黎明

 あえぐあえぐ。息を吸うごとに灼熱の酸素が肺を灼き、吐きだすと共に息が喉を刺す。


「全く――しんでぇな」


 ごちりながら、パイソンは震える指で煙草を取り出し、口に咥えた。


 思えば、奇妙な話だった。プレストン探偵事務所に電算書信メッセージが投函されていたのが発端だ。

 差出人は記載なし。エリナに発信元を探らせたところ、一切不明。まるで、グリッドスペース自体から突然メッセージが発生したとしか思えぬほど、元を辿れぬ電算書信メッセージにパイソンは首をかしげた。


 電算書信メッセージを要約すると「飛海フェイハイ城近郊で発生した衛星落下現場へ向かい、生存者ありし場合、保護されたし。なお、必要経費については振込済み。生存者保護の場合、更に経費の振込を行う」といった内容で、電算書信メッセージの送信日時に合わせて、口座に入金者不明で破格の金額の振り込みが確認できた。


 無視することもできた。だが、プレストン探偵事務所は常時自転車操業の火の車。しかも、依頼を撥ね付けて返金しようにも返金先が追跡できないとなれば、きな臭いものを感じながらも仕事を受けるしかあるまい。


 釈然としないものを感じながらも、メッセージに従い現場に向かえば、一人の少年が倒れ伏していた。

 ノスフェラトゥの軍服を着た、記憶が曖昧ながらもMB操縦技術は確かな少年――名を聞き出すと、彼は龍神神門といった。


 電算書信メッセージの主はどうやって聞きつけたか、神門を回収した翌日に新たな電算書信メッセージと、神門の保護経費と成功報酬――しかも相場を遥かに上回る――を送ってよこしてきた。

 相変わらず、発信元不明だったが、もらえるのならば文句の付け所もなくパイソンは当座の運転資金を手に入れた。


 確証は無いが、今回の裏で手を引いているのは――。


 思考に耽りながらも、パイソンはふらふらとだが歩を進めていく。いつしか、床面にあったホバーブレイドの轍を道標に。やがて、大仙楼の最上階も近い、空中庭園に到着した。


「おっ?」見知った後ろ姿に声を上げる。「神門!」


 彼は、開口部に寄りかかりながら、空中庭園に歩を進めようとしていた。その視線の先には風雅な庭園には無粋な二足歩行型戦闘車両、不気味な複眼を上下二つに並べた蒼いMBだ。


『あれ?』蒼いMBから拡声器に乗った声が届く。『君は確か、パイソン・プレストンだったっけ? へ~、生きてたんだ』


 パイソンの存在に気づいてなかったようで、振り向いた神門と視線が合う。


「プレストンさん……」

「よお。お互いボロボロだな」


 空中庭園はかなりの高度に存在し、庭園の他には灰色に広がる地平線と、空しか存在しない。

 空が白み始め、地平線の彼方の雲から紅の光がこもれて周りを藍色に染めている。黎明は近い。長かった飛海フェイハイ城の夜もようやく明けようとしている。


 高所の風圧に圧されて、少しよろめきながらパイソンは煙草に火を点けた。

 激流に姿を消す小枝のように、紫煙は凄まじい風に流されている。だが、火照った身体には、このたてがみをなぶる風も心地いい。


「それで? 知らねー誰かさん。結局、訳分からん事だらけなんだが、何か説明してくれるんだろうな?」

『一つ教えてあげるよ。もう気づいてるかもしれないけどね。龍神神門――。彼はノスフェラトゥじゃないよ』

「ほう……」

『ノスフェラトゥは一度完全に解体された。その後は、実験部隊に再編されたけどね。軍服はただの名残りだよ。安心したかい?』


 そこで、MBライダーはパイソンの心に踏み込んだ。


吸血鬼の娘さんエリナが殺される心配がないってさ。壊されたくなかったんだろ? 吸血鬼との家族ごっこをさ? 吸血鬼殺しノスフェラトゥ?』


 パイソンの底光りする隻眼がMBを睨む。


「てめぇ……」

「べらべらと……」


 神門が一歩踏み出し、抜いたままの刀の剣先をMBへと突きつける。


「咲夜を返せ」


 途端、拡声器ごしに嘲りの笑い声が響く。


『それはできないね。こっちも仕事でね』


 そして、殺気を隠そうともしない冷徹な声で『君を殺せなくて残念だよ』と告げた。


 それが合図だったのか、蒼いMBの上空に滲みが生まれ、次第にリムジン推力式浮遊車輛スラスターモービルの姿を露わにしていく。光学迷彩で潜んでいたのだろう。

 リムジンの後部ドアが開く。


「……もうてめぇが生きてても驚く事はねーだろうな」


 死者との再会。ドアの向こうから睥睨する者は、続いてパイソンの呟いた名の男だった。


「メルドリッサッ!!」



 * * *



 黎明までの僅かな時間、滅びの光が降り注ぐまで幾許もないというのに、飛海フェイハイ寨城の王たる吸血鬼は超然たる笑みを湛えていた。

 彼の腕には力を無くした咲夜の姿が。突風にあおられた咲夜の長い長い髪が、清流の輝きをまとっている。


 メルドリッサの側、付き従うように控えているのは、シニヨンを外し、栗色の髪を風に煽らせた黒い旗袍チーパオの少女だ。


 蒼いMBから躍り出た金髪の少年がリムジンより投下された縄梯子を掴む。止める間もなく、リムジンは飛海フェイハイ城の上空を一旋回した後、陽光を避けたか、日出ずる方角とは逆の方向へ飛び去っていった。


 それをただ、神門は見つめる事しかできなかった。


 彼方の空より、嶮峻の狭間からから顔を覗かせた太陽。

 夜明けだ。天光は地上の出来事に関せず、大地に降り注いでいく。かの威風を遮るもののない大仙楼の空中庭園から見る、雲海を透かして光を放ち浮かび上がる姿は如何にも美しい。


「追いかけるのか?」


 パイソンの問い。何を――など聞くまでもない。奪われた記憶、奪われた少女……奪われた家族。総て、総てを取り戻す。硬い意思を胸に神門は首肯した。


「そうか……」


 パイソンは短くなった煙草を足で踏み消した。


飛海城ここももうおしまいだな。太義タイシー義体公司が完全に撤退しては、玄天街も遠からず消える。住めばナントカ、結構ここにも慣れてきてたんだがなぁ」


 閉鎖型環境都市アーコロジーに寄生する形で存在している玄天街は畢竟ひっきょう、宿主の命脈を絶たれれば運命を共にする定め。

 既にして、主のない砂上の楼閣と化したアーコロジーの風化に従って、緩慢に死を迎える。


 玄天街――楼閣ひしめく混沌の街は、陽の光を浴びて灰となろうとしていた。

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