霹靂

 昼下がりの旧市場オールドヌクースは活気に溢れていたが、自分の幼い頃はこれ以上の賑わいがあったと感じられるのは、はたして現在を儚んで過去を慈しむ人の性なのだろうか。ざわめく人の波をすり抜けながら、オリヴェイラは思っていた。


 久方ぶりにまとまった休暇が訪れ、今日はカウスと神門を連れて旧市場オールドヌクースへとやって来た。暑い砂漠の昼は、直射日光に数時間晒されているだけで火傷を起こすほどに苛烈に過ぎる。行き交う人々も、長い袖の服装と帽子やフードに類するものをかぶって、暑さにあえいでいる。


 旧市場オールドヌクースはバラージ王国最古の街並みを今に残す、バランジ河の河口に位置する下町だ。面の広がりを見せるこの旧市場は南北をはしる大通りを中心に、幾つもの細い路地が交差しており、店舗がひしめき合っている。ここでは主に食料品を中心に、バラージ原産、異星からの舶来品を問わない種々雑多な品が取引されている。


 神州秋津の調味料を求めて、神門が旧市場オールドヌクースに行くと聞いて、オリヴェイラとカウスが一緒になってくっついてきたのだ。神門は如何にも面倒な荷物を背負しょい込んだといった様子だが、緊急時ならいざ知らず平時にそれを気にする二人ではない。むしろ、オリヴェイラに至っては、このような商店街など本当に懐かしいらしく、年甲斐もなく目を輝かせている。


 秋津人と王族とキングダムガード。珍妙な組み合わせだが、意外に眼を引く事がない。


 オリヴェイラはズリーバンをストールのようにした上でフードをかぶっているため、見知った者が見ない限りは王族と看破される事はないだろう。


 カウスも知る者がいてもおかしくないキングダムガードでありながら、ラフな恰好でフードをかぶっている姿は周囲に溶け込んで、市井の若者にしか見えない。


 むしろ、この中にあっては神門が一番目立っているのかもしれない。彼は、白地に黒いアクセントの入ったシングルライダースジャケットとカーゴパンツを履き、ハットをかぶっている。


 だが、彼の彫りの浅い顔立ちはどう見てもバラージ人のものではない。バラージ王国が他惑星との交易が盛んでなかった数十年前なら、注目を浴びていたのは間違いないだろう。


「ねえねえ、見つかった? その……なんだっけ? ショーユ、て奴」

「醤油だ。語尾のアクセントは上げずに下げるんだ」

「ショーユ、ね」

「カウス、変わってないぞ」


 他惑星の香辛料や調味料を扱う店を探しているものの、こう多数の店が競うように軒を連ねいれば、流石に探索だけでも相当に時間がかかる。


「……帰るか」


 神門のつぶやきも至極当然といえる。ただでさえ、見つからない店にこの人通りだ。あまり人の多い所を好みそうにもないこの少年が、ここまで耐えてきたのも相当な忍耐だったのだろう。


「ええー? そのショーユって奴、まだ見てないよ」


 またも変わらぬカウスの発言に、突っ込みが喉まで出かかったものの、本日何度目かのやり取りですっかり訂正するのも面倒になり、口を閉ざそうとした瞬間――。


「おおーい! 馬鹿……とむっつり秋津人!」


 どこからか聞いた声に呼ばれた。


「?」


 神門も訝しげな表情を見せている。声の方向を見ても、辺りはフードを被った人の群れで誰が声の主か検討もつかない。


「こっちじゃ、こっちじゃ!」


 よくよく見やれば人々の頭の間で、ひらりひらりと手が見え隠れしている。


「? あ、クソジジイ!」


 近づいていけば、見覚えのあるご老体が姿を現した。こんな明るい場所で再会するとは思わなかっただけに、喜ばしい感情おもいよりも驚愕が先に立つ。


「久しぶりじゃな」


 人の悪そうな笑みを浮かべた老人――洞穴の隠者、アラカム・ヒブラ・アットゥーマンに襟を掴かれた。虚を突かれた形になり蹌踉よろめいたところを、軽く頭を小突き、喧騒に紛れるように囁かれる。


「クソ王子?」

「この引き篭もりジジイ! なんで街中にいるんだよ!」

「詳しい話は落ち着いたところでせんか? 物騒にも権能を出そうとしておる若いのもおるようじゃしな。付いてまいれ」


 こちらの予定を聞くこともなく、いきなり先導して歩き出す爺さん。思わず二人と顔を合わせると、神門は隠しているつもりのようだが面倒だという雰囲気は完全には消し去れず、カウスに至っては見知らぬ老人の行動を注視している。


 彼の瞳は権能を発揮する寸前の、能力が飽和状態になった際に見せる鋩子ぼうしの発光現象を起こしていた。カウスの判断も尤もだ。護衛として、見知らぬ老人に警戒の視線を向けるのは、決して間違いではない。


 ただ、オリヴェイラ自身の老人に対する態度を見て、判断を保留にしていたに過ぎない。主に危害を及ぼそうとした瞬間、彼は即座に権能を発現できるよう構えていたヽヽヽヽヽのだ。


「とりあえず……ついていくか?」


 諦めの溜息をついて提案した。歩く速度がそれほどではなかったのが幸いだったが、小柄な爺さんの体格ではそのうちに人混みに溶けてしまうだろう。


「オリヴィーがそうするってのならそうするけど?」


 眼睛に灯った光を消して、カウスは提案に応えた。神門はというと、いつもの無表情を貫いていたが、そこに無言の肯定を見て、爺さんの後を追った。



「ねえ、あの爺ちゃん、誰?」

「俺たちがドブルと戦った洞窟あっただろ? あそこで世話になった爺さんだよ。なんでも、初のバラージ出身の惑星生態学者だったとか」

「あ~、例の……」

「そういえば、神門の読んでた本も著作していたみたいだ」


 相変わらず人を喰ったような爺さんに先導され、ゆっくりと白昼の旧市場オールドヌクースを縦断していく。道中、爺さんとの接触が無かったカウスに説明しながら辺りを見れば、一定以上のそれはあるものの、歩けば歩くほど人通りが少なくなってきたのは旧市場オールドヌクースの出口が近い証拠だ。


 爺さんの先導に従い、旧市場オールドヌクースを抜けた先は、隣町に当たる旧市街ガフザキヤだった。『風精の塔』が立ち並んだ旧市街ガフザキヤは真昼の太陽に照らされ、より煌々と白い残影を視界に灼き付ける。午後に差し掛かったとはいえ容赦の無い日差しを避け、『風精の塔』が落とした陰には常に人が座っている。


 旧市場オールドヌクース側から見れば、カフェ・ミヤビィも店を構えている茶店通りの手前、それと知っていなければ分からぬだろう路地に老人は身を滑り込ませた。その路地は大通りの中にあって、あまりにもひっそりと埋没しており、地元の人間でさえ知らぬ者の方が多いのではないのだろうか。古代の都市計画の巧みさか、大通りを等間隔に横切る路地自体は整然としていたものの、そこに棲まう人々の瞳にはどこか陰があるように見える。それは日陰に身を潜めているから以上の理由があるのか。


 老人の後に従って歩いてきた三人は、やがて一件の住宅へと辿り着いた。この辺りの建物の中では大きめの部類に入るそこは、その規模にも関わらず周囲に埋没した上で塀で隔絶されており、世捨て人の爺さんには如何にも似合いの邸宅だと言えた。


 旧市街ガフザキヤの住宅には基本的に明確な塀は珍しい。当時の為政者の方針らしいが、厳しい砂漠という環境を生きる為、相互で協力していけるように、明確な塀の設置は抑制されていた。課税対象となる塀をわざわざ設置していたとなれば、この邸宅の最初の主はよほど偏屈な豪商だったのだろう。通商の街でここまで他人を拒み、なおこれほどの邸宅を建築できる手腕には恐れ入るが。


 邸宅を囲んだ白壁には、上部に空を指す侵入者警戒用の針が備わった鉄扉が、歴史を感じさせる佇まいで構えられている。黒錆仕上げの鉄の肌膚きふはつぶさに見ると、幾星霜を潜り抜けたむらがあり、それが得も言われぬ味わいと色気を醸し出していた。爺さんが勝手知ったる様子で重厚な鉄製の門扉に手を掛けると、誰かが頻繁に利用しているのか、それとも保全されていたのか、抵抗を感じさせぬ滑らかさで開かれた。


 塀の内側はそれほど広くは無く、瓦落多がらくたとしか思えない雑多な品々が散らばって、敷かれた石畳の歩道以外は足の踏み場もない。この如何にも片付けの出来ない様は、洞窟の爺さんの小屋を彷彿させる。


 空調が効いているらしく、邸宅に入ると涼やかな大気が彼らの余剰な熱を奪い去っていく。包み込んでくる冷ややかさが流れた汗の跡へ一層染みこみ、くっきりと浮き彫りにしていった。


 意外にも邸宅の内は整理されており、庭との格差が感じられたが、爺さんはそれに驚くオリヴェイラを気にした様子もない。促されるままリビングへと通されると、爺さんはその中心に置かれた斑紋模様が美しい石造りのテーブルにしつえた椅子へ腰を下ろした。


「まあまあ、好きに座りたまへ」


 爺さんの手が指した、同じく並ばれた椅子に三人も座る。


「爺さん、邪魔されるのが嫌で洞窟あそこに住んでたんじゃなかったっけ?」

「久方ぶりに人と話したら思いの外面白くての。それに、あの荒獣が居座っていたもんじゃから、行商も来なくなっちまったでの。また行商が来れるように手配もせなならんし、王都に帰るのもやぶさかではないと思い立ったが吉日、こうして帰ってきたわけじゃ」

「俗な仙人みたいだね~」


 少し空気を読まないカウスが忌憚きたんなく思ったままの感想を口にしたが、爺さんは気にする様子もない。むしろ、興味深そうな顔をしている。


「お主はカウスメディア・テルムじゃな?」

「おや? ご存知で?」

「そりゃ、今の情勢を少しは頭に入れておかんといかんじゃろが。世を捨てると言っても、完全に人との接触を断たぬ限りはな」


 そう言うと、手元に置いてあった銀色のベルを鳴らした。澄み切ったベルの蕭々しょうしょうたる音色は、その艶やかな銀色の肌膚きふに違わぬ涼やかさで鼓膜を心地良く震わせた。ベルに誘われるように現れた、家政婦とおぼしき若い女性が、テーブルについている者にホットの珈琲を供していく。


 その様子に邸内の整理整頓ぶりに得心がいった。庭はともかく、建物内は従者が常に清潔な状態を維持しているようだ。ただ、金銭はあったとしても、既に隠遁していた爺さんにそんな必要があったのだろうか、という疑問は残ったが。


「あ、すいません。僕、珈琲飲めないんです」


 恐縮して手を上げたのはカウスだ。彼が珈琲を飲めないのは幼なじみの間では公然の事実で、今では神門も知るところとなっている。


「なんと。じゃあ、紅茶なら飲めるかの?」

「……あい」


 カウスの返事に、爺さんが指示を出す前に家政婦が珈琲を下げようとする。


「待った。捨てるのは勿体無い。俺が頂こう」


 それを制止したのは神門だった。普段、それほど喋る性質ではないくせに、珈琲が捨てられるのが忍びなかったようだ。この場合は、捨てられるから珈琲を飲もうではなく、単に二杯飲みたかっただけかもしれないが。この男は、金に執着がそれほど無いように見せて、こういう場面にはケチなところを見せていた。


「それでは……」


 神門の申し出に応え、家政婦は神門の前にカウスに出していた珈琲を置き、後ろへ下がっていった。




「さて……と」


 カウスの前に紅茶が置かれ、家政婦が去った後、爺さんは砂糖をドバドバ入れた珈琲をクリームで割った飲み物で喉を湿らせた。オリヴェイラは生のままブラック、カウスも同じくストレート、神門は砂糖を二杯にクリームを入れた。


「儂も久しぶり――ワイフに聞いたところ十年ほどぶりらしいが、王都は様変わりしたの」

「それほど変わったかな? ……ワイフぅ~?」


 カウスが首を傾げ……ると同時に、聞き捨てならない単語に反応した。


「変わったとも。なんじゃい、儂が結婚しとったらおかしいかの? なんなら、今会ったじゃろ?」


 オリヴェイラは思わず珈琲を噴き出してしまった。お約束テンプレートなリアクションで飛び散る黒い液体に神門が眉を顰めた。 


「いや、爺さん。あんた、奥さんいててあんなところで住んでたのか? しかも、若いし家政婦の恰好カッコ!」

「爺ちゃんさぁ、犯罪的――いや、犯罪者だよ……」

「やっかましい、だーっとれ! ワイフはあの荒獣がおらん時は月に何度も儂のところに通っとったんじゃ! あと、いい男には若い女がくっついてくるもんじゃ、小僧! それに、服装は儂の趣味じゃ! フリフリエプロンドレスが大好きなんじゃ、悪いか!」

「うわぁ……ただのエロジジイじゃねーか……」

「……退くわぁ」


 我関せずと珈琲を飲んでいる神門だけが涼しい顔をしている中、カウスは隠しきれない苦笑いをなんとか抑えようとして、却って引きつった笑顔を見せていた。きっと、オリヴェイラ自身の相貌にも同じような表情が貼り付いていることだろう。


 二人の嘆息混じりの言葉に大人気なく捲し立てた爺さんだったが、本題を思い出したらしく咳払いを一つし、神妙な顔付きに戻った。ただ、既に冷め切った雰囲気が支配している空間では、その真剣な表情もどこか可笑しみを伴って見える。その空気もあってか、仕切り直しに間を置く爺さんも流石に恥ずかしかったようで顔が赤らんでいた。


 きっかり一分ほどの間を経て、ようやく空間が落ち着きを取り戻した頃、爺さんが口を開いた。


「えころでどうなんじゃ、オリヴェイラ王子? お主にはこの王都が十年前と同じように見えているのかね?」


 それはオリヴェイラにとって答えにくい質問だった。権能を持たぬ故に王位継承権をも無くした彼は、王族という枠組みの中で殆ど放任されていたといっていい。わざわざ担ぎ出す者も、強硬に諌める者もいなかった彼は度々王宮を出て、王都へ繰り出していた。今思えば、それを始めた時期はアリアステラとの縁が切れた時と符合する。もうその時の気持ちは思い出せないが、胸にくすぶった恋心を紛らわす為かと言われれば今のオリヴェイラはおそらくと応えるだろう。


 そうして繰り出していた王都。内密の道中にサダルとカウスはよく付き合ってくれていた。その中で見た王都の姿は、次第に齢を経る毎に都市の裏の顔が濃いものになっていった気がしていた。あの、路地の片隅で影の濃い瞳を宿して座り込む人々の姿――決して今日はじめて見たものではなかった。


「……」


 口中が粘つくのは、それをわかっていても声に出しにくい事柄故か。だが、意を決する。自分は腐っても王族なのだ。たとえ、その殆どの権限が無くとも民の言葉には応える義務はある。


「――違う。王都は少しずつ、腐敗していってる……。税額は上昇していくが、民衆には還元されておらず、その分だけ王都の闇が広がっていってる」


 民衆は王政――バラージ王国は制限君主制を用いているが、それ自体に対しては反対の意見は少数派だ。なぜなら、今代はともかく先代と先々代による近代化政策によって、食うや食わずの生活からは脱却できたのだ。名君の名高い前二代の王がおったればこそ、国王という存在自体に異を唱える者の数は多いものではない。


「先々代ヴァレンタイン一世、先代ヴァレンタイン二世。その采配によって今日こんにちのバラージはある。

 ただ……これからはどうかの? 議会において国王特権の絶大な権力は、名君の手によって良き方向へと導かれはしたが、暗君にかかれば国を滅ぼす。

 今の政治家はよくやっとるよ。キルシュタイン公に悟られぬよう手綱を引いて、暴走をすんでの所で抑えておる」


 そう語る老人の瞳は、国を憂いて遠くを見つめていた。やるせない感情を持て余してか、右手で珈琲カップを掴むと中身を一気に喉へ流した隠者は続ける。


「儂はバラージを愛しておる。じゃからこそ惑星生態学者になり、バラージという惑星せかいをより良くしていこうとしていたんじゃ……」


 顔を伏せた爺さんはどこかその体格よりも更に小さく見えた。


「儂も齢じゃ……。せめて、天に召されるまでに、かつての……いや、今まで以上に素晴らしいバラージが見たい」


 リビングを支配するのは、老人の独白の他には柱時計の規則正しい振り子の音しかない。爺さんの吐き出した思いはあまりに切実すぎて、昼の明るさの恩恵を充分に受けたこの部屋に大きく影を落としていた。

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