彼の口唇から顎にかけてじっとりと濡れている。

 笑みを浮かべた時、またしても口唇が裂けたのだろう。更に口の端から新たに一筋血が垂れて、パイソンの顔面に横たわる紅い河へと合流する。


「ガァウァ!」


 魔獣が咆哮と共に貫手を放つ。奇しくも、パイソンに中断された飛海フェイハイ解放戦線での戦いの中、メルドリッサが繰り出そうとしていた貫手と同じ――角手つのでの形だった。

 肉厚な短刀ナイフの貫徹力を備えた穂先は、パイソンの心臓を指している。平素より鈍いとはいえ、生身を超越した速度のそれは、今のパイソンには回避しきれぬ必滅の刺突。


 はたせるかな、魔獣の刺突は生身の肉体に突き立った。パイソンの鼓動に併せて、真っ赤な血が床に落ちる。


 ただし、魔槍は狙った心臓ではなく、パイソンの左上腕に突き刺さっていた。


 なるほど、確かに今のボブの一撃、パイソンには回避できなかったとみえる。だが、それは完全には躱しきれぬというだけの事。致命性さえ回避してしまえば、一撃をもらったところで継戦は可能だ。

 総身義体の出力のベクトルは完全には逸らす事はできない事実はとうに承知で、パイソンは己に差し向けられた穂先をいなし、自らの肉体の致命傷となり得ない部位へと誘導させたのだ。


 己の一撃が無為となった事実に、ボブは反射的に身を引こうとする。

 当然といえば当然の事。いつまでも空虚な一撃を放ったままの無防備な状態を晒していられるはずがない。

 させじと、パイソンの左上腕の筋肉が緊張し、一瞬退くのが遅れる。同時、踵に絡まった脚に遮られて、ボブは後退を封じられた。


いってえ……なっ!!」


 頭蓋を揺らしたのは槌の打撃音。何たる暴挙か。マッスルスーツの加護も得ていない頭を、パイソンはボブの鋼化頭蓋へと打ち下ろしたのだ。


 当然の事ながら、生身の頭突きなど大したダメージになるわけもない。

 言うまでもなく、割れた額から血を滴らせているパイソンの方が被害は甚大だ。にも関わらず、パイソンは幾度も頭蓋を叩き下ろす。頭を振るうたび、周囲に鮮血の飛沫が舞い、たてがみも紅く染まっていく。

 ボブの顔もパイソンの血で真っ赤に濡れていく。だが、生身の男は委細構わず、肉で皮膜コーティングされた骨槌を振るい続けた。

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