キガミ

 自由落下に身を任せ、墜落しようとする神門を、ジラは苦笑しつつ見守る。


 もはや、趨勢すうせいは決している。

 彼らが足がかりにできるのは遥か夜の底にある大地のみだ。

 当然、この高度からでは、如何な奇蹟でもその身を生きながらえさせるのは不可能だ。人形さくやが神門へ手をかけ伸ばしているが無駄な事だ。


 全てを見届ける必要もないと判断したジラは、一瞥すると大仙楼へと向き直る。


 めきり。


 突然、頭蓋を軋ませる怖気が貫いた。


 背後――。反射的にその正体を見極めようと、発生源を睨む。

 

 ――なんだ?


 瞳なき怪物は全身を覆う棘皮きょくひで、光ではなく存在力でものをる。

 仮に光が閉ざされた空間であっても、逆に眩い光に包まれた空間であっても、怪人ジラは照度などに惑わされず、詳らかに全てを見通せる。にも関わらず、一瞬、瞳が眩むに似た感覚に襲われた。


 双子月が見守る夜空そらに黄金の光も眩く浮かぶ太陽。


 無論、真実の太陽ではない。世界から横溢しそうなほどに暴圧的な存在力に、ジラの感覚器官が圧迫されて、麻痺したのだ。


 ――莫迦な。


 まさしく、莫迦な話だ。如何な光華であれ、存在力の感触で実体をつぶさに捉えるジラのくらませる事はできぬ。

 だが、それでも見えぬという事はあの太陽が、ジラの格をも越えた存在という事実を意味する。


 強い光にかぶりを振るように棘皮を細かく痙攣させて、再度、ありえぬ太陽をる。瞳孔を縮小させるように棘皮が感度を落としていくと、やがて存在力の感触が正体の姿を結んだ。


 ――なんだ?


 自ら発光しているような燦然たる存在感にも関わらず夜空を切り取った、艶の乏しい人型の闇色。一七メートルそこそこのスケールのそれは至る所から輝く霧を漂わせて、玄天に降臨している。


 生物的でもあり機械的でもある曖昧さとは裏腹に、それが放つ存在としての質量はまさに恒星すら及ばぬのではないか。

 背中に背負った機械式時計の内部機構ムーブメントに似た光背の構成部品が複雑に絡み合いながら蠢き、その外観を変化させ続けている。接地部分の乏しい脚先には、蓮座じみた二重の同心円が浮かんでおり、それがあおる形で主に光を照らしている。


 その姿は宇宙の創造者もかくやといった神々しさを顕していた。


 怪異にジラは――目があったればだが――目を瞠る。自らも人の世の常識とは反する存在とはいえ、このような事態はジラも初めて眼にし、また聞き及んだ事もない。


 圧倒されるジラの意識だったが、彼の脳内の冷静な部分は健在だった。

 それが告げる。

 彼我の距離から見て、たとえ気を抜いていたとしても、ジラが眼前の個体の接近を見逃すわけがない。更に平時と違って、今の彼は光の湾曲に惑わされない棘皮かんかくきかんを備えているのだ。

 空間投影による映像では断じて、無い。


 彼の脳が推理に高速回転を始める。

 空間跳躍? 瞬間転移? 前者ならば予兆が、空間に揺らぎが発生する。後者にしても転移の際、存在力の急激な移動で察知できる。だが、こいつは突然顕現した――。


 どう考えても得心のいく結論が出ない事を察したジラは、考察を打ち切った。それよりも、今は眼の前の正体不明の巨人だ。


 ジラの兵器システムとしての闘争本能が点火された。


 先ほどの龍神神門はどうも味気なかった。口直しのデザートが自らやってきてくれたのならば、こちらとしても拒む理由はない。


 理解の及ばぬ存在を眼の前にしながらも、ジラは己の敗北など可能性すらも考えてはいない。そもそも、今のジラは光速の針を射出する、魔弾の狙撃手。恐れを抱く道理があろうはずもない。


 内部で練り上げた存在力が顔のレイサー発振部の中心へと螺旋を描き、断頭台の刃が光となって収束していき――。


 触れるものを刺し貫く灼熱の刃が今、夜気を裂く。ジラをして会心、絶対不可避の絶望の光。


 正確な狙いで発射されたレイサーの熱光線は、黎い個体から身を捩り、分解して幾条もの稲光となって拡散した。まるで、射干玉を照らすには力不足と悟ったレイサーが自ら避けたかのように。


 ジラは己の必殺を期した一手の末路に心を奪われた。

 時間にして一秒にも満たぬ空白。だが、意識はともかく、彼の棘皮きょくひは一瞬たりとも――表現としては奇妙だが――目を離さなかった。


 顕れた時と同様、突然に黎い奴の存在力が移動した。動きは捉えきれなかった。


 移動の過程が抜けているとしか考えられない。認識と同時に、遅れてあおられた夜気が流れるのを感じた。あたかも、物体が高速移動した際、空白になった層へと流れこむ大気のように。

 否、まさにそのものだ。


 怪異極まる無拍子からの超速機動。

 対策はおろか、正体すらつかめない。


 身体の内部を瞬間冷却された悪夢の絶望感が襲いかかる。ジラには初めての感情だ。

 寒々しい身に凍えた心臓は早鐘を打っているのに、頭蓋は驚くほど熱い。熱病に罹っているかのようで。これも初めての感覚だった。


 ――背後ッ!!


 未体験の感情と感覚に焦燥を抱きつつも、振り返る。だが、流石はジラと言ったところか。戦闘兵器として研磨された彼の本能は、即座に次弾の装填を行なっていたのだ。


 近い。


 巨体同士の視点から見れば、触れるか触れないかの距離。

 ジラは先程までの光の矢とは打って変わって、レイサーを凝縮させた光球を形成した。青白い太陽もかくや、それは夜の色を変えて燃え上がる。


 近場の黎い個体を呑み込んだレイサー球はなおも圧縮され、総てを融かし尽くす炉心と化した。この超高温の坩堝から脱却できるものが存在しようものか。


 だが、現実は再度ジラの予測を裏切った。


 到底考えられぬ現実。しぼみゆく風船みたくレイサー球はひずみつつ、規模を縮小させていく。

 ジラの棘皮きょくひはレイサー球の存在力が何処かへ引きずり込まれていくのを察知した。ずるずると青白い光が収まり、黎き個体が再び姿を現す。

 その弛緩した右腕末端、掌へと光球は吸収されていく。


 ――まさか。


 ジラはある驚嘆すべき推察に至った。光をも呑み込み引きずり込む、世界に開けられた穴。


 超圧縮された天体の行き着く果て――ブラックホール。


 天体クラスから見れば極小といえるが、二〇メートル前後のスケールから見れば脅威そのものだ。

 夜よりもなお闇、なお黎。

 世界に滲んだ墨色が総てを融かす青い太陽を喰うそれは、光を発しない黎い太陽を思わせた。


 光球を完全に呑み込んだ世界の空隙は溜飲を下げ、黎い個体の掌へと沈み込んで消えた。何事も無かったかのように佇む個体だけを残し、破壊の太陽は事象の地平線へと立ち去ったのだ。


 鎧袖一触とはこの事か。

 茫然自失としたジラは黎い個体が眼前に迫るのを、呆然と見守る他なかった。

 ゆっくりと近づく――否、おそらくはジラを意に介してはいまい――個体に接触したジラは、存在としての質量に轢かれ、神の怒りに触れた堕天使もかくや、夜の水面へ手を伸ばして聳える大仙楼の壁面へと墜落した。

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