章之漆

強奪

 夜風が髪をなぶり、体温を奪っていく。身震いと共に神門の意識は現世へと浮上した。


 瞳に飛び込んできたのは、瓦礫まみれの室内と砕かれた壁面から顔をのぞかせる双子月。

 次いで、秋津衣裳キモノドレスを纏ったまま、床面に身体を委ねている咲夜の姿だ。差し込む月明かりをスポットライトに、眠る咲夜は混沌とした部屋において唯一の整美な存在だった。


 一瞬、映像が頭をよぎった。


 夢に揺蕩っていた頃は鮮明に見えた映像だが、その残滓ざんしうつつへ戻った意識には貧血を起こした視界のように曖昧だ。夢の出来事を――或いは無くした過去の映像だろうか、心に留めておこうとしても、残滓は弄うように指の隙間からすり抜けていく。あの頃、あの時間。彼の失われた記憶は時折揺り戻り、そして、なお遠ざかっていく。


 足元に震動。感じた途端に急速に醒めていく意識が、近づいてくるMBのホバーブレイドと床面の擦過音と告げる。

 到着まで幾許もない――と理解した刹那、通路側の壁面を砕く人型の肉食昆虫を思わせる鉄騎兵。見覚えがある。


 揺らめく光の向こうに死神を映したクロウバイトが破片を噛み砕いた。瞬間、一際鮮烈さを増したクロウバイトの光が、寄る羽虫を焼きつくす炎の舌に見えたのは錯覚か。破片に余韻を下げたか、クロウバイトが薄闇へと沈んでいく。


 十数メートル級の機兵と違い、スケールの現実味リアリティがそうさせるのだろう。人間から見れば、恐怖すら感じさせる三~五メートル級のスケール。室内を圧迫するオドナータの巨体は本能的畏怖を喚起させるには充分すぎた。


 オドナータが捕食者の威容で神門へと踏み出すと、MBの、『足』を省略した脚部接地面が瓦礫を踏み砕いた。一瞬崩れた重心を、脛に設けられた関節が微細なバランスを調節し、事も無げに一歩ずつ瓦礫の悲鳴を踏みしめながら、神門と咲夜へと足を進めてくる。


 万事休すか。生身の人間が一対一でMBを破壊するなど、対MB用装備を以ってしても夢物語に等しい。それほどまでに、生身の人間というものは脆く、か弱い。

 況してや、今の神門は拳銃と秋津刀しか持ち合わせていない。所詮、対人用の器械。銃弾は装甲を撃ち貫くに足りず、刀刃は斬り裂くこと敵わず。


 理解していながらも、神門は眠り姫を守るように前に出た。


 刀を抜き、銃を構える。

 発火炎マズルフラッシュに備えて眼を細めつつ、銃爪を引く。ひとたび銃爪を引けば、三点バースト機構により立て続けに吐き出される三つの銃弾。

 だが、当然の帰結としてMBの装甲に弾かれ、儚く散華する。


 怖じる事も怯む事もなく、MBは、か弱い獲物の必死の抵抗を受けてなお、歩を緩める気配すらない。

 そもそもの話、MB視点から見れば、生身の人間を屠るのに銃弾すらいらぬのだ。ただ踏み潰すのみ。それだけで、人体は再生不能の肉片へと姿を変える。


 オドナータがクロウバイトを掲げた瞬間、直感的に右斜めに跳ぶ。


 刹那の余韻の後、旋風つむじかぜが神門の身体をあおった。もし、クロウバイトに炎獄の燭光が灯っていたのならば、熱で身体が沸騰していたかもしれぬ。


 絶望感を振り切って残りの銃弾を撃つ。だが、MBの装甲の内側に届かない。いくら装甲が薄い通常兵器であろうが、人間の携行武器という選択肢では通用する武装は限られている。

 すなわち、火力。所詮、対人装備の拳銃程度ではMBに敵うはずもない。


「――っ!」


 刀を振るうも、神門の膂力では装甲板を突破しうる斬撃など望むべくもない。

 それでも、流石は神州秋津の刀匠が鍛えた玉散る刃か。ほんの僅かとはいえ、火花とともにささやかな溝を生じさせたのは、まさしく神門の手に握られた秋津刀が人の手による技術の極北である証左といえよう。


 だが、所詮はかすり傷にも満たぬ、微かな疵に過ぎぬ。


 抵抗むなしく、オドナータのクロウバイトが神門を掴んだ。嬲り殺すつもりか、すぐに縊り殺せばいいものを、オドナータは神門を殺さぬ程度に掴みあげたきり沈黙している。


 オドナータの装甲が展開し、前傾姿勢型の操縦席にまたがったMBライダーが姿を現した。


 ヘッドギアごとヘルメットを脱ぎ捨てたライダーは、神門とそう齢が変わらぬ金髪の少年――そう、あの怪物が映しだした映像の少年、ジラ・ハドゥだった。

 身から溢れ出しそうなほどの濃密な殺気に爛々と輝く瞳が、神門を睨む。今にも射殺さんとする視線に、食い縛った歯に、神門は己に注がれている憎悪の程を知った。


「っが……ッ!」


 ひとしきり憎しみの視線を送ると、オドナータの少年は神門を床に落とした。


 衝撃と体重に挟まれた左腕がみしりと軋んだ。同時に、鈍い痛みが左腕の芯から響く。着地の際、妙な体勢だったらしく、右足もまた激痛が走り回っている。


 うつ伏せに倒れたまま顔を上げると、オドナータはクロウバイトに咲夜を掴んでいる。


「魔法使いは眠り姫をご所望でね……。君をこの場で殺せないのが――っ本当に残念だ!!」


 赫怒に天をついたのか、逆立った金髪の少年はそう捨て吐くと、背を向けて己が入ってきた大穴から出て行った。


「――っ!? 待てッ!」


 声を出すと、左腕を中心に熱量を伴った痛みで全身が締め付けられる。

 痛みにあえぎながら、神門は覚束ない足取りで立ち上がり、壁を支えに歩き出した。


 オドナータは通常のMBと比べ若干大柄な分、重量も相当にあったとみえる。車重で沈み込んだ際にホバーブレイドが擦れた轍が床面に残っている。


 轍を道標に、刀を持った右手で左腕を庇いつつ、神門は咲夜を攫ったMBを追いかけ始めた。

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