奔走

 焦らしつ、甚振りつ、ジラはゆっくりと逃げる標的を追う。無駄な抵抗はむしろ望むところ。どんな足掻きを見せてくれるのか、ジラは期待に胸を膨らませる。


 ――さあ来い、さあ来い、さあ来てみろ。さあ、さあさあさあさあッ!


 強化硝子ガラスの向こうから差し込む灯火を頼りに、オドナータの跫音が、冥府から歩みくる水先案内人の足取りでサイクロップスに迫る。


 暗視装置ノクトビジョン等の機能を使わぬ絶対の余裕を持ちながら、ジラは仄暗い闇間を透かし見る。脅える獲物の恐怖の匂いを味わうように、機械昆虫は神門にじりじりと近づいていた。


 果たして、あるオフィスの柱の向こう側、巨人が蹲っている陰翳が床に映っているところを、ジラの視力が捉えた。


 我知らず舌舐めずりしつつ歩を進める。物陰に近づいたらどう往くかどう来るか。ここからマシンキャノンで仕留めるか、否。簡単に仕留めてはつまらない。

 狩人の悦びとは、獲物の心――恐怖、絶望を味わい尽くして、命を摘む事に他ならないのだから。楯にした柱ごとクロウバイトでじわじわと噛み切るか。若しくは、あえて気配を隠さずに近寄り、健気な反抗を悉く無効化してやれば喜びもひとしおだろう。


 決めた。まずは、ここから物陰ごと、残った右腕だけを奪ってやろう。目標をはっきり視認していなくとも、翳で位置は掴んでいる。ジラにしてみれば欠伸混じりでも可能な容易すぎる芸当だ。


 クロウバイトを開き、振り上げる。


 開いたクロウバイトからこもれ出る妖光は、光子技術の応用で、捕らえた獲物を溶解しつつ破砕する。その顎門あぎとに捕らえられたら最後、目標は奪い取られるのを待つだけ。


 振り下ろしながら、柱ごと噛み砕く。喰い千切られた柱は向こう側に潜むサイクロップスの右腕ごと、綺麗にクロウバイトが通過した部分を喪失し、奪われた悲鳴の残滓がクロウバイトから砕かれた音を立てる。

 あたかも、獲物の肉を自分も味わってか、ジラは法悦とした表情を浮かべる。


 サイクロップスは両腕を失い、戦闘は不可能。あとは逃走の果て追い立てられ狩られるか、或いは破れかぶれの特攻ならなお悲惨だ。残る両脚も奪われ、身動きできない絶望と共に死ぬしかない。


 さて、どう来るのやら……。ジラはサイクロップスの出方を伺う。


 はたして、サイクロップスの次の行動はジラの予測の範囲内だったのだろうか。


 突然、サイクロップスが真っ赤な閃光にいだかれ、轟音を引き連れて爆ぜた。

 自爆、だった。爆炎と圧力はオドナータを破壊しうる衝撃度こそなかったが、ライダーには閃光と爆音によるスタン効果を齎した。


「グッ! ぁあ~~!」


 だが、流石はジラと言えよう。爆炎の残像が灼きついた視界の中で、どこからの攻撃にも即反撃できるよう警戒する。


 攻撃してくる方角さえ掴めば、この程度の窮地は乗り越えてみせるという自負と技術が、視覚と聴覚が鈍った分、ぎ澄まされたそれ以外の感覚が周りの空間を支配する。

 それは心眼と呼ばれる一つの境地だった。

 支配している圏内に入る万物を、速度や規模も質量さえも余さず知覚してくれる。ジラは心眼など響きすら知る事がなかったのだが、知らずして一つの極地へ即座に到達する事こそ、彼の最大の異能であるのかもしれない。


 果たして、炎が揺らめく度に微妙に変化する温度、大気を焼く黒煙の流れ、散らばる部品の数々の悉くを掴みヽヽ、いつしか色と音を取り戻したジラだったが、それまでの決して短くはない時間、神門の次なる一手は一向に訪れなかった。


 オドナータを巻き込むつもりで自棄になって、乗っている車体を爆破したのだろうか。


 否、である。


 神門は、サイクロップスにある仕掛けを施していた。一定以上の衝撃を感知すると自動的に自爆するプログラムだ。


 オドナータが狩人の悦楽を感じているいとまに、神門はプログラムを組み上げた上でサイクロップスを捨てたのだ。自爆でオドナータを破壊できるとは彼も思ってはいなかったが、足止め程度にはなるはずだ。加えて、その爆音が仕掛けが作動した報せにもなる。


 結局のところ、神門は機械昆虫にはどうあっても勝てぬと認めた故での行動であり、ジラは彼が及びもしない領域に棲息しているという事他ならない。――はずなのだが、ジラは身体が震盪するほどの怒りの只中にあった。


「ウガァァアアアアアアアア!」


 心眼という境地に至った者とは思えぬ程、その叫びは獣じみていた。彼の眼は、正々堂々の勝負を投げられた、許し難い屈辱として映ったのだ。


 ――僕とは戦うまでもないという事かァッ! あの体たらくでかァッ!


 先ほどまでの余裕、若しくは油断も何処へいったのか……。

 オドナータはホバーダッシュをしながら、許しがたい獲物を捉えるため索敵モードを作動させる。

 目標はすぐに見つかった。

 先ほどの削り合いを見せていたフロアを見下ろす回廊へ戻っている。旋回で進路方向を調整し、肉食昆虫は標的を狙う毒蜂の執念で奔走する。


「見つけた、見つけたァ!」


 ヘッドギアで隠されているが、目を見開いて、まさに凶相の壮烈な笑みを浮かべたジラは、エレベーターへ趨る神門の姿を認めた。


 最早、狙いすらつけずマシンキャノンを連射する。流石のジラでも全く狙いをつけていない銃弾では標的を貫けない。それでも、神門の周囲を着弾する銃弾はまさしく魔人のわざ、魔弾といっていいだろう。


 対する神門は、当たらぬ銃弾など意識の埒外に追いやり、エレベーターへ到達する事しか考えていない。

 足を止めた瞬間、それこそ、逃れられない死神の鎌が魂の尾を斬る。いくら致死を齎す毒針であっても、自分を捉えきれぬのであれば、存在に気を取られて足を止めるなど愚の骨頂、当ててくれと挑発しているようなものだ。


 エレベーターの一つが二階に止まっていたのは、確かに見ていた。そして、エレベーターが動き出した事もエリナとの通信で確認している。


 門扉を開いて乗客を待つ昇降機に、神門はおそらく今までの生涯で最速の趨りで突っ込む。


 数瞬前にいた空間が噴気を出すように爆ぜる。血液を過剰循環させる心臓の悲鳴が切創のように痛み、乳酸で重くなる足の軋みが今にも膝を折りそうになるが、それら一切を無視して神門は趨った。


 果たして、神門はエレベーターのかごに飛び込み、無意識の内に階ボタンを押し込み、同時に閉ボタンを連打する。焦る心が、一秒を数倍にも感じさせる。


 一方、ジラは冷静さを多少取り戻しつつあった。


 彼ほどの技量があれば狙いをつけるなど、コンマ数秒で事足りる。

 殆ど直感的といえる速やかさで、かごの中でボタンを連打する無様な獲物をロックオンサイトに捉えた……と、同時にエレベーターの破壊を禁じる厳命が脳裏をよぎった。


「……ああ。いいさ、いいよ、いいだろう。これが最後ってわけじゃない。次に会う時が君の最期だ」


 彼の声が呼び水となったかのように、エレベーターの扉が閉まり、速やかにかごを上階へと持ち上げ、ジラの視界から消えた。

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