誘引

「はぁはぁはぁ……」


 息が切れる。徒手空拳の心得はあるが、それにしても剣のそれに比べればあって無きが如く、だ。

 庭園を抜けた後、しばらくは衛兵と遭遇する事はなかったが、それも王宮から脱するまでだった。王宮の壁を越えた途端に、衛兵が押取り刀で追いかけてきたのだ。


 どうやら、遅まきながら命令が下されたらしい。

 慣れぬ徒手空拳で衛兵を撒きつつ闘うのは至難の業だった。同じ王国の兵士、出来れば殺したくはない。我ながら甘いとは思うが、そんな自分が嫌いではないのだから始末に終えない。自嘲に口が笑みの形となる。


 王宮から逃れたサダルメリクは今、人通りの多い旧市場オールドヌクースに身を潜めていた。木を隠すなら森の中というのは凡庸な考えだが、それだけに普遍的でもある。

 それに加えて、王宮の外ではサダルメリクをおおっぴらに追い回す事はできないだろう、という予想が功を奏した。王宮内ならば、サダルメリクを殺害して隠蔽工作を行うことも可能だろうが、街中ではそう簡単なものではない。

 人にまみれて暗殺、という手も無くはないが、先ほど王宮から脱出したサダルメリク相手に、そこまでの手配が出来るとは到底考えられない。


 となると、何らかの嫌疑を着せて捕える腹か。

 だが、キングダムガードが犯罪を犯した場合、法的にまずその主――オリヴィーに裁量権が与えられる。


 この場合、裁量権の及ぼす範囲には『罪が確定するまでの身柄の確保』が含まれる。如何な国王であっても法律の力には平等だ。

 王宮内での暗殺に失敗した以上、サダルメリクの身柄に危害を加えることは不可能だろう。


 そして、最年少キングダムガードとして名を馳せた彼は、市井の臣にもそれなりに知られた存在だ。


 既に、街中で彼を見た者は数え切れない。この中で、はたして何人が彼がサダルメリク・ラミナスとして認識しているか。その総ての人の口を封じるなど、いくらキルシュタイン王でも出来ようはずもない。


 そして、幸運はもう一つあった。


 キルシュタイン王は完全な権能主義者だ。権能主義者とは、権能こそが総ての人種とバラージ人を明確に隔てる、優良人種主義に似た思想だ。彼らは自らのもつ権能が神に与えられた特別なものと認識しており、それ故にバラージでは無権能者――この場合、外惑星からの人間も指している――の象徴たる銃火器を卑下する対象としている。


 そんな思想を持つ彼が銃火器による狙撃を行うわけもない。


 大通りの人混みを泳いで、路地へとすり抜けた。日中の太陽も建物同士の狭い間にまではその影響力は及ばないのか、日陰となった隘路あいろは少し冷やされた大気に包まれていた。


 ――これからどうする……?


 隘路から覗く大通りには追手とおぼしき人影は見当たらなかった。


 壁にもたれると、思った以上に疲弊していたらしい身体がずるずると重力に負けていく。萎えていく下肢を叱咤し、張力を取り戻させる。動くのも億劫になっているが、今はオリヴィーと合流する事こそが最優先事項だ。


 ――旧市場オールドヌクースに行くと言っていたはずだが?


 彼が旧市場オールドヌクースを逃走経路に織り込んだのは、人混みを選んだのともう一つ。オリヴィーがカウスを伴って、神門の買い物に付いていくと聞いていたからだ。


 運が良ければこのまま合流できるか、と期待していたのだが、どうやらそれほど世の中甘くはないようだ。


「もし、そちらの若い方」


 不意な声は若い女性と察しがつくような、瑞々しい声だった。見れば、隘路の隅を、フード付きのローブを被った小柄な人物が立っていた。


 ローブから描かれている曲線は、確かに女性の丸みのそれだ。正体を隠したいのか、よほど日光を避けたい理由があるのか、顔手足身体首と指先に至るまで素肌は全く見られない。


「若い女性に声をかけてもらえるのはありがたいんだが、世話話をしていられない程度には多忙でね。残念だが……」

「サダルメリク・ラミナスさん、ですよね?」


 ――っ、追手?


 咄嗟に身構える。殺気も闘気も感じられないが、達人の域に達した者はそれらを抑えこむことができる。もし、女性がそんな類の人物ならば、手加減して勝てる相手では、ない。


 例え、女性であろうとも――否、むしろ女性だからこそ、こういう手合は危険だ。権能という能力は、時に男女の肉体的性差を超える。

 肉体的に劣っていても、その身に宿る権能を十全に活かせれば、たおらかな女性であっても大男を倒すことは可能なのだ。


 鈴が鳴るような可憐な声で、女性は謡うように告げる。


「そう、殺気立たずに……。オリヴェイラ殿下をお探しなのでしょ? こちらです」

「殿下の居場所を知っておられるのか?」


 先導して歩き出す女性の背中に問いかける。緊張感は保ったままだ。どこか、女性には不気味なものを感じる。それが何かは検討がつかないが――。


「ええ。どうぞ付いていらして」


 柔らかいが冷たい何かが含まれている声景色は、おそらくサダルメリクとそう年齢としは変わらないように感じるが、隙間無く着込んだローブの向こうのかおは全く見えない。


 ――虎穴に入らずんば、か。


 警戒の糸は張ったまま、ゆっくりと彼女の後に続く。歩を進めながら、サダルメリクは奇妙なことに隘路の陰が一際濃くなったように感じていた。


* * *


 前を歩く少女とおぼしきローブを着た人物は、隘路あいろの日陰を選んでいるかように歩んでいく。


 生まれた頃より王都で育ったサダルメリクでさえ知らぬような複雑な路地の間に間を抜けているうちに、ふと上空を見やれば『風精の塔』が天を目指して指先を伸ばしている。


 どうやら、旧市街ガフザキヤにまで進んでいたようだ。旧市場オールドヌクースから旧市街ガフザキヤに抜けるには大通りを進めばならないはずだが、さきほど通った隧道トンネルの上が大通りだったのだろう。


「なあ、あんた……何者ナニモンだ?」


 応えることはないだろうとは予想しているが、それでもサダルメリクは疑問を口にせずにはいられない。


「……」


 案の定、暖簾に腕押しとばかりに無言を貫き、眼前の人物は歩を緩めようともしない。徹底して己の正体を隠すていだ。


 サダルメリクが訝しく思うのも当然といえば当然だ。


 彼自身が初めて通る路地裏を先導できるほどに王都に詳しいのかと思えば、筋の分かれ目で一旦躊躇して立ち止まる。

 分かたれた左右を確かめる仕草に、平素の彼ならば幾分かは微笑ましいものを感じないでもないのだが――。


 塩で構成されているような白亜の街並みは、路地裏でもその色は変わらない。


 よく太陽光を反射する壁は、稀に空を見上げるよりも眩しく見える。旧市街ガフザキヤの白は旧市場オールドヌクースよりも濃く、その分だけ瞳を感光させる。それは日陰から見つめるとより顕著に映る。

 おそらく、あちら側からはこの陰はより闇間に包まれているように見えている事だろう。


 後を追うだけで景色を眺める事しかできないサダルメリクが、そんな益体もない考えにとらわれ始めた頃。


「こちらですわ」


 最初に声をかけてきた頃から無言を突き通していた彼女が口を開いた。


 眼前には、バラージでは珍しい塀付きの屋敷だ。それなりに歴史があるのだろう邸宅は、路地の間に間にひっそりと佇んでいる。よほどの変人が棲んでいたのだろう。

 でなければ、このような辺鄙な場所に屋敷を構えようとは思わぬはずだ。


「ここに……?」


 返事は、ない。


 見上げていた邸宅から視線を外すと、いつの間にか女性の姿は蜃気楼の幻だったのか、気配も無しに掻き消えていた。


 白昼夢に今まで囚われていたのか。狐につままれたような気分で、頭を振る。


 ここまで案内してきた人物が何の目的で連れてきたのかは不明だが、少なくとも今まで追手の影を見なかったことも事実。それだけで判断するのは危険ではあるが、サダルメリクには現状では他に手は無い。


 ――鬼が出るか仏が出るか……。


* * *


 客人の来訪を告げる鐘の音が響く。途中で水を差された言葉の続きは、何にも形を成さずに雲散霧消した。


 はたして、自分は何を言おうとしていたのか。オリヴェイラは、自分自身のことであるにも関わらず、直前まで頭に浮かんでいた考えが分からなくなっていた。


 妙なところで冷水をかけられ、室内の誰もが沈黙していた。


 老人は来客の存在を知らぬのか訝しげな表情をしている。カウスは神妙にオリヴェイラを見つめ、神門はただ瞑目している。


 対応に出向いたらしく、アラカム翁の妻のものとおぼしい足音が聞こえる。しばらくするともう一人の足音を伴って、リビングへと近づいてくる。


「旦那様……」


 はたして、家政婦の姿をしたアラカム翁の妻は、コーンロウの黒髪を後ろで束ねた大柄な男を連れてきた。今ではすっかり側頭部の刈り込みに『無料』の文字は無い――。


「サダル?」


 キルシュタイン陛下に召喚されていたはずのサダルが何故ここにいるのか。

 今まで訪れていないここをどうして突き止めたのか。

 そして、彼の衣服のそこらかしこに刻まれた傷と埃の数々はなんだ。まるで、一戦やらかしたようなサダルに、オリヴェイラは自然と声を荒げていた。


「どうした、これは!」


 オリヴェイラの姿を認めた途端、蹌踉めいていた身体を気丈にも奮い立たせ、彼は直立した。


「キルシュタイン陛下だ……。陛下と父上が――」


 不意に咳き込んだサダルは、アラカム翁の奥方から差し出された水を飲み干してつづけた。


「――何かを企んでいるッ!」



* * *



 突然、サダルメリクがこの場に来た事実に、神門は心に生まれた疑問符が確信に変わっていく様を感じていた。

 不意のアラカム翁との再会、導かれたこの邸宅はオリヴェイラとカウスメディアの反応から察するに、初めて訪れたのは明々白々だ。


 だというのに、サダルメリクが引力に導かれるように、今ここに『いる』――。


 思えば、数日前のあの遭遇。


 あの少女がバラージに来ている時点で充分にありえからざる――いや、むしろ神門にとっては予想の裏付けがとれたといえる。


 ――荒獣――権能――神門を含む銀河人類と同じ人種であるバラージ人――総てが『結社』によるものだとしたら?


 『結社』という組織を追い求めて惑星バラージへとやって来た神門が、明確な足がかりを得た感触に震えるのも無理からぬ事だろう。


 平素と変わらぬ表情であったが、彼のテーブルの下で握られた拳が打ち震えているのを気づいた者がいたのかどうか。


 そして、彼の瞳に暗く宿った灯火を気づいた者がいたのかどうか。


 『結社』と神門、バラージと『結社』。それぞれが引力という目に見えぬ糸で引かれ合い、円軌道を繰り返して衝突する。

 衝突の名は激動。神門は、今、バラージ王国に密やかに進行する激動のけはいを確かに肌で感じていた。

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