章之弌

惑星潜り

 惑星イラエ23。重力は人類に最適な1G超ではあるが、この大地は人の存在を頑なに拒んでいる。元々は蒼い惑星だったと思われるこの惑星は、今や緑と仄かに覗ける茶に支配されていた。


 バクテリアによりグリーン・グー化したイラエ23の大気組成は高純度の酸素、オゾンに支配されており、巨大な着火剤となっている。摩擦のほんの僅かな火花でさえ、大爆発を誘発しかねぬというのに、宇宙艇の逆噴射や大気圏突入時の断熱圧縮さえも深刻な大事故のきっかけとなり得る。


 また、惑星をグリーン・グーとするほどのバクテリアの暴走だ。生半可な装備では即座に中の人間まで喰い荒らされるのは想像に難くない。


 人類の侵入をいなむ緑の惑星。だが、その身に眠らせた鉱物資源は人類に有用だった。


 しかし、相手は、惑星を喰い潰すほどの暴喰の化身、苛烈な自然の猛威の一つの姿だ。外宇宙の旅人を易々と受け入れるはずもない。結果、銀河人類は、未来においてもイラエ23に眠る資源は有用となると判断し、近くはない将来に向け、遠大なテラ・フォーミング処置を行うことにした。今はまだ初期段階。これからテラ・フォーミングが完了するまでは、少なくとも二世代ほどの時間的単位は必要となろう。


 惑星を覆う規模で渦巻くμmの沃野。その圧倒的な数の力に翻弄されては、人類の生命などいくつあっても足りず、勘定が成立しない。しかし、この緑の地獄に、蜘蛛の糸を伝って降りていく犍陀多カンダタがいるなど、誰が想像するだろう。


 大気圏外から伸びる特殊合金製のだけを命綱に、惑星を覆う超高濃度酸素の中に沈降していくのはEMP’s――Ein-Mann-Planeten-Sonde Anzug――と呼ばれる耐惑星環境仕様の一人乗り特殊探査艇である。


「天国なんて、意外にこんなものかもな」


 三メートル級のボディに収まっていたのは、過酷な環境に身を投じるには年若な少年だった。彼がごちたのは、に映る下界の様子故だ。動物を徹底的に排したバクテリアの働きは、イラエ23の大地を植物の楽園へと変えていた。


 眼下には異常な繁茂を見せる、木々の群れ。巨大なものは傘のように枝葉を伸ばし、これもまた巨大な蔦を何本も垂れ下げている。巨樹の下で慎ましやかに育っていると見せかけている木々も、実のところ数十メートル級の規模を誇っている。


 完全に植物が支配する惑星では、大気を揺らすほどの音は滅多にないとみえ、耳鳴りが沈む無音が音景色の全てだった。深々と深緑が萌えるばかりの音無き光景――それは、緑濃き豊かな天国であり、静かに終焉を迎えた地獄の姿でもあった。


 音を亡くし、色彩も葉と幹の色以外を無くした世界を、EMP’sはゆっくりと降下していく。焦りは禁物だ。この酸素濃度では、火花が散ることすなわち、少年の生命もまた同じく散ると断言してもよいのだ。


 やがて、EMP’sの二本の脚は傾いだ巨木の幹に着した。


「さて、こんな危ない場所は早めに退散したいし、さっさとやることだけやって撤収しよ」


 テラ・フォーミング完了までの長きに渡る期間……確かに確実を期するのならば銀河人類に適当な環境になるまで待つ方が賢明であるのかもしれぬ。だが、それは、今必要としている資源が充分に確保されている場合の話だ。たとえ、少数であっても希少価値の高い資源はあらゆる分野で取り引きされている。


 テラ・フォーミング前の危険な環境を物ともせず、貴重な資源を求めて惑星へと潜行ダイブする者――彼らを、人は〝惑星潜りサルベージャー〟と呼んだ。


 惑星の重力等の条件はあるものの、彼のように身体を張ってEMP’sに乗り込む惑星潜りサルベージャーは今では貴重であるが、熟練サルベージャーの勘や機微はAIを搭載したサルベージ・マシーンでも未だ完全に模倣トレースできていない。フリーの駆け出しではあるが、少年もそれなりの経験を積んだ惑星潜りサルベージャーである。


 採取の際に生じる摩擦熱を抑えるため、液体窒素を内部で循環させたコールドナイフで資源を切り出して、EMP’sにも接続している特殊合金製の蜘蛛の糸ケーブルに接続したコンテナに入れる。


「これだけあれば、結構なボーナスになるなぁ。楽しみだ」


 皮算用をしつつも、少年は如才なく帰還の準備を進める。無駄口は多いかもしれぬが、手慣れた手並みで彼が確かな経験をもっている何よりの証左と言えた。


 惑星イラエ23に到着し、ちょうど一時間でコンテナを満たす。一流と呼ばれる惑星潜りサルベージャーの第一条件は、仕事を短時間に終わらせることに尽きる。長居は、それだけ生命を危険に晒すに等しいのが惑星潜りサルベージャーという職業だ。つまり、効率的かつ安全に、何より慎重に……が惑星潜りサルベージャーの基礎中の基礎であり、合言葉でもある。そう考えると、少年は一流の第一条件は満たしていると言えた。


 特殊合金製ケーブルがEMP’sごとコンテナを引き上げる。遥か、天から伸びる蜘蛛の糸に縋る亡者はなく、犍陀多カンダタつちを確実に離れていく。目指すは雲の先、糸を垂らす仏ならぬ宇宙艇である。


 やがて、切れぬ蜘蛛の糸は犍陀多カンダタを無事に地獄から生還せしめた。EMP’sを格納すると、もうこの緑の地獄には用がなくなったとばかりに、星の海を航る船は速やかに目指す座標へと漕ぎ出した。


 外装に〝トレジャー号〟と書かれた宇宙艇内部では、何時間ぶりにEMP’sから出た少年が汗を拭っていた。水を飲む少年は十代前半の若さで、とても一流の手練を見せていたとは思えぬ。しかし、惑星潜りサルベージャーは良くも悪くも実力社会である。卓越した技倆と判断力があれば、むしろ若年の方が向いているのやもしれぬ。もっとも、経験という石を一つ一つ積み上げるが如き積み重ねは年月を必要とする以上、現実的にはそれなりの年齢に達した惑星潜りサルベージャーがトップに君臨しているのだが。


 短めの髪と宇宙服をラフに着崩した少年の名は、ルード。年齢こそ若年だが、幼少期よりサルベージを行っている、新気鋭の惑星潜りサルベージャーだ。企業と契約している惑星潜りサルベージャーも多い中、フリーで活動するとなれば、よほど良い腕を持っている者でなければ成り立たない。実際、彼を知る者はその年令に見合わぬ卓越した技術に一目置いているほどであるが、流石に彼の年齢を超える経験を持ち合わせたトップ集団には一歩譲っている現状だった。


「さ~って、依頼主にお届けするのに、一日ほどかかるし、栄養摂ってゆっくりと寝ましょうかね」


 流石に、でき得る限りの短時間で仕事を終わらせたとはいえ、集中力を要求される職種であることは間違いなく、いくら十代の肉体と言えども疲労は隠せない。大きく伸びをしたルードはEMP’sと資源を詰めたコンテナを格納庫に残して、立ち去った。


 トレジャー号は事前に主から入力されていた座標へと、自動航行の無謬さで無数もの星々の浮かぶ真空を泳ぐ。基本的に一人で活動するルードという惑星潜りサルベージャーの日常がここにあった。

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