暴竜

 熱砂にあぶられながら一時間ほど歩を進めた頃、周囲にピリピリとした帯電に似た気配が周囲を支配していった。剣士としての本能か、それにいち早く気づいたサダルメリクが額に浮かんだ汗を拭きつつ注意を喚起させる。


「そろそろお出ましのようだぞ」


 遂に、彼らは暴竜ラリオウスの縄張りに足を踏み入れたのだ。


 神門は展開していたサイクロップスの装甲を即座に閉めた。ほぼ同時に、隣から聞こえた鋼が打ち鳴らされた音は、同じく装甲を閉ざしたオリヴェイラのものだろう。既にして油断が許される状況ではない。暗闇に閉ざされた操縦席で、神門は網膜投影型ゴーグル搭載のフェイスガード付きヘルメットをかぶった。サイクロップスの単眼ごしの色境が、神門の視界に再現される。

 黒々しい空と白々しい熱砂に二分された世界は、彼ら以外に目立った生命の気配はない。だが、装甲越しにでも伝わるこの重苦しい気配……。


 不意に、色境に影が差した。遮蔽物の無い砂漠で影が差したとあらば、それは異常の幕開けに他ならない。すなわち――。


「散開だ!」


 状況を察したサダルメリクの声に応じて、二台のMBと二人は即座に距離をとった。彼らを覆った影は翼もつ巨獣を思わせる形をしていた。

 影は瞬く間に拡大していき、そして轟音とともにそれヽヽは姿を現した。影の主が齎した落下の衝撃にそれヽヽを中心に熱砂が舞い上がる。


 まず目についたのは、網目状の斑紋はんもんが彫り物のように並んでいる黄色い鱗に覆われた身体だ。爬虫類を思わせる巨大な頭部に殊更に主張された、鋭く発達した鋸歯のこば状の顎門あぎとから吐き出された気炎が地獄の釜を思わせる瘴気を感じさせる。


「~~~~~~~~」


 翼を広げた暴竜は、思わず身を竦めてしまいそうな荒々しく暴圧的な咆吼を辺りに響かせた。質量すら感じさせる音波は、ともすれば吹き飛ばされそうな錯覚すら覚えた。威嚇に直立した体勢から見える、人体に似た形状の大胸筋と腹筋の兇悪ともとれる発達ぶりが暴竜の力の一端を物語っている。


 周囲一帯に己の覇を主張するように吠えた暴竜は、蚊喰鳥こうもりに似た飛膜の翼を前肢の腕部に折りたたみ、威嚇姿勢から戦闘に適した四つん這いの姿勢となった。体長十メートル近くに渡る威容から伝わる暴虐の気配は、それだけでも気を失いかねないほどに恐ろしい。


 特殊指定荒獣、暴竜ラリオウス。ここに、降臨。


「~~~~~~」


 三つの獲物を捉えた暴竜は、まず一番近くにいた剣士に狙いを定めたようだ。暴竜は一瞬だけ身体に力を込めるとその強靭な四肢で、神門の予想を遥かに裏切った速度で以ってサダルメリクへと襲いかかった。

 開かれた顎門の一咬みをあわや熱砂を転がることでかわすと、サダルメリクは大剣の鞘の取っ手を捻った。


「オ……ラァァアッ!」


 仕掛けが施されていたらしく、アタッシュケース型の鞘の接地面が開き、大剣が重力に手招きされて落ちる。その柄を捕まえたサダルメリクは、なおも執拗に迫る暴竜を殴りつけるように大剣を振るった。


 強固な鱗の前には大剣の破断力は通らなかったらしい。しかし、切ることは敵わなかったものの、減衰されてもなおその衝撃は内部へと伝わったとみえ、暴竜は一瞬動きを止める。その隙をサダルメリクがどうして見逃せよう。今度はそびえる大樹のように大剣を振りかぶり、重力の誘いに乗って振り下ろす。


 一刀両断の加護を得た大剣の切り落としだが、それを阻んだのは暴竜の刺々しい突起が目立つ尾だった。サダルメリクの大剣を物ともせず、鞭尾は強烈な反発力で彼に衝撃を返した。


「か、てぇ~~」


 返礼とばかりに、しなる鞭尾が打ち据えられるのを、剣士は反射的に後退してやり過ごす。打ち据えられた衝撃に、掬い上げられた熱砂が瀑布の如くに撒き散らされ、その膨大な力のほどを知らしめる。まるで、砂の壁だ。だが、それはラリオウスの視界も覆ったらしく、追撃はこない。その隙に、剣士は更に後退して、体勢の立て直しかかった。


 八岐の大蛇の尾には蛇之麁正おろちのあらまさの刃を欠けさせたとされる天叢雲剣あまのむらくものつるぎがあったという。伝説の再現か、見れば頑丈な大剣の刃が欠けていた。


「ダメだ、あの尻尾には剣が通らない」


 痺れる手を振りつつ剣士が弾きだした結論は、すなわち先ほどの切り下ろしが彼の全力だったこと他ならぬ。


「なんとかならないのか?」

「無理だな。ガッといってもバイ~ンって弾かれる」


 オリヴェイラの声に応える剣士は、人差し指のジェスチャーを交えて冗談めかしているが、それが事実である事は疑いの余地はない。


「~~~~~~~~」


 砂塵の幕から、再びラリオウスの咆吼が轟いた。


「来るぞ!」


 暴竜が顎門あぎとを開いて猪突猛進に突進してくる。勢いまかせの突進だが、あふれる野性に裏打ちされているだけに、却って加速を阻む心理的要素がない。


 巨大な牙はサイクロップスに目をつけたらしく、装甲を噛み破らんと迫り来る。その足力はサイクロップスよりも速い。際まで引きつけて回避する。引きつけすぎると牙から逃れても、暴竜の巨躯に轢かれるか撥ねられる。巨躯に接触せずに回避できる余裕と方向転換が出来ぬまでに引き付ける。


 この時機と見定めた瞬間、サイクロップスは身をよじりつつ、暴竜の牙を避けた。次いで掠めた暴竜の体躯、鱗にやすりがけされた装甲が哭く。突進のベクトルにあおられつつも、相反する二つの要素の鬩ぎ合いを制した神門は通り過ぎたラリオウスへと向き直る。


「ッ!」


 背を向けているであろうラリオウスを撃ちぬかんとライフルを構えたサイクロップスのカメラアイが見たのもは――飛膜とつながった拇指ぼしの鉤爪を地に突き刺した暴竜の姿だった。


 何を、するつもりなのか。

 刹那浮かんだ疑問の解答はすぐさま提示された。固定した鉤爪を軸に、突進の勢いのまま砂漠に円を描く。急激かつ理にかなった方向転換を見せつけて、改めてラリオウスは神門を執拗に狙う。


「カッ!」


 カウスメディアの声と共に、圧縮された空気が舞う砂を巻き込んで、横合いから暴竜を襲う。斬撃は効かないまでも、衝撃自体は伝わっていると見たカウスメディアは、大気の槌で暴竜を叩いたのだ。見えぬ打撃は怯ませられる程度はラリオウスに通じたらしく、足を止めることには成功し、そのいとまに神門は突進の脅威の埒外に逃れた。


 ただ、確かな質量をもたぬ大気の槌は牽制にはなったものの、有効打には程遠かったとみえ、俄然暴竜の暴力的な気配は色濃く残っている。


「ちょっと足止めできる程度?」


 カウスメディアのうんざりした声が、眼前の暴竜が生物としての人類を圧倒する存在である事実を再確認させる。


「これ、空気圧縮するのに時間かかるんだよね……」

「こんなに強いなんて聞いてないぞ!」


 サダルメリクのぼやきも尤もだ。いくらラリオウスといえどもこの強靭さは通常の個体を大きく上回っている。今は辛うじて攻撃を躱すことができているが、それも長くはつづくまい。


「こうなったら、あれしかないな」


 現状を打破しうる策あってか、決意の色濃いオリヴェイラのつぶやきを骨振動型受信機が拾う。


「――あれ?」

「臨機応変!」

「行き当たりばっかりすぎだろ!」


 何を言い出すと思えば、作戦と言えぬ単なる指針を口にしたにすぎぬオリヴェイラに突っ込みを入れつつ、いつの間に接近していたのか、サダルメリクは暴竜の横腹を狙って剣を振るう。強固な表皮に覆われているとはいえ腹部はそれほどでもなかったらしく、サダルメリクの一閃にラリオウスは身を捩った。


 これを好機とみたオリヴェイラのオーデルクローネがバナイブスを手に接近、合わせてカウスメディアが大気を掌に圧縮して直接叩き込もうとする――が。


「~~~~~~~~~~ッ!」


 暴竜は咆吼とともに、先ほどと同じように鉤爪を大地に突き立てると、その場で回転した。回転勁力に加力された鞭尾が捉えられる万象の悉くを叩き据えようと、大気をさざめかす。風すら切る尾は、もはや鞭というよりも鞭刃剣ガリアンソードの鋭さすらもつ凶刃に等しい。


 舞い上がった砂塵さじんの幕を横薙ぎに切り裂いて、暴竜の尾が迫る。オーデルクローネの装甲がいくらMBの中では重厚だとはいえ、その脅威の前ではこうべを垂れるしかない。とはいえ、この距離からでは躱しきる事も不可能。ならば、被弾覚悟で逆らわずに流れに身を任せるしかない。

 サイクロップスはオーデルクローネが尾の軌道にできるだけ沿うような形に体当たりした。数瞬のち、横薙ぎに衝撃が伝わってきた。ラリオウスの尾だろう。衝撃に視界をノイズとれが支配する。


「ぐ――っ」


 ひとしきり脳を揺らされた神門は、不意に訪れた浮遊感の正体に気がつくはずもなく、意識を失った。



 * * *



「うっ……わあ!」


 咄嗟の判断で、サダルメリクは近くにいたカウスメディアの肩に手を置くと、力任せに後方へ押しやって尾の脅威から逃した。そのまま、自分は逃げきれぬと悟っていたとみえ、切っ先を砂漠に突き立てた大剣を楯にして身を隠したが――


「! やばいッ!」


 剣士として培ってきた勘が、これはどだい防御しきれるものではないと告げてきた。迫る尾の暴威に大剣は耐え切れぬ。間に合えと祈りつつ、身を屈める。尾が剣を叩き切る瞬間の僅かな遅延が彼を救った。破断された剣が空中に弧を描くも、その主は辛うじて暴威の埒外へと身を躱せた。


「無茶が過ぎるぜ」


 狂暴性と本能、二つの特性を高い次元で同居させた暴竜は、砂漠の惑星の絶対的強者として轟々たる咆吼を放つ。

 万事休す。もはや武器もない剣士に暴竜に抗うすべはない。だが、ラリオウスは何を思ってか、四肢で大地を掴んで跳ぶと、飛膜を広げて飛び去った。訝しがるサダルメリクの眼に飛び込んできたのは生物のようにうごめき近づく砂塵。


「砂嵐か」


 なるほど、流石のラリオウスも砂嵐は苦手とみえる。なんとか生を拾ったものの、砂を孕んだ風に巻き込まれるまで猶予は幾許も無い。


「サダル!」


 声に振り向くと、圧縮空気で掘ったのだろう穴から手を振るカウスメディアがいた。


「早く早く。レスピレも忘れないでよ!」


 言われるまでもない。レスピレーターを装着しながら、サダルメリクはカウスメディアの元へ小走りで近づいていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る