決意

「何か? 何かってなんなんだよ?」


 真剣なサダルの声色に泡を食ったようにカウスが問いかける。バラージ王国において、実質的な最高権力者となったキルシュタイン王が何かを企もうと、それを止める誰かがいようはずもないというのに……。


「わからん!」サダルとしてもわかっていたらはっきりと口にしているだろう。彼が『何か』と言っているのは、彼自身、それが如何なる意味をもつものか検討がつかないからに他ならない。「だが、俺を懐柔されようとし、お断り申し上げると――殺されかけた」


 普段なら冗談と一笑に付すところだったろうが、彼の襤褸々々ぼろぼろな姿がそれが真実と物語っている。彼の手に剣が無いのは、謁見の間にて武器の類を外していたという事だ。武器も無い徒手空拳でここまで逃げおおせるとは、流石はサダルメリクと賞賛できよう。


「始まったかの……」


 アラカム翁の乾いたつぶやきに一同が振り向く。


「信頼出来る筋――王宮勤めからの情報じゃ。なんでもバラージ王国では代々国王と一部権力者にしか伝わっていない『秘密』があるらしい」

「……『秘密』?」

「惑星バラージの真実」それを口にしたアラカム翁の表情は複雑なものだった。「儂が学会を追放されたのは、何も総てがトンデモ学説だったからではない。そのバラージの真相に近づいていたという事実からじゃ」


 珈琲に口を付け、自嘲気味に彼は笑う。彼の視線はどこか見えぬ地平を見つめているように、遠く儚い。


「まあ、それを知ったのは王都に戻ってからじゃったがな。

 僥倖ぎょうこうと言っていいじゃろうな。その事実を知らずに認められない口惜くちおしさから世を捨てて研究にいそしんでいたのが、結果的に儂はおろか妻の命も危険に晒さずに済んだというんじゃから」

「その『バラージの真相』とやらが原因でキルシュタインが何らかのはかりごとを企んでいるのかもな」


 一国の王を呼び捨てるなどと不敬の極みではあるが、思い返すと神門がキルシュタイン王に敬意を払った事は一度もない。傲岸不遜――ではない。少なくとも、眼の前の老人に慇懃いんぎんな態度を見せていることから、それはない。彼はおそらく、自分の認めている者にしか敬意を払うことはないのだろう。その代わり、敬意や友情を感じた者には、絶対の信頼を寄せる。そういう性格タイプなのだろう、とオリヴェイラは分析していた。


「謀?」

「あくまで予想だが……最近、その『真相』とやらを知った、裏付けが取れた、あるいは『真相』を何らかの形で利用する算段がついた――。サダルメリク、お前の父親も、と言ったな?」

「…………ああ」


 苦虫を噛み潰した顔で肯定するサダル。彼は、オリヴェイラの父の護衛を務めていた父を尊敬していたのだから、その心中は察して余りある。


「考えるに……彼も『真相』を知り得る立場だったのだろうな。後にサダルメリクもそれを知る機会が来る。――だから前もって懐柔しようとした」


 いつになく饒舌じょうぜつな神門に違和感を感じたオリヴェイラだったが、彼の言葉をおとなしく聞くことにした。わざわざ、そのような些細な違和感程度で話の腰を折ることはあるまい。


「でも、懐柔に失敗したからって口封じってのもおかしくない?」


 カウスが異を唱える。彼としては、自分の生まれ育った王国の王が途方も無い企みを目論んでいるなどと信じたくはないのだろう。


 彼に応えずに、神門はサダルメリクに質問する。或いは、それがカウスへの返答となるのであろうか。


「サダルメリク、お前の家系かお前自身……何か特殊な慣習はあるか? 例えば、近々、オリヴェイラのキングダムガードを脱退せざるを得ない事情がある、とか」

「ああ。ラミナス家の長兄は元服はたちを迎えると共に国王に護衛として仕える……っ」

「これが応えじゃな」

「そう、国王付きの護衛となれば、『バラージの真相』に近づくという事だろう。懐柔の意味は試金石だ……サダルメリクがオリヴェイラを裏切れる男か、いうな。そこにある……オリヴェイラに知られては面倒な真実という奴が」

「そんな……その『真相』ってなんなんだよ?」


 得心がいったカウスの当然とも言える疑問に対して、神門はにわかに席を立った。


「――さあな……」


 曖昧な言葉に反して、神門は確信に迫った者特有の引き締まった表情をしていた。彼はそれが何であるか朧げにだが検討が付いているのではないのか、という考えが頭をよぎった。




「お言いつけ通り、ラミナス家の次期当主をご案内致しました」

『よくやってくれたね、アリアステラ。感謝するよ』


 アリアステラが認識した深みのある男性の声は、実際に大気を震わせた音波ではなく、彼女の声を受け取った人物もまた、この場にはいない。彼と彼女の間には、遠く隔たった距離が横たわっているのだが、電算空間を奔る情報の波はそれを限りなく無のものとし――実際に大気を震わせるのではなく、聴神経に介入して直接声という情報を送り込むかたちで遅滞なく相手の声を再現した、虚構の声響こえにすぎない。


 そして、彼女の視線の先、空間を切り取ったように映る『彼』の相貌もまた彼女だけのものだ。この場に誰か居合わせたとしても、彼らはアリアステラがどこの何を見つめているのか理解できぬだろう。それは、拡張現実AR化された――つまり、アリアステラの脳内チップが視神経に直接作用して見せる虚構のイメージであるからだ。仮に、脳内チップ保有者がこの場に居合わせたならば、チップの設定――アリアステラが第三者の閲覧を許可、及び、その第三者が閲覧許可されたモニターを見えるよう設定した場合――次第で見えたのだろうが。


 脳内チップ――バラージでは未だ普及していない、銀河人類にとって新たな電算革命とまで呼ばれている情報ツールだ。単独での処理速度に関してはそれまでの機械式情報処理端末の電算機能には及ぶべくもないが、それでも充分な電算機能と多岐に渡る利便性に加え、極めて感覚的ファジーな操作性に後押しされ、今や銀河人類にとってかなり身近になってきたツールだ。何より、銀河人類史上最高の発明、人工知能と直接接続が可能となり接続さえしておけば、人類最高の電算機能の助力により驚異的な処理速度を実現する。脳内チップ処理者にとって、人工知能との接続は常識であり、リンクを閉ざすのはプライバシー管理の必要性がある場合のみである。


 だが、銀河人類に飛躍的な進歩を促したであろう発明は、人体に、それも新生児の時期に処置を必要とした。人体改造に強い忌避感をもつ自然人間主義、電算処理と人工知能との接続はあくまで機械を介すべきという機械式電算端末主義という派閥が生まれるのも頷ける話ではある。


 彼女の色境にのみ映る彼は、彼女が自身の王と仰ぐ男性だ。視覚投影ウィンドウに映るのは、暗がりの中から浮かび上がる、色が抜けたような金髪と透けるような白い肌もつ美丈夫だった。ギリシャ彫刻的黄金比の肉体を包んでいるのは、黒地に紅の糸で瀟洒しょうしゃ細緻な刺繍も麗しい長衫ちょうさんだ。映像だけで漂う、なんとも悩ましい気配は魔性のものか。加えて、作り物と紛うほど美しい顔立ち。なるほど、確かに王の貫禄としては申し分ない。ただ、その瞳孔が、アリアステラの緋色の瞳と同じようにあかくゆらりくらりと光をくゆらせているように見えるのは――錯覚だろうか。


『アリアステラ、これから私もそちらに向かう事にするよ』

「えっ? いえ、しかし……」

『ああ、君に落ち度など無いよ。ただ、私自身としても確かめねばならない事があってね』


 自らが仰ぐかれの言葉。彼女に反駁の余地などあるわけもない。


「畏まりました。御君おんきみのご来訪を心よりお待ち申し上げます」

『そこまでへりくだる必要はないよ? 気持ちは嬉しいがね。……次は直接話しをしよう。では』

「ええ、御機嫌よう」


 主からの寛大なるお言葉に甘え、なるべく平時の口調を心がけた彼女の声を契機に通信は閉ざされた。はめ込み式の窓の向こうには、瞳のような巨大なクレーターも相俟って、地上を見下ろす眼球じみた月が闇の中にぽっかりと鎮座していた。




「さて、改めて問おう。オリヴェイラ王子、あんさんはどうするかね? どうするにせよ、王子自身の選択に委ねられているのじゃよ。儂では議会を動かせん。じゃが、王族たるお主なら可能じゃろ。父の死の真相を元に、王座に就くのか? 王国が抜き差しならぬ事態になる可能性を無視して安寧に身を任せるか? それとも、別の選択みち選択するあゆむか? さあ、どうする?」


 殺された父――。確かに目を通した調査資料には、キルシュタイン現王の『王権・勅令』の痕跡が明確に見て取れるようになっていた。聞いたところ、証拠品もどこかで保管されているという。


 陰を濃くした王国――。真綿で首を絞めるようだが、確実に圧政は民から富を搾取していっている。今は近代化による景気が膜で覆い隠してはいるが、いずれ遠くない未来にそれは表面化していくだろう。


 バラージの真相――。それ故に父は殺されねばならなかったのか。この惑星にあるという、そして代々の国王が隠していた謎。それがキルシュタインの野心を刺激したのか。


 そして――。


 ――それじゃあ……オリヴィーくんだね。


 オリヴェイラにはわからない。判断しようにも、その材料が不足している。


「なあ、王子。儂は思うんじゃ。人生の岐路に佇む時、はたして何人が充分な判断材料にもつを持てるのじゃろう、とな。時には、その判断材料にもつを持たずして、そこに至ることもあるじゃろう。ならば、一体何を以って選択をするか。

 それは――己の心念こころではなかろうか。お主は今、どうしたい?

 儂は極めて――其の身には重すぎる選択をお主に課しておる。しかも、誘導的にじゃ。じゃが、儂は誘導的であったとしても、それが必要と心念こころが決めたからこそ、お主に話しておる。

 お主が儂を信用できぬのならば簡単じゃ。王宮に戻り、儂の話をキルシュタインにするがいい。儂は逃げきれぬじゃろう。きっと、いや確実に死ぬ。

 儂は心念こころに従い、生命を賭してお主に語っておる。それだけは、お主の心念こころに留めておくれ……」


 そこまで語ると老人は疲れ果てたのか、そのまま背もたれに身体を委ねて瞳を閉じた。その姿は、まるで死刑台に向かう聖人のようにも見えた。


「俺は、――」


 オリヴェイラは父を思い出そうとしたが、それはどこか曖昧で霞んだ姿だった。キルシュタインの姿は判然と詳らかに再生される。父の遺志を継ぐ――と言っても、彼にはそれ自体を知らない。だが――。


 庶民に混じって徘徊した王都。神門は眉を顰めていたが、オリヴェイラはその喧騒が嫌いではなかった。行き交う人々、その表情の一つ一つは憶えていなくとも、それが喜びに満ちていれば――と、何度思っただろうか。人々の上に立つ者の責任。それは、今は記憶の彼方で乏しい姿で立っている亡き父の教えだったのかもしれない。


 そして――。淡く浮かぶ、麦わら帽の少女の姿。


「――みんな、聞いてくれ。俺は弱い。権能も無い。バラージ人としては失格なのかもしれない。雑踏にまみれれば気付く者もいないほどの、利用する価値もない王族なのかもしれない。未来永劫認めない民もいるだろう。諸手を上げて歓迎されることもないのだろう。だが……。

 俺はっ、王になる――」

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