盲竜

 標的から逸れた銃弾が煉瓦れんが造りの壁面をえぐり取る。強靭な鋼鉄の脚が細やかな色彩のタイルを踏み割る。高価なものとおぼしき洋服に飾り付けられたマネキンが跡形もなく粉砕し、宝石類が煌めく残滓ざんしを宙空に放ちつつ散華する。

 降り注ぐ惨憺さんさんたる惨劇の雨は、血と義血、脳漿のうしょう滑液かつえきに至るまで、義体を含むおよそ人体を構成する体液が宙空にしぶいたものだ。

 四散し撒き散らされたスクラップ仕込みの挽肉ミンチは、全て変わり果てた白星軍バイシンジュンの警備兵の姿。


 営業時間もとうに過ぎ、平穏で支配されている筈の閉鎖型環境都市アーコロジー内のショッピングモールは今、まさに悪鬼羅刹の巣食う修羅の国だった。


 げに恐ろしきは、この鏖殺おうさつがたった一人による所業とだという事実よ。


 ――ボブ・ホーク。総身義体者パーフェクトサイボーグという点を差し引いても、もはや彼は魔獣の領域に棲息している。

 耐え難き怒りが彼を更なる暴虐の高みに押し上げたのか、以前とさほど変わらぬスペックの義体である筈にも関わらずその身体能力は格段に上昇しており、野生の本能は未来予知に近いほどの勘と反射をもたらしている。

 義血に血走った墨色の眼は瞳だけが爛々と夜闇に輝きを放っており、黒いローブじみたぎけつに染まった軍用コートも伴って、悪夢の使いもかくやといった姿だ。


 既に絶命している義体処置者サイボーグ兵の胸部をえぐったまま、右手は機械仕掛けの心臓に爪を立てた。爪の先端から義血がボブの義体へと流れ込んでいく。この吸血行為は交換した義手によるものだ。

 相手の義血を吸収し己の動力源とする、それはまるで彼が憎悪する吸血鬼メルドリッサにも似て――。


「ふん」


 下らぬ考えと共に、もう用済みとなった屍者を投げ捨てる。


 ――何か来るか。


 強化された聴力でも何も捉えていないというのに、ボブは野生の勘で迫り来る敵を察知した。はたして、それは複雑な楼閣ビルディングの隙間を縫うように飛び跳ね、姿を現した。


 最初、ボブは太義タイシー義体公司で開発している兵器だろうと推測していたのだが、果たしてこれが人の被造物なのか。


 直立した全高一〇メートルを超える巨躯は、惑星サラミスに存在する巨大爬虫はちゅう類――恐竜、その獣足類に属するものを模したかのような様だ。逆関節の二脚、せり出した肩。背中には板状の背鰭せびれがあり、両腕に相当する部分は無く、頭部には眼球に相当する器官も存在しない。その代わりに、頭部と融合するように女性をかたどった器官がある。


 そう――器官。はがねを思わせる色合いのうろこ、呼吸するように上下する体躯、奇妙な事にかなり生物に似せている機械と見せて、その実、機械に似た生物なのだ。

 証左に、ボブの義眼が機械ではありえぬ熱分布を感知している。


 盲蛇めくらへびならぬ盲竜めくらりゅうとでも言うべきか、正体不明の奇怪な生物。

 だが、ボブはいぶかしがるどころか、獰悪どうあくに笑ってみせた。それがどうしたというのだ。だから、なんだというのだ。こいつがなんであろうと、行く手を阻む壁ならば、壊して押し通すまで。


 先ほどの飛来してきた姿から察するに、巨体に似合わず敏捷びんしょう性は高い。だが、それでも巨体故に小回りは効くまい。容易い――とは言い難いが、勝てぬほどの相手でもない。


 盲竜めくらりゅうにわかに軸回転を行いつつ、先に八本のとげのついた尾を鞭のようにしならせながら薙ぎ払う。その軌道にあった建物が砕かれ、煉瓦を瀑布ばくふのように散らす。


 単独の義体処置者サイボーグほふるには過剰にすぎる殺傷手段だったが、既に人外化生じんがいけしょうの領域にあるボブには憐憫れんびんの苦笑をもよおす程度のものでしかない。

 その場で跳ぶと、煉瓦れんが敷きの床面をえぐりつつ迫り来た鞭尾むちおの棘と棘の間に手をつき、そのまま逆立つように腕の力で更に跳躍。まるで舞う羽根がふわりと気流に乗り、触れずして浮いたかのような鮮やかな手並み。


 宙空へと舞ったボブの眼前には無防備な巨獣の頭部が顕わとなっている。両者を遮るものは何もない。

 回転勁力をそのままに、まずは頭頂部を踵で踏み砕いた。

 ボブ自身の体重に落下の衝撃と回転力を加えたその蹴撃は頭頂部を粉砕するには足りぬと見えたが、鱗をひしゃげて亀裂を生じさせるには充分な破壊力をもっていた。青い血の吹き出す亀裂に拳を入れ、中身を握るとそのまま殴り抜ける。


 脳髄の断片を亀裂より引きずり出すボブは臓腑ぞうふを引き千切る死鳥だ。


 苦悶に身をよじ盲竜めくらりゅうだったが、それは、実際には次なる行動のために力を溜める体勢だった。

 筋肉と関節の駆動が調べを奏で、上に乗っていたボブごと頭部を力の限りに振る。

 遠心力で強引にひっぺ剥がされたボブは、投げられたボールのように宙を放物線を描くと、ちょうど閉鎖型環境都市アーコロジー内部の大仙楼から東西南北に伸びる大通りまで飛ばされた。


「ガッ!」


 義体が地面に打ち捨てられアスファルトを輾転てんてんとバウンドするも、その間にも野生の本能が指し示す通りに身体を動かす。その動きは、ともすれば義体を破壊しかねない圧力をぎ、しなやかに落下の衝撃を和らげた。

 勢いを失った頃合いを見計らって、猛獣のように四肢で大地を踏みしめると、慣性の残滓がアスファルトを擦過させたが、程なく停止した。


 眼前に見える蓮の花のように粉砕されたアスファルトは落下地点だろう。そこからアスファルトをね、数百メートル進んでいたらしい。

 背後を見れば、どうやら大仙楼の方向へ飛ばされたらしく、遥かに天を刺す楼閣の一部は先程までよりもその存在感を強めている。


 聴覚がうなるような鳴き声を聞く。このまま見逃してくれるわけもなく、巨獣は依然としてボブを抹殺する腹づもりだ。


 断続的に地面を揺らし、唸り声は更に近づいてくる。いつまでも追いかけ続けられても迷惑だ。ならば、メルドリッサという怪物への試金石代わりに、この玩具を壊し尽くしてやろう。


 やがて、巨大な影がボブを覆った。

 先の巨獣が整然と並ぶ楼閣ビルディングを飛び越えて、そのままし潰さんとボブのいる位置を着地点に定めたのだ。


 当然、呆然と待ち受けるボブではない。その影を文字通り潜り抜けると、着地の隙を狙って身体を標的の方へ向ける。はたして、粉塵を起こしつつ着地した盲竜めくらりゅうは、眼がないにも関わらずボブをめつけるように首を向けると、はしり寄ってきたボブへもり五月雨さみだれ撃ちを行った。


 次々と路面に佇立していく木々より一瞬速く、ボブは身を捩りつつ飛び退ずさった。かわしきれたのは、一瞬早く本能が警告を促したおかげだった。


 よく見れば、蟀谷こめかみとおぼしき部位より返し棘が伸びている。なるほど、銛の正体はこれか。圧縮空気か何かで射出しているのだろう銛はボブの身長よりも高く、中央付近にははしらに身を捧げたような裸身像が浮き出ている。

 一柱につき一人、男性像もいれば女性像もいる。捩った裸身は苦悶故か快楽故か、どちらにせよ眼窩より上を切り取られた像からは表情をうかがえない。


 銛を撃ちつつ次なる跳躍に備えていたらしく、盲竜めくらりゅうは大仙楼の方角へ向け再び宙を舞い、背中から背鰭を発射する。

 連続して撃ち出される板状の背鰭の後部からは噴射炎が尾を引き、その様は夜空をける流星にも似た。

 板状の背鰭は誘導弾ミサイルのような生態ヽヽをもっているらしい。電子強化された動体視力が背鰭誘導弾フィンミサイルの先から鮫のような血走った眼を捉える。


 しかし、そうやすやすとそれに当たってやるボブではない。既に彼はその野生の衝動に従い、道路に打ち捨てられた推力式浮遊車輛スラスターモービルを底部から持ち上げていた。

 それを楯にするように誘導弾ミサイルへ向けて投げた。流石の誘導弾ミサイル生体の反射も追いつかなかったとみえ、若干、横に泳いで避けようとしたが、あえなく接触。

 生体火薬を生成していたのだろう。車体と接触した数発の背鰭は誘導弾ミサイルを模しているだけあって、魔獣と巨獣を隔てる空間に大輪の熱量はなを咲かせた。


 推力式浮遊車輛スラスターモービルに接触して爆破したことから、あの背鰭は触接信管誘導弾ミサイルの性質をもつらしい。


 そして、はだけた炎の花の向こうから、更に餓狼がろうの凶暴さで更に魔獣に喰らいつく誘導弾ミサイルの群れ。義体処置者サイボーグいえども、一発一発が人を消滅させるに充分足る火力をもつ誘導弾ミサイルの直撃に耐えられようはずもない。


 そもそも、寸尺サイズからして人の身長を超えるほどの誘導弾ミサイルだ。

 だが、余人ならともかく、今や魔性の獣と化したボブにはその程度の弾幕など、何の障害にもならない。むしろ、追尾する誘導弾ミサイルと接触する寸前にそれに飛び乗り、更に跳び駆ける。


 悪い冗談としか思えぬ光景だ。触接信管の誘導弾ミサイルは確かに目標と衝突して作動する。だが、当たれば致死を免れぬ、それも高速で飛来する誘導弾ミサイルを相手にこのような芸当ができようものか。


 誘導弾ミサイルの弾幕を沖に浮かぶ船に見立て、八艘はっそう飛びで接近する機械仕掛けの魔獣。標的を見失った誘導弾ミサイルが罪のない楼閣ビルディングに突き刺さり、大輪の花火を幾重にも咲かせ、ボブの背中をあぶる。


 着地した盲竜めくらりゅうはボブの視界から隠すように大仙楼を背負った。これ以上は通さぬ、ここがお前の死に場所と告げるかのように咆哮する。


 ボブはほとばしる殺傷本能がもたらす絶頂感に禍々しい笑みを浮かべた。

 是非もない。だが、それはお前の方だがな。

 俺が殺す。俺が押し通る。ここがお前の死に場所になり、ここがお前の生き止まりDead Endだ。


 飛び渡った誘導弾ミサイルも最後の一つ、これを越えればあとは魔獣の一騎駆け。だが、ボブは今までと異なり着地点を少し後ろへとずらした。畢竟、相対的に誘導弾ミサイルの目前の空間を落下するボブ。


 焔の神の息吹を封じ込めた弾頭が迫る。自由落下と目前の死――避けられぬとしか思えぬ数瞬先の死に……ボブ・ホークは笑っていた。


 ドーパミンだかエンドルフィンだか脳内麻薬が過剰分泌され、一瞬が引き伸ばされる。タキサイキア現象と呼ばれるものだ。

 ボブの身体は弾頭の先端と接触すると見せて、真実はそれより身体一つ分横にずらされていた。意識上でのろのろと蝸牛かたつむりの如く誘導弾ミサイルはしる。当然、ボブ自身も同様に牛歩の動きだ。


 ゆるゆると誘導弾ミサイルの先端を脇に抱える。当然ながら棚引く炎の尾の推進力はボブの身体の重量を超えて、なお虚空を泳ぐ。

 だが、頭を掴まれた蛇の如くに出鱈目でたらめに尾を振って暴れる誘導弾ミサイルは、総身義体パーフェクトサイボーグの重量もあり、地へと向き、墜落する流星となる。

 濁流の勢いに押し流されるボブだったが、その足が大地をしかと掴んだ瞬間は逃さなかった。

 己の身体をコンパスの針のように軸回転させると、指向性を与えられた誘導弾ミサイルはそれに付き従う。


 如何なる術理か、義体のスペックを遥かに超える膂力りょりょくを発揮しているボブだからこそ出来得る、規格外にして想定外の行為。そして、それの帰趨きすうするところは――。


「砕けて……焼けろォォッ!」


 推進力と遠投の勢いを乗せて、魔弾の射手へ。はたして、とんぼ返りした誘導弾ミサイルは射出口――未だ白煙棚引く右肩へと突き刺さり爆ぜた。いくら装甲に守られようとも、展開していた誘導弾ミサイル射出口を狙われてはひとたまりもない。


 右肩を爆破の焦痕に文字通り灼かれた盲竜めくらりゅうは、右肩の消失によりかしいだ身体を二脚と尾で均衡させる。その空白の時間を魔獣がどうして見逃そうものか。


 一切の躊躇なく、ちっぽけな機械の身体もつ魔獣は自らの体躯を数倍しても足りぬ巨獣へと奔る。

 ――も、射程距離に差し掛かろうとする寸毫すんごう、突如として凍りついた背筋に頭脳を介さずに反射し、魔獣は横倒しに跳躍する。


 地が壁となった視界でボブは、内側から光をらせつつ巨獣の顎門あぎとが何又にもはだけるのを見た。


 突然、白昼よりなお煌々こうこうと、太陽と見紛うほどの山吹色の光が目を焼いた。

 過剰な光量に反応し、速やかに義眼が視覚修正を行う。


 光の奔流が過去のボブが存在した空間を舐め、街路が溶け、深い氷雪溝クレバスを思わせる裂罅れっかだけが過剰な熱量に赤く染まっていた。それ以外のものは赫灼かくしゃくたる明光に溶け、光そのものへと化したのだろう。

 イカロスのろう造りの翼もかくや、あまねく全てを浄化する劫火をもたらしたのは鏡の照り返しもまばゆい、花開いた顎門あぎとよりいでたるレイサー光線だ。


 その路面を灼き切った威力に慄然とするどころか、獰悪どうあくな笑みを浮かべる魔獣。未だ、空中に身を躍らせているボブに、盲竜めくらりゅうの杭が街路を縫いながら迫ってきた。


 魔獣は身体の滑空から足が路上に触れた瞬間に上空へ跳躍、脅威が眼下へと流れる。見れば、巨獣は展開した顎から白煙を吐き出している。

 啾々しゅうしゅうたる白息しらいきは、過剰熱量を冷却するため、極低温の瓦斯ガスを噴射している故だ。

 共振増幅チャージと砲身冷却により、レイサー光線の次弾には少々時間を要する事実を、理性や経験則ではなく、ボブは無意識に近い勘で看破した。


 張り出した左肩が展開し、内部よりうごめく幾本もの触手が現れた。レイサーの高熱量に緑青ろくしょう色の光を放つ軟鞭の動きは主である巨獣の動きとは別に、独立した別の生物であるかのように振る舞い、降る矢の軌道でボブを刺す。


 地を這い、両手を前脚に両足を後脚に、狼の持久性と狩猟豹チーターの瞬発性でそれらを置き去りにする。

 更に、道路を挟む形で立ち並ぶ楼閣ビルディングの壁面を駆け、又は足がかりに更なる高みへと跳躍し、機化ハードブーステッドされた体躯を五臓六腑ごぞうろっぷに至るまで四散させかねない鞭を触れさせもしない。


 彼の脚力とそれをのたうちながら追従する鞭に打ち据えられ、道路舗装が見るも無惨な姿で横たわるも、意に介す者などここにはいない。


 壁面に張り付きながら奔るボブは目の前に、路地の溝を見る。

 本能に基づき、その向こうの楼閣ビルディングへと跳び、足がその壁面を掴むと三角飛びの要領で盲竜めくらりゅうへと強襲する。風にあおられる軍用コートの裾が死鳥の翼のようにはためく。


 急激な方向転換に、一瞬だけ触手がボブを見失う。勝敗を分かつ修羅の間断を制したボブは巨獣の左肩の付け根に飛来し、その装甲の隙間の関節部へ向け、渾身の掌底を打ち落とす。

 触手の大元の左肩ごと、胴体とそれを結んでいた巨大な関節が骨が砕ける断末魔と共に、衝撃と自重に耐えかねて地に落ちる。


 軋みを上げる金属摩擦の咆哮を上げ、未だ吐く息も白い顎門あぎとを花咲かせた。

 口が焼けただれても構わないとでもいうのか、冷却が充分に完了していない口中のレイサー光線発振部のレンズ状の器官がほのかに光を灯す。それは次第次第に照度を上昇していき、白い息を照らす。


 外しようもない完全な照準内。だが、それよりボブが速い。


 閉鎖型環境都市アーコロジーの天蓋を背負いながら舞い降りるボブの手には、いつの間に調達したのか根本に舗装の断片を残した道路標識が。

 まるで槍兵の馬上槍ランスのように、巨獣のはだけた顎を共振装置ごと突き立てれば、破滅の光は瞬く間に収縮し蛍火すら残さず潰えた。


 だが、それだけで済ます理由などない。拳を脚を爪をきばを振るいに振るい、滅茶苦茶に破壊する。


 獅子舞の如く、振り解かんと首を遮二無二振り乱す機械恐竜に合わせる形で、ボブは大仙楼の方角へと跳んだ。


 それは燃え尽きる蝋燭の最期の灯火だったのか、盲竜めくらりゅうは物悲しく微かに吠え、そのまま沈黙した。隣にあった楼閣ビルディングを巻き添えにし、巨獣の体躯が地に落ちる。


 その様子を、大仙楼の壁面に捕まったボブは満足気な笑みを浮かべて見守っていた。

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