雷霆

 蟲に喰まれていた夜空はいつしか、双子月に照らされた夜色を取り戻しつつあった。夜の雅を侵していた無粋な蝗害は鳴りを潜め、月光に照らされた僅かな蟲どもがそれから身を潜めるように散らばっていく。


 もはや、捨ておいても問題あるまい。


 そう判断し、夜烏よがらすを戦闘航空機形態へと戻し、大仙楼へ向け機首を傾けた瞬間。


「上空より動態反応」


 咲夜の声に反応し、安穏と上空に眼を向けるよりも先に回避機動を行う。ホバリング状態から右巻きのロールを連続して行いつつのX軸移動。

 通常の戦闘航空機では不可能な機動は、その変形機構から姿勢制御用スラスターが多く装備されている機兵ならではだ。


 夜烏の回避より一瞬遅れて、一条ほとばしったレイサーの光が夜を灼く。


 確認もそこそこに勘頼りに機体を操作したのが功を奏したらしい。九死に一生を得るとはこの事か。


 夜の水面みなもから水底まで一直線を結んだ雷霆の発生源を睨む。


 双子の月光に照らしだされた灰色の影。夜烏と同じように空に浮かびながらも、その存在は異なるものだった。


 甲殻を纏った人型に近いながらも、下肢は大腿部が肥大しており、下へそれぞれ二本の逆関節に伸びる脛骨けいこつのようなふしがある。

 体重を支えるはずの足が無く、それぞれの節から湾曲した巨大な爪が甲殻類のはさみよろしく伸びていた。

 上肢も人型であるものの甲殻からは鋭いとげがびっちりと生え、下半身に反して痩身といってよく、腕に至っては退化しているように短く細い。

 そして、胸部中心には、くんを纏った逆立つ髪もつ少年が結跏趺坐けっかふざしている像状の器官がある。


 頭部は人間の頭蓋骨に近い。ただ、レンズ状の眼球に似た器官が眼窩部から尾骨にかけての面積を殆ど埋め尽くしており、碧色へきしょくの光が残っている。

 おそらく、先ほどのレイサーを発射した発振器官だろう。それは冷たい夜気に溶かされ、白煙とともに次第に消えていく。

 顎には全身の荊棘けいきょくに負けじと、剥き出しの乱杭歯らんくいばが並んでいる。後頭部から伸びた器官は背中を滑り、体躯よりも長い尾となっている。計測された全長は十メートルほど。

 全身を茨で覆ったかのような外観に則して、それから醸し出される刺々しき兇悪な殺戮本能が突き刺さってくる。


 神門の第六感が、あの異常な戦闘能力を持った蒼い車体のライダーと同じ臭いを感じとった。


『やはり避けたね』


 嘲弄の色濃いひび割れた声が響くと同時に、頭部に重なるように透けた、金髪の少年の相貌かおが浮かんでは消える。

 面貌は胸部の像に似ているが、表情を排したような瞳を閉じているそれと違い、逆立った髪は独立した生物のようにおどろと蠢き、眼光は殺意に濡れた刃のように鋭い。

 だが、決定的に異なるのは相貌に映した、童子が地を這う蟲を戯れに殺すような喜悦に歪めた表情だ。


『初めましてだね。僕はジラ・ハドゥ』


 気密性の高い夜烏のコクピットに、如何な大音声でも声が届く事は考えられない。コンソールには音声通信を受信しているという事実は表示されていない。

 心に直接届いているのか、怪異なる声は大気を介さず神門へと伝わっている。


 かなりひび割れた響きではあったが、この声と声に篭った殺気は忘れようはずもない。装甲に滲み入り、まざまざと伝わる殺気の質。あの神門を弄んだMBのライダーに相違あるまい。


「――!」


 あのライダーに上空を取られている。


 圧倒的技量差に加え――高低差という絶対的な格差。

 彼我の位置から見て、翼腕のブレイドは届かずチェーンガンも射角の外側、こちらから攻撃できる兵装は、ない。

 更に、こちらの機動は手の平で踊っているかのように詳らかに捉えられる。

 あちら側もこの絶対的有利を手放さないだろう。空中戦闘機動マニューバで振り切って、一気に位置を入れ替える――不可能だ。あのライダーがそんな事を許すはずがない。

 既にして進退きわまるこの状況。


「――何者だ?」


 神門はからまった声で呟く。粘つく喉は、死神の息吹を首筋にかけられている重圧故か。死の空虚さで冷却された汗が顎から滴り落ちるのが、分かる。


『だァからさ、ジラ・ハドゥだってば。君をして、ゆくゆくは神皇帝になる男さ』


 問いかけたわけではなかったのだが、声――というには語弊があるが――の主は神門の呟きに応じた。


「神皇帝? 何を言っている?」

『ん?』


 神門の問いに、ジラは怪訝そうに眉を顰める。まるで、二人の共通言語が通じなかったかのような表情だ。……と、何か思い出したか、得心した様子で笑った。


『ああ、そうか。洗脳処置段階で脱走したから、記憶障害を起こしている可能性ありって事だったか。ああ、なるほどなるほど。――だけどね……そんな事、僕には……関係ないんだよねェェェエッ!』


 夜烏を俯瞰しながら、怪巨人ジラが視線――顔面のレンズ状の器官を眼とするならば、だが――を向ける。

 レンズの内周に従って光が回転し、光量を増しつつ内側へと収束していき、やがてそれは――。


 意味するところを理解した神門は、脊髄反射の速やかさで夜烏を操作する。

 その場で機首を地へ向けると、神門のから見て上――機首が先ほどまであった座標目掛けて、碧い瀑布が眼を灼く。


 そのまま、あえて高度を落とし位置エネルギーを利用し、機体を加速させる。追いかけてくる、夜を縫う碧色の光の針。機体後部のきわを掠めていく、刹那刹那に趨る光の帯に、神門の脳の一部が何か訝しいものを感じた。


 ――遊んでいるのか?


 ジラはその座標から離れず、顔から毒々しい碧色の刃を放ち続けている。彼のに斬られ、または炙られて、残されていた蟲どもが爆散し、夜空を赤い華で彩る。


「――!」


 粘つく執拗さで落ちてくる上空そらからの瀑布から、木の葉が舞い落ちるように躱す夜烏だったが、その流麗な動きに反してライダーの心中は生命の危機に凍えていた。


 慣性の責め苦に身体が軋み、視界の端に灯る浄火の雷光。瞳の奥が圧迫される感覚は、眼底に圧される脳の悲鳴だろうか。


「ポイント10・9±3・5から0。続けて、5±1・8±2・5から0……」


 震盪するコクピット内に朗々と響く咲夜の声が示すのは、墜落する浄火の座標情報だ。

 時に自らの眼で、時に咲夜の声を頼りに、夜烏は夜空そらを舞い踊る。だが、それとて限界がある。


 煌々とした火箭ひやに照らしだされた夜烏は、まさに照明で燻り出されたからすそのものだ。冷徹な狩猟動物の手並みで機動可能な空間をぎ落としていくジラに、追い立てられ、やがて追い詰められ、回避パターンが単調なものへと変化させられていく。


 神門とて理解しているが、かといって他にしのぐ方法がない。

 数瞬先に待つ死を先延ばしにし、なんとか生をつないでいく。その精神的消耗はただ撃ち続けていくだけのジラに比べくもない。


「現在の当機状態ステータスと敵生命体の暫定戦力を想定。敵生命体の照準性能と速度に対して、本機性能では太刀打ち出来ません。即時撤退を推奨します」


 咲夜が残酷にして現実的な、ありのままの現状を告げる。

 言われるまでもなく実感している。絶望的な状況に噛みしめた歯に傷つけられ、口唇くちびるから血が流れた事にも気づかず、神門は綱渡りの際どさで光線をけ続ける。――状況を好転させる手立てがないままに。

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