解錠

 プレストン探偵事務所のガレージに鎮座するジョイントステージに実体を預けて、エリナの意識は電脳空間の中を疾走していた。


 電脳空間上に存在する電子ロックの座標情報を探りつつ、網目を走るグリッドや仮想構造物の群れの隙間隙間を縫い、対侵入者A駆逐X電子E白血球Lの妨害を掻い潜る。その速度は仮想現実とはいえ、人の域を遥かに超えている。


それもそのはず、今のエリナの姿は十代の少女のそれではなく、仮想義体――真珠の光沢を持つセラミックボディも麗しい人体模倣絡繰人形マシンナリフィギュアの姿であった。


 丸みがかった三角形と卵形の中間の瞳は、実体と同じ緋色に灯る。

 仮想単位上、実体に似た体型スタイルをした義体は三次元曲面で構成されており、無機質な質感に反して織り成す流線と曲面はなんとも艶かしい。

 前頭部には兎の耳じみた折れ曲がった太めの触覚、後頭部にエリナ本人の髪型ポニーテイルを模したと思しき、涙滴状のユニットを接続している。繊細な薔薇のレースアートが描かれたそれは、姿勢制御の機能を有しているのだろう。現実のエリナの後ろ髪よろしく、人体模倣絡繰人形の動きに合わせて、結わえた後ろ髪バランサーユニットが揺れている。


 電脳空間上の仮想化身アバターをエリナは通常、脳内チップの初期設定である実体の姿のままに設定している。

 だが、その姿では侵攻没入ダイブクラックに耐えられない。肉体は精神に支配され、また逆も然り。

 仮想現実とはいえ、肉体は十代の少女の姿では自ずと限界が訪れる。


 そこで別の姿アバターを用意しておき、有事の際に切り替えるのだ。


 仮想義体と呼ばれるアバターは、完全没入フルダイブアクセスを行う者に最早常識だ。

 現実よりも反応速度が早い仮想義体は、脳内チップの処理速度に慣れた者にとっては、肉体的機能限界がある現実の肉体よりも操りやすい。

 事実、エリナも生身より仮想義体の方が自分の思いのままに動かせる。


 生身はどうしても頭に描いた行動に追いついていかない。

 個人差はあれど、思った通りの場所へボールを投げるという行為も練習を必要とし、更にいつでも完璧に行えるとは限らない。

 だが、脳からの命令に完全付随するアバターであれば、イメージさえ完璧ならば、初めてでも完璧な結果を出せる。


 エリナの仮想義体は、実世界では到底不可能な精妙さと膂力を駆使し、イルミネーションに彩られた仮想の都市を趨り、跳び――前方に姿を現した|AXELの姿を認めた。


それは頭部に相当する部位がなく、猫科猛獣の靭やかさに亀の甲羅を纏わせた陰翳をもっていた。首の先にある、MBサイクロップスのカメラアイによく似たレイザー砲口が蒼光を吹く。


だが、彼女の仮想義体――ホワイトラビットは、瞬く間に襲い来るレイザーの軌道を読んでいたとみえ、光線の脅威が訪れる一瞬前には猛威の埒外へと身を躍らせていた。


 その結果を、機械システム特有の無感情さで認めたAXELが敵の姿を捉え、第二射の体勢に移行する間に、ホワイトラビットは中空へと身体を翻していた。


 開いた両手にワイヤーが趨り、粒子が収束。果たして、銃の姿へと変貌した。現実世界では考えられない速度域で以って、狙いを定める。


 両者の立場――狙う者と狙われる者を入れ替えての、先ほどの再現。ただし、今度は結果が異なった。迸った蒼い光はAXELを焼き溶かしながら通り過ぎた。

 光の筋が辿った足跡に、AXELのなかに向こう側の景色が見えるほどに、見事な通り道が出来上がっていた。

 真空管に似た薬莢が地面に打ち鳴らされ、鏘然たる名残惜しげな音色を響かせると、それきり燐光に包まれて消失。

 仮想義体が構えていた銃も幻影だったと言わんばかりに、雲散霧消した。


 もう前方に敵性体は存在しない。あとは、一直線に駆けるのみ。

 仮想上とはいえ、基本的に物理法則に則した世界で、エリナは今や白い風だった。

 風は、ただ駆けるのみ。置き土産に、掻き乱されひずんだ大気が入り込み、颶風となって吹き荒れるが、電子世界の高速妖精は瑣末な外界の事象など意中にない。妖精は妖精郷こうそくりょういきに棲むもの。


 何もかもを置き去りにして、ホワイトラビットは電子世界の鍵穴へと到達した。扉の代わりに巨大なシリンダーが円柱のように聳え、手前にシステムコンソールがある。電子錠を具象化したイメージだ。


 ちょうど、実世界で物理錠へと到達していた神門から、通信が入った。


『目的地に到達』

「了解。パスワード開錠作業開始しんす。少ぅしばかりお待ちを」


 コンソールに手を置くと、電子ロックシステムとエリナの脳内チップが情報処理端末を経由してリンク。

 同時、刻一刻と変化するパスワードの突破のため、手に入れた複雑怪奇な法則性に基づいて解析を行う。巨大なシリンダーが音もなく目にも止まらぬ速さで廻り、数百にも至る桁の一つ一つがめまぐるしく変化し、それぞれ開錠の文字を探り当てると止まっていく。


 それら全てが動きを止めるまで、実に三十秒ほど要した。シリンダーの回転が止まると、実世界のアナログ錠を開錠するような音がし、コンソールに文字が現れた。


 ――物理錠と同期して開錠を行ってください。残り9秒でパスワードは変更されます。

 ――開錠を行いますか?

 ――∨YES  NO


「パスワード開錠準備オウケイ。残り時間がないので、カウント5から始めんす」

『了解』



 * * *



 エリナの秒読みに合わせて物理錠のレバーを引くと、轟々とした重い音と共に青龍門の扉がゆっくりと開いた。


 外から跫音を響かせ、十幾人かの影法師が扉から入ってくる。


 淀んだか暗さの中だったが、サイクロップスのカメラアイで強化された神門の視覚野にはつぶさに映し出されている。

 暗視スコープとフード付きの対環境コートを纏った飛海フェイハイ解放戦線の面々だ。


 彼らの目的としているものが何なのか、神門は知らされていないし彼自身も興味はない。互いの無関心もあったが、それ以上に生還できるとは到底思えぬ、よくて捕われる運命が待ち受けているのが必定である神門に、わざわざ情報をくれてやる必要などどこにもないというボブ・ホークの意でもあった。


 この後の龍神神門の作戦内容は、先日と同じく陽動。ただし、前回よりもよりシビアな生存競争が待ち受けている。ここは、太羲タイシー義体公司の膝元、いわば総本山。

 当然、門より外と違い、正規軍と比べても見劣りしないほどの装備と練度をもった民間軍事会社PMSCsが警護にあたっている。

 思えば、先日の手練てだれもその民間軍事会社PMSCsの社員だったのだろう。


 民間軍事会社白星軍バイシンジュン。太羲軍との俗称も名高い彼らは、太羲義体公司の子会社だ。太羲義体公司製の様々な商品を試験運用し、その試験データを親会社が反映、新たな商品を生み出す。まさに軍需産業の進化のサイクルの縮図と言えよう。


 神門は踵を返すと、再び閉鎖型環境都市アーコロジー内部へと車体を進めた。


 そろそろ自慢の爪牙を磨き上げた白星軍が、神門と飛海解放戦線に邀撃ようげきを開始する頃合だ。


『緊急速報。内殻側のシャッターを開くようでありんす』


 仮想空間から情報をリアルタイムで入手したのだろう、エリナの警告と同時に、神門は未だサイクロップスの脚に引きずられた炎がくゆるシャッター前に辿り着いた。


 先ほど、ブースターユニットを糧とした顎門シャッターが開く。


 光の砂を散らした閉鎖型環境都市内部の夜景が見えるや否や、それ以上に鮮烈な発火炎マズルフラッシュが点滅し、施条ライフリングによるジャイロ効果にエスコートされた弾丸が坑内を駆け巡る。


「……ぅおっ!」


 肝を冷やす間もあればこそ、神門は先ほど目敏く見つけていた坑内の窪みまで後退し、そこの翳へ身を隠した。エリナの警告が功を奏し、先んじて退避した神門を見失った弾丸は隧道トンネルの闇に消えていった。


 坑内を縦横無尽に反射し、散々に聴覚を叩きのめした銃声も溜飲を下げたようで、今は耳鳴りがするほどの静寂に包まれている。しばらく出方を伺っていた神門の耳が、MBの駆動音と跫音を捉えた。


 ――三台!


 車種までは割り出せないが、発生源が三台のMBと看破すると、サイクロップスは窪みから身を踊り出し、先ほどの応酬とばかりに制圧射撃を行う。


 虚を突かれた三台のMBはなす術もなかった。


 一台目のピクシーは運悪く、狙いもそこそこに放たれた回転式機関ガトリング砲の粛清を受け、二台目のサイクロップスはワイヤーウインチの穂先に貫かれ、それぞれ爆散して果てた。


 最後のケンタウロスはなお悲惨だった。

 左半身に攻撃を任せつつ、神門のサイクロップスの右腕はカノン砲を構え、強烈な反動に備え、床にステークを打ち込む。

 ケンタウロスはマシンライフルを乱射していたが分厚い装甲に通ずるはずもなく、大口径の砲口のぽっかりと空いた闇を覗いた刹那――。ケンタウロスは砲弾に抉られていた。


 三台のMBを瞬く間に蹴散らした神門は、シャッターの開いた門扉を抜けた。再び、視覚に飛び込んでくる目にも綾な魔都の夜。


 青龍門を抜けると、空から降る殺気の氷点下の冷気を感じた神門は、無意識下でミサイルのトリガーに指をかける。

 それがMBをぶら下げたヘリと認めた神門の思考と乖離した意識が、照準を合わせてミサイルを開放させた。下知を与えられた火箭は炎の尾も猛々しく、主の命令通りヘリがぶら下げていたMBへと着弾した。

 MBと共に誘爆したヘリが毒々しい炎の大華と化し、魔都の夜に彩りを与える。


 エリナから齎された目的物の座標は大仙楼だいせんろう。神門は預かり知らぬ事ではあったが、奇しくも目的地はボブ・ホークと一致していた。


 各自の様々な思惑と共に、今晩、飛海寨城市は修羅の巷と化す。

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