英雄譚

「久遠!」


 惑星潜りサルベージャーの少年の眼は、廃墟と成ろうとする街で踊るカリアティードが瓦礫の瀧に沈む姿がはっきりと視えた。その奔流の、ほんの一雫ひとしずく――通常の彼女ならば意にも介さぬであろう石塊いしくれが頭蓋を撃ち墜落する姿が、元来ならば人の反射神経の限界に迫る瞬間が――瞬きをしたならば見逃していたであろう瞬間が、しかと色境に宿っていたのだ。


 天から墜ちる久遠の姿はあたかも、燃え尽きる寸前に眩く尾を引く流星にも似ている。しかし、流星の意味するところは視る者の祈りを叶える吉兆ではなく、むしろその逆。わざわいを知らせる兇兆である。


 ルードは腰に下げていた――久遠が装備を取りに行った倉庫におざなりに放置されていた――二つの鴛鴦鉞えんおうえつをそれぞれ左右の手で構えた。レイサーで構成された光刃の鴛鴦鉞えんおうえつは高額の金銭を要求されるだけあり、無論、それだけの機能に留まらない。事実、惑星潜りサルベージャー仕様の鴛鴦鉞えんおうえつ――スマートエツ・EM-3カスタムには、重量物巻き上げ用のワイヤーも搭載されている。巻き上げ速度、ワイヤー射出速度を初期設定から記憶させているカスタマイズ設定へと変更。脳内チップで機能切り替えを行い、屋上から飛び降りる。


 耳朶を強烈に打ち据える風圧と致死高度の底へと続くうろが、慣れているとはいえ、惑星潜りサルベージャーの精神に原初的生存本能に根ざす恐怖を励起させた。しかし、ルードの身体はそれでも淀みなく次の行動プロセスへ向けて動き出す。近くの物が下から上へと流れ行く直線に染まった光景の中、既に見定めていた地点へ左のEM-3カスタムを向け、ワイヤーを発射。シンプルな電磁粘着性フックをやじりにしたワイヤーは、狙い能わずに眼をつけていた建物外壁へと付着した。


 弛んでいたワイヤーが張力を帯び、惑星潜りサルベージャーの腕に自らの重みを負わせる。当然の帰結として発生した振り子運動の下端から上昇の時機を体感覚で心得ていたルードは、それまでに次のワイヤーの着弾位置を見定め、右のEM-3のワイヤーを照射。同時に左手の鴛鴦鉞えんおうえつのワイヤーを回収。電磁粘着性フックは電磁力を喪うと、たちまち粘着性を無くす。巻き上げ速度を最速にしたワイヤーは瞬く間にEM-3本体へと引きずり込まれる。


 瓦礫の街での蔦渡り――。未開拓惑星の原生生物から逃れる為に、惑星潜りサルベージャーには時にこのような――緊急避難的な技術も必要とされる。尤も、今の彼の場合、本来的な意味とは真逆の死地へと赴いているわけだが……。


 自らの身体能力のみでは叶わぬ三次元的跳躍機動で、下界のあらゆる障害を睥睨して、惑星潜りサルベージャーの少年は久遠の元へと馳せる。道具を用いての高速移動術は、己の脚力では喩え何の障害物が無かったと仮定しても、なお速やかに目的地へとルードを運ぶ。


 ――! ヤバい!


 最短距離を選択するルードに魁夷な翳が差す。言うに及ばず、黎い人馬騎士だ。期せずして石像機の眼前を横断する軌道ルートを渡るルードに対して人馬騎士は……。


「あれ?」


 はたき落とされる未来を想像した瞬間、動物的本能から目を閉じたルードだが、衝撃は訪れなかった。不可思議にも、カリアティードを――少なくとも、外見上はほぼ銀河人類と変わらぬ機械性人類を鏖殺する殺意を放っていた筈の石像機は……静観していた。敵と見做していないのか、それとも眼中にないのか。むしろ、墜落した久遠の元へとやおら歩を進めるのみである。


 訝しむルードだが、彼の身に沁みついた惑星潜りサルベージャーの技術は意思とは無関係に、次のワイヤーを放っていた。人馬騎士の歩幅が如何に広かろうが、ゆったりとした動きよりもルードの蔦渡りの方が疾い。


「久遠!」


 一足先に久遠の倒れ伏した座標へと辿り着いた惑星潜りサルベージャーの少年は、そこに砕かれた肢体に鞭打って痙攣している彼女の姿を視た。先程までの花さえ恥じらう程の演舞とは裏腹の、失墜した痛ましい姿。紫水晶の瞳に咲いていた紅い光彩も既に無く、胸のファサードといった紋章も明滅し、今にも潰えそうな生命を物語っているように思えた。


 抱き抱えた久遠の肢体には張力が失せ、瑞々しかった生命力――と呼んでいいのかは不明だが――も翳を潜めている。鮮やかな紫水晶の瞳は何も映していないらしく、その無機質な様が皮肉にも、更に宝石じみていて美しかった。


「おい、久遠! 起きろって!」


 揺さぶっても力無い久遠は反応を見せない。頼りない弛緩した肢体からは、耐え難き〝死〟の匂いがする。今、彼女が生と死のしきいを歩いているのは明白だった。


巫山戯ふざけるなよ。絶対に死なせないからな!」


 だが、ルードの冷静な一面はそれが叶わぬ夢であることを既に承知していた。


 銀河人類と全く同存在であるバラージ人ならともかく、カリアティードが負った損傷の治療法が――一介の惑星潜りサルベージャーに過ぎないルードには理解できぬ。銀河人類と同等の治療法であったとしても、設備の無いここでは遠からず訪れるであろう久遠の〝死〟は不可避と断言していい。しかし、そんな自明の理をルードは否定していた。


「まだ破壊されていない場所に治療施設がある筈だ……」


 石像機によって過半を粉砕させられた街ではあるが、魔手から逃れている場所も少なからず存在している。その、未だ被害を被っていない箇所には治療施設があると自分に言い聞かせて、ルードは久遠を抱き抱えて離脱を試みたのだが……。


「ぐ……」


 彼らに覆いかぶさる巨大な陰翳。何か……など疑問が差し込む余地もなく、正体はわかりきっている。曇天から差す淡い光を黎く縁取るもの。灰色の世界で覇を嘶くのは、前時代の覇者――石像機。ゆったりとした足取りだったが流石の巨軀、歩幅の広さはやはり伊達ではなく、惑星潜りサルベージャーに追いついてきたのだ。


 先程ルードを看過していた人馬騎士だが、流石に目の敵としているカリアティードに対しては見逃すつもりはないとみえ、振り向けば雲に浮かぶ淡い太陽の翳を引き裂くように巨剣を振りかぶっていた。蟲が蝟集するが如き刃音はおとが、青白く光を放つ剣身から発せられる。まるで、蟲害を齎すいなごの大群が一斉に飛んでいるかのような、不気味にして不吉な刃音はおとは生理的嫌悪感を沸き立たせ精神に障った。


 ――ここまでかッ!


 本能的反射で顔を庇うも、妙に冷めたルードの頭はその行動の無意味さを理解していた。しかし、この行動が本能ではなく、運命に根ざしていたものだったとしたら……?


 庇う仕草で丁度、久遠の胸で明滅するファサードの刻印とルードの手が触れ……ここに運命が結実した。シメール――ファサードの烙印持つ者が勇者の資格を得るための、最後の要素ピース。それは……それこそが……。


 不意に迸る光の奔流に、人馬騎士が蹈鞴たたらを踏んで戦慄わななく。その理由――。急激に立ち昇ったのは紫水晶アメジストの、久遠の瞳の色と同じ光の柱。発生した膨大なエネルギー柱に圧倒された石像機が、その正体を見定めるように静止する。


 おお、灰色の世界に棲まう者よ、そして灰色の世界に辿り着いた旅人よ、刮目せよ。これぞ、終焉の始まり。やがて――いや、遂に。〝柱の時代〟の終焉と新時代を齎す英雄譚が紐解かれる。

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