三巴

 太義タイシー義体公司本社ビル大仙楼、地上一九八階に魔獣はいた。ボブの跫音が、外からの街のが差し込む仄暗い通路に響く。薄闇の中でも一目で分かるほどに、彼の纏った軍用コートはじっとりと鮮血と義血に濡れ、尋常ならざる魔の者の気配を発散させている。


 大仙楼に侵入した直後に、彼の脳内チップが発信者不明のメッセージを受信していた。それには大仙楼内のマップが添付されており、ある座標が登録されていた。

 メッセージをもたらした者は誰か――などという疑問はない。瞳に焼き付く金髪紅眼の美貌の王。


 胸に沸き立つ高揚感がもたらした快感を含んだ武者震いを落ち着かそうと、ボブは懐から取り出した葉巻を取り出す。


 この先のホールを直進すると、マップに登録された座標へ到着する。


 己の存在を隠すこともせず、ボブは覇は我にありと言わんばかりに堂々たる足取りで、とても王座の簒奪を狙う不遜の輩とは思えぬ。

 ホールの入り口に差し掛かった瞬間、視界の隅に何かの影が踊った。同時に大気を震わせたのは、それが嘶いた声だろうか。


「キィィィエエエッ!」

 声の正体は、ボブに勝るとも劣らない機化処理ハードブーステッドを行った総身義体者パーフェクトサイボーグだ。


 ボブの頭蓋を粉砕せんと振り下ろされた拳は灼熱の陽炎をまとっている。だが、既に魔性の獣と化したボブから見れば、児戯に等しい。半ば反射的に振るった腕に特殊セラミックス製の骨が砕ける小気味良い感覚が伝わってきた。

 無造作に打擲ちょうちゃくされた総身義体者パーフェクトサイボーグは、通路の壁に人工物で構成された身体を叩きつけられ、金属の硬い音と湿った義血の音を立てて果てた。


 ボブは相手の顔すら見てはいなかった。


 壁と半ば同化した屍体の拳に宿った炎熱の残滓で葉巻に火を点けると、紫煙を人工肺に取り込む。脳を蕩けさせる微毒の煙は、はちきれんばかりだった高揚感に一定の鎮静効果をもたらしたらしく、性的なそれに近い興奮はひとまず落ち着いた。


 ――まだだ。もう少し待てるだろう?


 遠からず来る暴力の開放を待ち焦がれる自らの身体に囁きかけ、彼は絶命した総身義体者パーフェクトサイボーグの胸に貫手を突き入れ、義血を吸収する。


 苛烈な使用に限界を迎えた両腕に変えて、新たに交換した義手に仕込んだ新機構。爪より義血を吸収して自らの糧にする義手は、玄天街でも有名な狂科学者の設計だ。

 憎悪で嵩を増したボブの魔性の本能に、既に過日の彼の戦闘能力を大きく上回っている。そして、彼の爆発力に呼応して義血の劣化もまた著しい。

 その劣化した義血を殺した相手の義血を奪うことで補う――まさに奪う側、弱者を糧にする強者の論理を反映させた吸血獣の爪だ。


 歩を進めると、やがて突き当りに重厚な扉が見えてきた。見えずとも分かる。この先にいる待ち人が。


 軍用コートのポケットに両手を入れたまま、ボブは扉を蹴り開いた。扉の向こうは燦然たる金色のダンスフロアだった。

 豪奢に過ぎるほどのフロアはかなり広く、ボブはその中心に待ち人の姿を認めた。

 辺りの黄金の気配よりもなお輝かしい、飛海フェイハイ城の天壌を総べる王。メルドリッサ・ウォードラン。

 彼の背後に見える刃の翼に見えるのは一対の大鎌だ。おそらく、柄の部分を革パンツのベルトで固定しているのだろう。


 煉獄より這い上ってきた魔獣が、紫煙を吐きながら笑う。


 惨敗という狂おしい屈辱に身を焦がしていたにも関わらず、自信の拠り所は何処か。雪辱に燃えた獣は魔生へと超脱し、外観はともかく、既に敗北を喫した頃とは別の存在といっていい。


 吸血鬼と総身義体者パーフェクトサイボーグ。共に人にして人外化生の域に達した、天のことわりすら歯牙にかけぬ怪人。


「遅かったじゃないか」


 ボブとは異なり、朗らかな笑みを浮かべるメルドリッサ。


「パーティーに引く手あまたでね」


 紫煙を吐き出しながら、ボブはゆるり……と身体の力を抜いていく。それは、脱力から一瞬にして最高速トップスピードへと至る武芸の一つの理。

 本能任せの暴力を武器とした魔獣だが、彼の野生――否、今や魔生と呼ぶべきそれは、武芸という人体力学を理解しているように自然に全身を脱力させたのだ。


「人気者だな」

「そうでもない」


 葉巻を咥えて一気に煙を吸い込む。彼の人工肺の莫大な肺活量を反映して、葉巻は瞬く間に根元まで灰へと化して襤褸離ぼろり……と床へ落ちた。意識がぼやけるほどの濃密な紫煙を体内に染み渡らせると、それを吐き出す。

 まるで瘴気が可視化したように、ボブの周りが微毒の煙に包まれる。


「義体だというのに人工肺のフィルターはカットしているのか? そこのところはどうしても理解しがたいな。脳以外は交換がきく身体だというのに、わざわざ寿命を縮めるなんてな」

「ハン。理解なんてする必要ないだろ。人生はみじけェんだ。俺はやりたい時にしたい事をする。俺が全てだ。自省? 非暴力? つくづく下らん。クソ喰らえだ。気に入らん奴はぶっ潰して、気に入った女は抱く。弱肉強食、この世のシンプルな摂理だ」


 末端まで燃え尽きた、咥えていた葉巻を吐き捨てると、ボブは獰悪な笑みを浮かべながら続ける。


「――そうさ。俺はな、前戯など放っておいて一気に貫きたい気性タイプの人間なんだよ。だから――」


 そう嘯くと紫煙が揺らめき、轟音と共にボブの姿が消えていた。

 電光石火、弛緩からの急激な加速はメルドリッサの動体視力をしても捉えきれぬ。無理もない。魔性の総身義体パーフェクトサイボーグの突進は同じ時間軸の速度域にない。

 轟音の正体は超音速に達したボブに、破瓜を散らされた音の壁の断末魔だ。


 だが、対するメルドリッサも既に魔性の眷属。


 しかも、ボブとは幾星霜の隔たりがある。


 たとえその色境に捉えられずとも、そこに在る以上、超音速であろうが打倒できぬ道理があろうものか。

 永きに渡る研鑽の記憶と経験が、彼の身体を動かす。

 王は不可視の攻撃を身を翻して避け、動きを利用して蹴りを放つ。人であればタイミング、威力共に申し分なく必殺域にある蹴撃。

 だが、魔獣から見ればその限りではない。即座に腕で防御の体勢に入り、接触の瞬間に後退して威力を殺す。


「フシュルルルルゥゥ……」


 威嚇するように歯を鳴らして息を吐くボブ。


 ボブにはかすり傷程度の傷もないが、先ほどの超音速機動の空気抵抗で丈夫な軍用コートでさえも耐え切れなかったらしく、ところどころ破れほつれている。

 だが、むしろ、そうなった事で彼のもつ底知れぬ暴虐の気配は更に色濃いものとなり、フードの影に隠された眼窩から覗く双眸がこの世ならざる怪奇の世界の住民である事を殊更ことさら強調していた。


「俺のものを奪い返す……。アレは俺のものだ」


 全身の脱力と相反して、魔獣は歯軋りするほどに強く呀を、拳を噛み締める。内から燃える感情の昂ぶりに応えるように、双眸がなおも煌々と不気味な熾火を宿す。


「アリアステラさんの事か? それは違うな。彼女は彼女自身のものだ。彼女がそう――誰かのものと認めなければ……」


 メルドリッサは余裕そのもの。淡々と語る姿はとても修羅場に身を置いているとは思えぬほどに、涼やかで理性的だった。


「お前の意見など聞いていない。さっさとアレを出せや!」

「……断る。今の君に彼女を差し出すと何をされるか分からんのでね」


 すげない返答に、ボブは怒りの余り却って無表情になった。否、双眸が氷点下の炎を宿している。

 冷徹さと野生、反目する二つが絡み合い、魔獣に更なる力の呼び水を与える。

 この場に居合わせていたのならば、白星軍バイシンジュンの屈強な義体サイボーグ兵も戦慄に後退り、常人ならば呼吸困難に陥るほどに、今のボブは本能に訴えかける強者の気配を発散させている。


 そんな瘴気にあてられても、メルドリッサは怯むどころか微笑ましいものを見ているような表情で、新たな来客の到来を察知する余裕すら見せた。


「もう一人の客人が来たようだね」


 涼しい顔をしながら、メルドリッサは扉の一つに視線を巡らせる。彼の眼には既に来訪者の姿が見えているのか一つの扉を注視している。


 はたして、応えるように扉を開いて一台の黒いMBが姿を現した。大きめな扉も三メートル級のMBから見れば窮屈きゅうくつな扉でしかない。

 それを苦労しいしい通りながら、MBライダーの声が外部スピーカーを介して、フロアに響く。


『祭りに出遅れちまったかな?』


 外部スピーカーから聞こえる声はパイソンのものだ。


「すまないな。先に始めさせてもらっていた」

『薄情者が』


 苦笑交じりのパイソンに、水を差されたボブは憤懣やるかたなく、声を荒げる。


「……プレストン。邪魔するなッ!」

『――ぁあ? 檻に帰って隅でうずくまっていな、キャンキャンうるさい負け犬くん?』


 そう嘯くと、MBの装甲ごしに殺気が溢れだす。赤いカメラアイが熾火の如くに光を放つ。


 三つ巴――。

 ダンスフロアに充満する重圧は更に重みを増し、深海のように息苦しい。金色のフロアの輝きも、三人が放つ瘴気にくすんでいく。


 メルドリッサが身を翻し、一対の大鎌を構えた。

 右手一本で柄を併せ持ち、さながら逆転した二つ巴のように刃を反転させ、身体よりも前に突き出した左手は剣訣けんけつを結ぶ。涼やかな笑みを浮かべる姿には余裕さどころか王の威厳すら感じられる。


 ボブが獲物に威嚇する熊のように、巨体を誇示しながら両手を広げる。

 身から横溢する殺気は旋風の如く。ただし、身体はあくまで弛さを保ち、刹那の加速に備えている事が見て取れる。


 パイソンのMBがライフルを構える。油断ない、諸手での射撃体勢。

 一方で、ホバーブレイドでゆるやかに全長三メートル級のMBが大気を踏む。油断ない、狡猾こうかつさすら感じるその姿は、確かに蛇と評されるにふさわしい。


 それぞれ視界に二人の姿が入るよう留意しつつ隙を狙い、深海の水圧に逆らいながら泳ぐ深海魚の如く、彼らはじりじりと位置をずらしていく。

 重苦しい大気の支配の元で三者は精神下での攻防を行う。不用意な攻めは、即座に二人からを相手にする愚挙となる。

 今にも放たれそうな矢の緊張感。


いつまで続くか先の見えぬ重圧は、実のところ、それほど長くは続かなかった。


 どこからか響いた轟音が号砲となり、それを契機に張った弓弦が開放。ここに王と魔獣と蛇の三つ巴の決闘の幕が開かれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る