疫禍

「どっか~~ん!」

「ぶげっ!」


 少女の声と、男の押し潰された声が事務所に響く。男の声は言わずもがなパイソンのものだ。


「エリナ! 何しやがる!」


 よわいは十四、五ほど。ポニーテイルにした腰にまで届く長い銀髪が、照明の明かりを綺羅々きらきらと反射している。

 左から右に流れるような前髪は、右目の上から流れのまま跳ねていた。前髪を透かして覗く、半開きで眠たげな大きめの瞳は目が覚める緋色である。透けるような、まるで水晶の輝きを持っているような肌。それだけなら美しいだけなのだが、口唇くちびるから覗く八重歯が年齢よりも大人びた少女を幼くも見せ、醸し出すあどけなさが同居する麗質を引き立てている。


「おはよー、旦那様? ゴハンにしんす? お風呂にしんす? エリナにしんす? エリナにしんす? そ・れ・と・も……エ・リ・ナ?」

「飯以外お断りだ、馬鹿娘」


 人差し指を咥えながら、人の体の上でくねくねと蠢く娘に対し、嘆息気味に応える父親の図である。これもどうせローツから教わったのだろう。実に余計な真似しかしないオカマである。このまま色々と残念かつ間違ったアドバイスを間に受けて、変態に育ちはするまいか。不安が胸中から横溢しつつあるパイソンは、改めて自身の上で創作ダンスに勤しんでいる娘を見やる。まごうことなきアレな姿に不安が諦めへと変わった。


 ……変態だった。


「あと、その服どうした?」

「ローさんにもらいんした」

「馬子にも衣裳だな」


 娘――エリナは、最新モードの黒を基調としたヴィクトリアンメイド風の装いをしていた。銀髪に映える、レース仕立てのエプロンドレス姿の少女は、性格や態度はともかく、必ずしもパイソンのげん通りではない。


「旦那様はまことにツンデレでありんすね。愛らしいなら愛らしい、抱きしめたいなら抱きしめたいと素直に言んせんか。吸血鬼さえもお断りする、タバコ漬けのまずい血のおっさんは」

「…………」


 正直、素直に褒めると調子に乗る事は想像に難くないだけに、閉口せざるを得ない。


「おはようございます」


 そんなやり取りの間に手早く着替えを済ませた神門が、二人に朝の挨拶をした。パイソンはこれ僥倖といった表情、エリナは邪魔が入ったと渋い表情――もっとも、彼女の表情の変化は乏しいので分かりづらいのだが――で出迎える。


「……おう」

「……おはよぅ」


 苦笑いしつつ、応じるパイソン。エリナは目を細めつつ、少々憮然とした色が見える鷹揚で応える。


 時計を見れば、まだ事務所の営業時間より一時間ほど早い。出入り口付近に備えられている来客用のテーブルには、三つの食膳が鎮座しており、焼き魚、豆腐、味噌汁に玄米と秋津食の定番に加え、それぞれ、珈琲とほうじ茶とブラッドオレンジジュースが置かれていた。


 当然、先ほどまで寝入っていた男二人の仕業ではない。男二人が意識を手放している間に、起きていた誰かが用意していたのだ。個性的な娘だが、一通りの家事はできる。不精者の父が家事などするわけがないので、当然と言えば当然なのだが。


 二人の家族と居候一人が席につき、食事を開始する。神門の玄天街での一日が始まったのだ。



 * * *




 玄天街六番街の飛海フェイハイ解放戦線の本部は、かつて廃棄された地下鉄の駅舎を改装したものだ。


 元は、駅長室か何かだったのだろうそこは、今は飛海解放戦線の王にして玄天街六番街の王、ボブ・ホークの寝室に供されている。暗い寝室に、亡霊よろしく白く浮かび上がっているのは、高品質のジェルベッドだ。ジェルベッドから身を起こし、昨夜の作戦の折に手にしたデータの解析報告を聞いたボブはほくそ笑んだ。


「――ほう」


 今まで手に入れられなかった、秘中の秘トップシークレットのデータを手に入れたのだ。ただ、内容は不可解に過ぎた。どう考えても、太義タイシー義体公司の業務に関するモノとは思えないのだ。

 手にした資料は、解析されたデータにあった画像と補足説明が印刷されたものだ。画像のデータは随所随所欠損していたらしいが、不鮮明ながらも何らかの装置群に囚われた銀の乙女の姿を映していた。


 そもそも、何故、ボブ・ホークは飛海解放戦線など似合わない役を演じているのであろうか。


 ボブは飛海城の前身である、軌道エレベーター基部の閉鎖型環境都市アーコロジーの建設に携わっていた。


今は飛海城と呼ばれるアーコロジーは建設時、政治犯や凶悪犯さえ建設の用に使っていた。

当時、日中は政府から雇われた正規の建築業者や技術者が専門的或いは高度な作業を進める一方、夜間はそれら犯罪者を単純な肉体作業に割り振っていた。


 彼はその時代の犯罪者側のリーダーであった。

 当時から、ボブは無頼の気性を持ち合わせており、その性質は日の当たらぬ薄闇で密やかに発揮していた。作業機械や建設資材の横流しは勿論の事、偶然残っていた昼間作業員を拉致、男色の輩の生贄に供した。


そうして、ボブ・ホークは膿んだ金で私腹を肥やす日々を送っていた。

 飛海城が飛海寨城として完成する以前より、寄生虫か癌細胞の如く内に潜み、跳梁跋扈の限りを尽くした彼こそ、ある意味で玄天街の申し子とも言えよう。

 そして、戦火による計画放棄で廃墟になった閉鎖型環境都市が太義義体公司に買い取られ、飛海城へとなり、その腐敗や老廃物を啜って玄天街が誕生した。


 その太義義体公司がボブは、単純に気に入らないのだ。己が作り上げた――少なくとも、彼本人は己で作り上げたと自負がある、いずれ天に届いたはずの楼閣と城下町。

 だが、それらは横から掠め取った輩が棲み着き、今や飛海城の王を気取っている。


 許せるのか。否、許してはおけない。自分こそ、この街の主なのだ。その一点だけでボブは飛海解放戦線を立ち上げた。


 玄天街に棲む魑魅魍魎――悪逆の徒たちは、少なからず太義義体公司を憎んでいる。憎悪の原動が正しい憤りか、単なる逆恨みかはさておいて、だ。


 飛海解放戦線――自ら組織しておきながら、その名にボブ・ホークはせせら嗤う。耳障りの良いお題目を組織名にしただけに過ぎぬ。内実を知った者は眉を顰めるのも当然だ。 ボブを筆頭に、無頼者がレジスタンスを気取っているだけにすぎないのだ。

 しかし、彼らの太義義体公司に対する憎しみだけは本物だ。


ボブ・ホークは彼にとって、それが未知の世界の出来事でも、太義義体公司を転覆させるに足る物であるならばなんでも利用するつもりであったし、これまでもそうしてきた。

 そして、此度も玄天街の闇の王は野性動物もかくやといった勘で手にしたデータこそ、それに足る存在であると直感的に察していた。


 ボブ・ホークの背中には蚊食鳥こうもりの翼が文身されている。彼の飽きなき上昇意識を反映してか、ボブが心躍らせた時、彼の癖で肩甲骨が動き、あたかも羽撃いてるようにも見えるのだ。


 この時、ボブの寝室に報告に来た部下も見た。怪異なる翼を持つ彼らの王が喜悦にその羽を震えているのを。話には聞いていた部下も実際に目の当たりにしたのは初めてだった。それは、主の感情とは裏腹に、周囲に災厄を撒き散らす前兆に思えた。まるで蝙蝠の翼から疫病の種が瀰漫していくような……。


 ――じゃらり。


 部下の動揺を感じ取ったかのように、暗がりの奥から、金属が擦れる音がした。いい加減、闇目にも慣れてきた部下は、音の正体が寝室の奥にある人籠に飼われた少女の左足首の足錠の鎖の音と悟った。

 部下と同じよう、若しくはそれ以上に、ボブの翼が震えるさまを目にし、身を竦めたのだ。無理もなかろう。災禍の最初の犠牲者となるのは、おそらく彼女だろう事は明白なのだから。


「ハハハッ!」


 堰を切ったかのように噴きでた喜悦はやがて呵呵大笑かかたいしょうへと変化し、寝室を谺するそれは彼が飽くまで続いていた。

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