諦念

 降り注ぐ瓦礫と振るわれる大剣の脅威を舞い躱し、廃頽の銃舞は続いていた。美女の手には巨大すぎるオーバーサイズな機関銃の連射は銃本体の重量も然ることながら反動を含めると、到底細腕で支えられるものではないのだが、通常のカリアティードを超える烙印ファサードを押された久遠ならば可能だ。


 自信の身長に近い機関銃をダンスパートナーにして、魔弾の射手は渦巻く曇天とけぶ土煙つちけむりの中で踊り狂う。遠からず近づく黄泉への坂道を転がり落ちていることを自覚しながら……。


 連ね撃たれる銃弾を火花と共に弾き返す〝眼馬ザルディロス〟の鎧。その表面にこびりついた化学反応由来の変色や煤がこそげ落ち、地金の白き光沢を覗かせる。しかし、余程堅牢な造りとみえ、内部躯体フレーム塵造臓腑モーメントへは届かない。突破できぬとなると、刺突爆雷槍〝不可視の雷霆ゼギルゼウス〟による塵造臓腑モーメントへの直接電磁パルス攻撃は敵わぬ。


 愚直な攻防は功を奏さず、再び惑星潜りサルベージャーが待つ建物の屋上へとカリアティードは戻った。蹲る形で着地した久遠は被弾こそ許していないものの、既に勝利の女神の天秤は人馬騎士へと傾斜していた。


「くっ、動き回る上に堅いッ!」


 口惜しさを滲ませて吐き捨てる久遠だが、今までの戦闘がほぼ徒労に終わっているとなれば致し方ならぬ話だ。ただでさえ後を一顧としない全力稼動、加えてひねねじり疲労が重なり、全身の躯体フレーム痛覚信号エラーの悲鳴を上げている。


「なあ、あいつの脚元の関節とか狙えないか?」


 断裂する筋肉と軋む骨格こっかくの絶叫に久遠が声を殺して耐えていたところ、ルードの声が降る。


「えぇ? 君ねぇ、素人が……」

「地面を奔っていた時、あいつ明らかにお前の姿を見失ってたぞ。デッカいから脚元がよく見えてないんじゃないのか?」

「でも、建物を崩されて圧し潰されそうになったでしょ」


 ルードがある地点を指差す。


「いや、あの辺……あらかた切り崩せる建物も無くなってきている。あそこだったら……どうだ?」


 そこは、建物群の中ですっぽりとうろが開いていた。なるほど、確かにあれほどの面積があれば、或いは……。


「……結構いいアイディアね」


 客観的に戦況を見つめていたからこその視点。しかし、素直に認めるのに悔しみがあるのも事実。ぶっきらぼうに応えるしかない久遠だったが、性格的な傾向はともかくとして、思考は既にルードのアイディアに賛同している。


 一旦、息を吸い――身体の中心へと落とし込むように意識し、吐き出す。


「往くわ……!」


 宣言と同時に、カリアティードは再び楼閣の隙間を縫う風となる。石像機の眼前にまで辿り着くと、機銃を乱射。心許ない残りの弾数を総て注ぎ込む勢いでの銃撃は、〝眼馬ザルディロス〟の視界を閃光の如くに散らす。そして、僅かな間隙を捻り込んで、間近な建物の窓へと飛び込んだ。


 硝子を砕きながら転がり込んだのは採光性の高い廊下だった。反射する光が七色に散って閃く中、着地。採光性が高いということは、それだけ外部への開口部が広いという意味につながる。散らばった硝子の虹色の飛沫がその証左だ。……であるならば、脚を止めているいとまは無い。


 受け身の勢いをまま活かし、久遠は廊下を全力で疾駆する。石造りの床面が強靭な脚力に、足痕ごとにはつられていく。前傾、更に前傾……脚の廻転数に弛めば立ちどころに倒れ身体を摩耗されかねぬ前傾姿勢は、もはや制動を考えぬ無謀な奔走。しかし、そうでなければ現在座標を察知され、今いる楼閣ごと切り崩されて圧倒的重量の瀧に呑まれることになる。


 無謀に無謀を重ねて、初めて拾える生命がある。その一点に集中した鬼気迫る美しさを彩るように、ファサードが紫に明灯していく。それは、潰えそうな程に差し迫った久遠の、臨界の際まで踏み込んだ生命の煌めきだったのかもしれぬ。


 集中力で針の尖端程にまで狭まった視界の向こう――硝子窓が差し迫る、更に先で別の建物の壁面が見えた。刹那、脊髄反射的に脳裏を駆け巡った一条の電撃。蛮勇と括られる愚行か、背後に迫る死神を置き去りにする妙案か――それを決めるのは結果のみ。


 再び、外気へと躍り出た銀糸の如き紫髪のカリアティードが、瓦礫の街に美しいプリズムの造形を映し出す。久遠を圧し潰さんと巨大な壁がそそり立ち、その圧迫感を一瞬で高めてくる。義体からだを反転し壁を地に見立て着地、その反動で元来た建物へと跳ね戻り、そして――。


 本来ならば、己の跳躍力を超えた距離の三角跳び。着壁ヽヽ時機タイミング、壁面の強度、躯体フレームの耐力、建物の高さ、その総ての条件が合致しなければ適わぬ、一髪千鈞を引くが如き奇蹟的跳舞。蹴り飛ばした刹那に、巨楯の打擲に建物が粉砕される、際どい瞬間と瞬間を切り取ったときを制したのは久遠だった。跨ぐように屋上まで跳んだ彼女は疾走を止めない。脚を止めればたちまち追走する諸刃剣に両断される結末を理解しているからだ。


 ルードが指し示した、建物の群れの中で咲いた空漠。そこへ誘い込む一点に先鋭化した久遠には、余計な思考が差し込む隙間は無い。余分な思考は逡巡を生み、逡巡は致命的な遅延を齎す。限りなく希釈された意識は、純粋な目的へ向けて最低限の抵抗で奔る。それは、超伝導体を駈ける信号にも似ており、ファサードの烙印もつカリアティードは忘我の域に達していた。


 耳でがなりたてる風の渦巻くこえも、靭性の限界に迫ってきた躯体の苦鳴も、連続臨界機動で疲労し痛覚を刺激する筋肉の震えも、聴こえない。


 目指す座標へとひた走る久遠が屋上を蹴ると、床面が脚力に負けて沈む。


 死神の鎌が振るわれ、その軌道にある万物を両断する。高速震動で切れ味を増した諸刃剣は、刃圏内に収まる森羅万象を断つ権能を与えられているのだ。逃れる術は剣刃を叩いて逸らすか、刃圏の埒外にまで退くか、同じ権能で相殺するかしか無い。剣刃の軌道を逸らせるほどの膂力を持ち合わせておらず、諸刃剣と同質の近距離戦闘デバイスを持たぬ久遠は、ただ豪剣を躱していくしか術は残されていない。


 ――あと、少しッ!


 目前となった勝利の方程式に、久遠は我知らずほくそ笑んだ。後は、地を駈けつつ、馬脚の関節部に攻撃を撃ち込み穿つのみ。しかし、この瞬間、ほぼ思考の抵抗を受けていなかった義体からだに遅延が――それこそ時にして秒の一/一〇に満たぬ程の――生じた。


 四脚を持つ人馬騎士は純粋な巡航速度については、久遠の脚と比較にはならぬ。しかし、障害物となる建物が進行を妨げ、結果、カリアティードは若干先んじた速度で石造りの街を奔っていた。しかし、何も脚という機巧は、なにも歩行と走行のみの用途に限らない。そう、歩からぬ久遠がそれを証明している。


 突然、周囲の空間ごと覆う大翳に久遠が訝しいものを感じ――背筋に冷たい蟻走感が這い登り、それが反応を寸毫遅らせた。


 跳躍――。石像機は巨体を宙空へと踊らせたのだ。膨大なアニマに由来する脚力は、重量級の體骼たいかくを持ち上げ、重力の軛を瞬間的にとは言え断ち切った。頂点に達した高度、そこから導かれるのは万有引力の法則――落下加速度と質量の相乗効果が、半ば廃墟と化した街へと墜落する。怒号を引き連れて、大地が轟く。流石に、瓦礫で脚元が不安定だったとみえ、着地に少々の蹌踉めきは見せたものの、恐らく石像機が狙っていたであろう効果は覿面にしてなった。


 あたかも地を這う雷震の如く、人馬騎士を中心に据えて同心円状に衝撃が伝播、雷槌が裂罅となって奔り、轟音が総てを薙ぎ倒す。崩壊していく建物の屋上にいた久遠は自らと並走して落下する瓦礫から必死に逃れようとするが、足がかりがなければ思うような動きは取れない。


 刺突爆雷槍〝不可視の雷霆ゼギルゼウス〟の傘を開き、押し寄せる波濤から身を庇う。パゴダ傘状の〝不可視の雷霆ゼギルゼウス〟の傘布には、よろくろから投射されている偏向シールドが露先まで流されており、壁面の欠片などを弾いていたが――。


 ――~~~~ッ!


 眼前に迫った、偏向シールドで処理しきれぬ規模の瓦礫を認め、身を捩ってそれをやり過ごす。久遠の身体が宙空で旋転し、掠めた質量の程を物語る。そこへ狙い澄ましたかのように彼女の頭蓋大の瓦礫が飛来し――そして、瞬間的に身体操作を封ぜられた彼女に対応する術はなく……。


「ッ‼」


 直撃。れる意識と暗転する視界、制御から離れた身体。痛みの失せた衝撃の感触に、點々と地を転がっている事実を知る。やがて、衝撃の間断が狭まって身体が擦られる。身体を動かそうとしても充分な反応は望めず、断絶する駆動が痙攣となっていた。次第に、視覚が戻ってくる。視界の半分を占める断崖――いや、横倒しになった地面だ。立ち上がらねばと心が叫ぶも、機能が落ちた四肢は切り離されたが如くに、微々たる痙攣を返すのみ。


 ――ああ、これで終わりか……。……やだな。


 諦念が胸に広がる。絶望という死病が久遠を蝕み、心を黎く塗りつぶしていく。動かぬ身体に絶望し萎えた精神が気力を喪って、立ち上がる力を奪う悪循環。


「久遠!」


 少年の声が聴こえる。異星から来た、惑星潜りサルベージャーを名乗る少年の声だ。聴覚も混乱しているのか、奇妙に歪んで響くものの、カリアティードとは違う少々低い声質は紛うことはない。


 ――あれ……? なんでここにいるのかな?


 ルードを置いていた楼閣からは離れている。屋上を飛び渡れぬ脚力では、ここまで来られるわけがないのだが……。


 ――まあ、いいか。


 諦観に考えるのをやめた。思えば、彼女はなんでここに突っ伏しているのか……それさえも曖昧模糊な霞の向こうだ。考えるのが億劫になった彼女には、抵抗せず死の忘却に身を委ねることが最善だと思われた。生から死へと傾斜する坂道を下り始め――。

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