王族

 茶店の外に出ると砂漠の街は闇に包まれ、夜に浮かぶ超高層楼閣ビルの光が星のそれを散りばめたように燦然と輝いている。


 夜だというのに街は未だに人の喧騒が続いており、先導する青年の後を追って神門は人の間をすり抜けていく。

 青年は慣れた様子でうまく人々の間断へと大柄の身体を滑り込ませて、意外と進む歩は早い。人に時折ぶつかりながら、神門は見失わぬよう付いていく。

 青年の背丈が群集の中で頭一つ分ほど高いのが幸いして、なんとか追跡できてはいるが、青年が人並みの体躯ならば恐らくは見失っていただろう。


 しかし――信じられぬ膂力りょりょくだ。

 青年の左手にあるアタッシュケースと見えたものは、手提げ式の金属製の鞘だった。テーブルが邪魔で見えなかったが、側面からは柄が飛び出しており、また鞘の長さと幅広さから見るに刀身はかなり長大だ。

 その大きさから察するに、その大剣のもつ重量は人体の運動限界をゆうに越える重みであろうことは想像に難くない。機化処理ハードブーステッドしていない肉体で、平然と片手の握力で握り締めているとは……。なんと恐ろしいことに彼は口笛すら吹く余裕すらあった。


 しばらく歩くと、ガフザキヤと旧市場オールドヌクースを隔てる大通りに出た。

 青年は――どうやら待たせていたとおぼしき黒塗りの肌も麗しい高級有輪式リムジン車輛の傍で止まった。よく手入れされた艶のある黒い車体に街灯の灯が鏡のように映り込み、フロントには風を孕んだ衣の意匠の飾りが銀色に輝いている。

 見るからに高級車だ。自動的に後部扉が音もなく開くと、紅い革張りのシートが出迎えた。扉内部にも滑らかな漆塗りの木の装飾が備わっている。


 流石にもう慣れっこになった悪戯っぽい笑顔で、恭しい手つきで車内へと招く。

 毒を喰らわば皿までか。神門は青年を一瞥すると勧められるままに車内へと滑り込んだ。車内は外見に違わず広く、神門に続いて入ってきた青年の大剣すら横置きできたほどだ。


「じゃあ、よろしく」


 そう言って青年が扉を閉めると、それを契機に車輛は静粛な走りで進み始めた。


 頬杖をついて、窓の向こうの王都の夜景を透かし見る。林立する高層楼閣ビルの間を縫うように、ごく少数の推力式浮遊車輛スラスターモービルが月光を照り返して泳いでいる。

 王都では空中を飛行する推力式浮遊車輛スラスターモービルの数は規制されている故だ。幾何学的な高層楼閣ビルの群れと砂漠の古い石造りの街並みが不可思議にも同居する、王都のような都市は銀河中探してもここにしか存在するまい。


 不意に空気が抜ける音。向かいの席に腰を落ち着けている青年はまたしても、車載冷蔵庫から取り出したコーラを美味そうに飲んでいる。


 無言で王都の夜景をしばらく堪能していると、いつしかリムジンは目的地に到着していたようだ。白い手袋をしたドアマンが慇懃な態度で扉を開いた。


 運転手を残して、リムジンから降り立つとそこは巨大な楼閣ビルの玄関口だった。綺羅々々きらきらしい光に包まれた玄関口は木々と噴水に彩られ、楽土かと見紛うほどに麗しい。


 少々面食らった神門を先導して青年は慣れた雰囲気で玄関をくぐった。


 赤い天鵞絨てんがじゅうが敷かれたロビーもまたまばゆいばかりに整然とし、計算し尽くされた贅と品を感じさせた。

 右手に見えたフロントカウンターから察するに、ここはホテルだろう。それも、超がつくほどの高級ホテルだ。


 既に手配は済ませていたようで、ベルボーイが荷物を預かって先導しようとするのを青年は手で制した。考えるまでもないが、青年の"荷物"が常人の手で持ち運びできるとは到底思えぬ以上、彼の仕事が無くなったのは致し方なきことだろう。

 青年はベルボーイに礼を述べると、昇降機エレベーターに乗り込み、神門へ手招きした。乗れ、とでも言いたげだ。


「……」


 無言で昇降機に乗り込む。昇降機が速やかに上昇していき、かなりの高所に至ったのだろう。気圧の変化で聴覚に違和感を感じた。


 辿り着いた階層は全体がVIP用の部屋らしく、昇降機を降りてすぐの扉を抜けると、庭園と石造りの四阿ガゼボが鎮座しており、とても室内とは思えぬ景色が待ち構えていた。硝子で遮られた外から覗く、眼下で広がる月明かりに照らされた砂漠と相俟って、幻想的ですらある。


 青年がガゼボへ向かうように、手で指し示す。


 どうにも解せぬ。このような高貴な身分の者を助けた記憶なぞ神門にはない。


「人違いじゃないのか?」

「?」


 端的に過ぎる神門の問いに、青年は暫し眼を見開いていたが、程なく意味を悟ったらしい。訝しげな神門の視線をひらりと躱すようにひょうげた態度をみせた。


「いや、君で合ってるよ」

「……」


 納得はできないが、青年はそれきり何も応える気はないらしい。仕方なく、ゆっくりとガゼボへと近づいていく。


 石造りの舗装がされた道を神門の軍靴ぐんかの跫音が鳴く。

 ガゼボの中に一つの人影が見えてきた。おそらくは、人影の正体こそが――神門自身憶えておらぬのだが――彼が助けた貴人なのだろう。


 更に歩を進めると、貴人の影がはっきりと浮かび上がってくる。貴人は男性のようだ。ガゼボの中に入ると、赤い斑のズリーバンを頭に巻いた、歳の頃は神門とそう変わらぬくせ毛の少年。やはり覚えはない……。


 着ている黒地のストライプスーツは、仕立てから見るに相当な逸品であろう。――いや、待て。"赤い"ズリーバン? 確か、王国での赤いズリーバンは王族の証であったはず。ならば――


「よく来てくれた」


 ガゼボの内部へと足を踏み入れた瞬間、貴人が声を上げた。

 確か、オリヴェイラ王子――だったか? 先王の嫡嗣ちゃくしであり、先王の崩御とともに現王が王位を嗣いだため、王位継承権を奪われた王子。


 背後に気配。どうやら、ここまで案内してきた青年がガゼボに入って来たらしい。


「案内ご苦労さん、サダルメリク」

「おう」


 片手を挙げて返事をする青年――サダルメリク。王族と接する機会も多いだろうキングダムガードとはいえ、王族に対してへりくだるどころか気安い返事を返す青年サダルメリクとオリヴェイラ王子の間にはちかしい者たちだけが見せる、弛緩した空気が漂っていた。


「さて、こないだジャローマからMBを助けただろ? あの時、MBに乗ってたのがこいつだ」


 サダルメリクの言に、神門は思い当たる節がある事実に気づかされた。


 オリヴェイラは神門と視線を合わせると「ありがとう、龍神神門さん。お陰で生を拾うことができた」王国での最高に近い地位をもつ少年は頭を下げた。


「……いえ」


 少々面食らいながら、神門は反射的に短い返事で応えた。


「偶然に見かけたもので……。あなただったとは思いもしませんでした、王子」

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