帝王
そこは、
大胆な空間の使い方は、様々な細工を施された調度品の華やかさを抑え、却って古き時代を思わせる枯淡の味わいを見せている。
絵師が己の心魂を叩きつけたであろう、古式蒼然とした屏風に描かれた墨の龍虎が相克する姿は、両者の吼え合う声が今にも耳に届きそうだ。重厚な造りの執務机に彫り込まれた文様の……なんと鮮やかたるや。香炉から聞こえてくる香りは、過ぎ去った時代の古雅へ身を連れて行くようだ。
床はガラスでできており、下には庭石や玉砂利、流水のせせらぎがあり、箱庭的小世界が構成されている。
窓ガラスの先には、目も綾な摩天楼――さながら現代の灯籠と言うべき輝きが彩りを見せ、新古を交えた独特の美を演出していた。更に今は人型がぽっかりと陰影を作り、鏡写しに床へ伸びたそれが、現代アートの一作品と言える世界観を生み出している。
人影の主こそ、この部屋の、そして、眼下に跪く摩天楼の王である。
「――来たか」
声は男のものだった。独特の乾いた声は、どこか幽玄さを感じさせ……。
男は、経済的にも地理的にも
時刻は、少年が丁々発止の立ち回りを見せていた最中である。穢れの驟雨が未だ大地に降り注いでいたはずなのだが、男と外を隔てるガラスには水滴一つすら存在しない。
ふと顔を上げた男の目に、都市を囲う壁が映る。夜の淵は、上部へ向かうと共に面積を狭め、ドーム状に都市を覆い尽くしていた。中心は大仙楼の頂点と結びついており、
色が抜けたような金髪と透けるような白い肌。ギリシャ彫刻を想起させる黄金比率の肉体を包んでいるのは、黒地に紅の糸で瀟洒細緻な刺繍も麗しい
先ほどまで眺めていた摩天楼の情景に背を向け、鏡に見立てて磨き上げられた床面に革靴を響かせて、社長室に備え付けられた専用昇降機の扉を目指す。その様も、舞踏の一部に見紛うほどの所作であり、彼のもつ超然たる気配に華を添えている。ただ歩く姿だけで市井の女性が目を奪われる事は必至であろう。
昇降機そのものも、電光パネルを排したレトロなデザインではあるが、社長室の雰囲気にはむしろ合っているといえよう。
階下へ向かうボタンを押すと、昇降機のシャッターが閉まり、古きを感じさせる見た目とは裏腹に、無謬の速やかさと静やかさで動き出した。
時間にして数秒、エレベーターは目的の階層へと到着。メルドリッサが降りた先は、社長室とは打って変わった、白い無機質かつ脱個性的な
流石は
メルドリッサは、ラボ内を一瞥すると、奥の強化ガラスで隔てたオブジェへと目を移す。
実に奇妙なオブジェである。大きさは三メートルほどか。無骨な機械が鈍く黒銀に光を反射しており、中央を挟んで、天地に分たれていた。パネルやボタンなどの操作用装置が排されているのか、全く見当たらない。無機質な工業機械的フォルムは、雅な美しさには程遠いものの、整然とした隙のなさに加え、いぶし銀の
天地の機械装置が無骨ないぶし銀ならば、それは鏡面のように艶めいた白銀である。色味や質感の相反さは造形にも及んでいる。楚々とした顔立ちの女の姿である。いや、女というには成熟しきっていない――乙女の姿であった。両の手首から先を天の、そして、薄い太股の半ばから地の――それぞれ機械の
柳腰の裸体は、薄く肋骨が浮くほどに細く、ガラス細工のように華奢である。しかし、胸と臀部はほどよく丸みを帯び、均整の取れた肢体は可憐でありながら
祭壇に供された生贄の痛ましさからか、無表情ながらもどこか憂愁を湛えた銀乙女の麗姿は、彼女の矮躯には無骨かつ巨大にすぎる枷の相反さと引き合い、霊妙な二律背反的官能美を醸し出す。シンプルなガラス枠も額に見立てて見れば、なるほど、鋼鉄に手折られた花の絵には、不思議なほど合っている。
――もうすぐだ。
遂にメルドリッサの計画が動き出す。長年の悲願が実を結ぶか、地獄へ堕ちるか。
一瞬、白銀の令嬢の瞼が幽かに動いたかのように見えたのは、錯覚か。眠り姫は静かに時を待つ。今はただ、静かに――時を待つ。
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