傾斜

「……へぇ、なかなかやるじゃん」


 オドナータによって機械的に増幅された視力で、ジラは塵埃の彼方で蠢く巨翳を眺めていた。火器を持たない、単純な剣を武器とした黒騎士。しかし、溢れ出す存在力を解放した人馬騎士に敵う者はおらず、思うがまま人像柱カリアティードを狩る。多少の抵抗はあったのだろうが、既に場は一方的な虐殺の呈を成してきた。


 蒼いMBは小高い丘陵から、一つの街が鏖殺の舞台と化していく姿を俯瞰していた。その近くには、狼我ランウォが、腕を組みながら同じ光景を眺めている。彼の軍用外套マントを翻す風は、塵級機械雲ナノマシン・クラウドの環境調整が未だ生きている証だ。主たる人類が去った後も、本能プログラムに従順な無垢な灰色の機械群は、己に課された使命に忠実かつ黙然と従っていた。


「…………」


 崩壊する都市。それを留めんと、今、超人の視覚が人馬騎士へと挑む者の姿を捉えた。銀色の飛沫を舞わせる紫髪、紅の光彩を宿らせた紫水晶アメジストの瞳。汚れた襤褸を纏っているその女の胸元には藤色に輝く紋章――人像柱カリアティードが言うファサードの刻印が覗く。


「あれが、シメールか」


 携行火器の爆裂の炎が土埃から垣間見られる。なるほど、敏捷性と旋回性に勝るが質量と膂力では遠く及ばぬ人像柱カリアティードが、痛打を浴びせるには膂力そのものに依らぬ攻撃手段――つまり、火器が必要ということか。


 ファサードと呼ばれる紋章が顕れた人像柱カリアティードをシメールと呼ぶ。ファサードの持つ役割ロールをこの惑星の者は知っているのだろうか。否、恐らくは知らぬだろう。


 知っているのであれば、あのような非効率ヽヽヽな闘争などしない。条件は揃っている。それでも、人像柱カリアティードとして戦っているのであれば、当の本人でさえ気づいていない。……気づきを得られる機会がなかったのは事実ではあるが。


「お! 今のを耐えきったのかァ。頑張るねぇ。けど……いずれは捕まる」


 闘蟋とうしつでも眺めているような遊興の歓声を上げるジラ・ハドゥだったが、彼の戦術眼は既に闘争の趨勢を読んでいた。流石は、戦闘に特化した被造子デザイナーズチャイルドである。天ではなく、そうあれと人――吸血鬼メルドリッサが与えた才。技術、反射能力、肉体というハード面はおろか、虐殺行為も厭わず嬉々として行う精神性ソフトを兼ね備えた、まさしく鬼才。彼の冷徹な予言を超えるには、文字通り〝逸脱〟する何かヽヽが必要とされる。


 ――見せてみろ、シメール。今が、この世界に与えられた役を演ずる時だ。


 狼我ランウォ――ひたすらに我が強きを求める餓狼は、その〝域〟を逸脱し、〝到る〟姿を求めている。総てをいずれ超えんがために……。


 際どい剣戟を遮二無二躱すシメールの姿は、それでも麗美にして機敏で、何処か儚い。屍山血河の舞台を優美に舞う傾国の美女には、立ち込める塵埃でさえも彼女を彩る紗幕でしかない。だが、それは摘まれようとする徒花に似た、または溶けゆく氷の結晶のような鮮烈にして崩壊の可能性を孕んだ危うい均衡性に支えられていた。


 やはり、と認めるのは狼我ランウォの癪に障らなくもなかったが、ジラの言は正しい。武装が乏しいとみえ、一手ごとの圧が欠けている。決定打に欠ける美女に対し、真芯にたれば一撃で事足りる樋嘴。如何に軽快敏捷に脅威の圏外に逃れていようと、被弾の可能性を完全に零にはできぬ。むしろ、規模に応じて要求される回避機動が大回りとなり、その分、蓄積された疲労が彼女に襲いかかるのだ。被弾確率は確実に増大し、遠くない未来に当然の帰趨として現実化する。


 不可避の未来へ傾斜する坂を駆け降りる美女も、その事実には気づいているのだろう。だが、当然と思われる帰趨を跳ね除けるべく、彼女は抵抗を続ける。その姿は勇ましく戦乙女と呼ぶに相応しいが、残酷な世界に彼女の祈りは届かない。


 一つを除いて……。


 ――さあ、お膳立ては整っている。運命に向かって傾斜しろ。


 重力の見えざる手に惹かれて、位置エネルギーを消費しつつ傾きに従う。それは、万有引力かみが定めた法則であり、運命もまた同じく輪転する。人像柱カリアティード/樋嘴/ファサード/勇者シメール魔王グロテスク塵級機械ナノマシン/〝塔〟/蠱毒/恠神かいじん……。様々な使命を乗せて、〝塔の惑星〟の大斑点は渦巻き蠢く。最初はじめからこの惑星は盤の一つだったのだ。総ては神なる者――偉大なる宇宙の建設者が刷り込んだインプラントした計画。


 しかし、誤算があるとすれば、それは――。たして、誰の手に依る一手か。新たに仕組まれた歴史の楔が、太古に確定された宿命を穿つ。

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