震狼

 震狼フェンリル――。狼の名を冠された黎い機体は、寸法こそ機兵とほぼ同格ではあるものの、その内部については完全に別の技術体系が用いられたロボット兵器である。


 犍陀多カンダタに垂らされた蜘蛛の糸――を脇目に、震狼フェンリルはなんと暴喰の灰雲の渦へと降りていく。そこには、塵級機械雲ナノマシン・クラウドが渦のに飛び込むような、注意や慎重さなど欠片も感じられぬ。少々の隕石など容易く喰い尽くす悪喰を前にしては、たかだか一〇や二〇メートル級の機動兵器なぞフレームさえ残らぬ。


 当然、その動きを感知して、塵級機械ナノマシンが寄り添っていき、雲と呼ぶよりも塊――大嵐へと変じていく。触れるものを溶きほぐす灰が、黎い狼へと呀を突き立てようとする。構成物の結合に割り込み分解せしめんとする、絶対切断の呀はしかし――。


「大したもんだねぇ。流石は……おっと、言わない方がいいのかな?」


 外部で起きている凄絶な環境も何処吹く風か、場違いな程長閑な声を上げたのはジラ・ハドゥである。複座式の震狼フェンリルの操縦席――前にはジラ、後ろには狼我ランウォが坐している――では、機体表面で起きている壮絶な鬩ぎ合いを知ってか知らずか、悪魔の申し子たる被造子デザイナーズ・チャイルドは、灰色の靄に包まれたモニターを興味深げに見つめている。


「…………」


 揶揄からかいを多分以上に滲ませたジラには答えず、後部座席の白い人狼は腕組みをしていた。もとより、震狼フェンリルの操縦には殆ど手動操作を必要としないシステムを採用されている。その分、現在では彼以外には操縦が適わないのだが……。


 機体表面に取り付く塵級機械ナノマシン。何もかもを塵へと、まさしく塵――一〇億分の一メートルにまで分け解す、分子機械。環境保全のために製造されたそれは、今……触れるものに兇悪に接する不定形の怪物と化していたはずなのだが、降下を続ける震狼フェンリル装甲はだを溶かすこと敵わず。


 塵級機械ナノマシンの侵食を別世界の事象へと追いやっている震狼フェンリル。これこそが、メルドリッサをして〝塔の惑星〟において、狼我ランウォが適任と称した由縁だ。


 全身を、骨の髄まで糜爛びらんせしめる厚き灰色の雲は、しかし黎い狼にはその魔性を発揮することなく、惑星内への侵入を許す。


 雲が明け、広がる大地が見えてきた。点在する緑と、灰色じみた陸上……。惑星潜りサルベージャーのコンテナに仕掛けたカメラからも見えていた、廃惑星の光景だ。少々性能の劣るカメラでは確認できなかったが、緑の周辺には石造りの街が形成されていた。旧時代の西洋意匠デザインを思わせる造形は歴史家や考古学者からは垂涎の的だろうが、残念ながら彼らには何ほどの興味も惹かない。


 次第に重力の見えざる手に従って、底へと降りていく。まま当然の帰結、それこそ原初より運命づけられていたように、震狼フェンリルは滑らかかつ危なげなく着地を遂げた。震狼フェンリルの体高が二〇メートル、胸部装甲座標からは約一八メートルの高さからのV=√(2gh)の衝撃を、彼は二本の足だけで吸収しておけたのだ。この機化ハードブーステッドを施していないというのに常人の域には無い膂力は、確かに彼が尋常の存在ではない被造子である何よりの証左だった。


 胸部装甲が展開され、操縦席が外気に触れる。既に大気組成等は惑星潜りサルベージャーからの情報で人体に影響を及ぼす様子が無いことは確認済みだ。ヘルメットを脱いだジラの金髪が灰色の風に揺れる。


「ちょっと埃っぽいかな」


 胸部から飛び降り、惑星イラストリアス4の大地に足を降ろす。脚部のコンテナに向かうと、彼を待っていたかの如くにハッチが開き、中から蒼いMBが姿を顕した。縦二眼の無機質な複眼仕様カメラアイ、右腕の禍々しい瘴気を放つ爪牙クロウバイト、胸部の衝角ラム……。冷徹な残酷さの化身、まさしく肉食昆虫の暴性と冷淡を兼ね備えたMBの名は――。


「さあ、オドナータ。暴れたいだろう? あの少しの辛抱だよ」


 オドナータ。そう呼ばれた艶めく蒼い車体が、曇天の隙間から木漏れ出る光を反射させる。ジラにはそれが物言わぬ刃金の巨人の返事に思えた。かつえた肉食昆虫の爪牙クロウバイトが肉を欲し、車体からだが血を浴す欲望に、蒼を輝かせる。意思が無いはずの愛車の疼きを察した被造子もまた、来たるべき暴虐の予感に笑みを浮かべた。爛々とギラつく瞳と貼り付いた笑顔は、なるほど、確かに悪魔の申し子たるに相応しい相貌と言える。


 愛車と呃逆あくぎゃくの会話を愉しんでいるジラの様子を、鉄仮面が俯瞰していた。震狼フェンリルの肩に立った彼は、ジラから眼を離すと彼方を遠望する。そこに彼の求める闘争が待っているのやもしれぬ。その、野蛮な期待が狼我ランウォの胸を占めていた。

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