妄執

 クワイエットハルディアン。両者を追う猟犬たちがこの街を看過することなど当然なく、金髪の被造子と白い人狼は高度から狂風吹き荒ぶ街を見下ろしていた。


「いきなり再会するのか。早ければもう決着がつくのかな?」


 〝光却のサウゼンタイル〟に重なる半透明の翳はジラ・ハドゥのものだ。残酷な笑みに端正な相貌を歪ませているジラに、この街の行く末を慮る心などあるはずもない。むしろ、総てを灰燼と帰するほどの圧倒的な存在を待ち望んでいると言っていい。そこには、請け負っている任務など頭の片隅にすら残っていないように思われた。


「……己たちの受けた任は、龍神神門の神化を促すことだと忘れてはいまいか?」

「うるっさいなァ。龍神神門を死ぬ寸前まで追い込んでやったら、嫌でもそうなるんじゃないの? 勢い余っちゃうかもしれないけどね」


 尽きぬ憎悪の源泉は己が最優であり最強であるという、盲目的とさえ言える妄信と矜持だ。遺伝子的に――いわば、誕生時点スタートラインから大差をつけている筈の自身が蔑ろにさせられる、特別な二人の存在。玄天君――龍神神門、紫天君――氷月虎狛ひづきこはく。結社にとって最重要とされる二人……。


「お前には殺せないさ。絶対に」

「はァ?」


 確信を持った狼我ランウォの声に、梟雄きょうゆうは空間をひしぎ兼ねない気配を放つ。気の弱い者、殺気に敏感な者が卒倒かショック死しかねぬ峻烈さが注がれているというのに、当の人狼も流石に常識を逸した存在――むしろ、向かってくるのならば受けて立つといった威厳があった。ひずむ重圧が上空を占めている事実を、下界のカリアティードは理解しているのか、この瞬間に奔った得も言われぬ予感で避難を決意した者が続出したという。


「己でも、三神官にも、メルドリッサだろうとも……宿命せかいが奴を殺させない。今、奴を殺せるのは一人だけだ」

「試してやるよ。奴をって、新たな神座に坐るのは僕だってね」


 兇相を貼りつかせたジラが、〝光却のサウゼンタイル〟の単眼に覆われた顔面に浮かび上がった。対して、震狼フェンリルの肩に腕組みをして立つ狼我ランウォは、己の乗機のコンテナに収まった存在に思いを馳せる。


 ――場合によっては、彼女をここで投入することになるやもしれんな。


 無骨な機械に戒められた銀姿の少女。彼女こそが龍神神門の神化を促す存在であり、鍵でもあるのだ。


「では、好きにしろ」


 どちらにせよ、ジラ・ハドゥに龍神神門を仕留めるなど叶わぬ夢。これは、単純な強さでは測れぬ領域だ。彼自身の意思を越えて生き残るという宿命は、決着の日そのときを迎えるまでは死を望んでも死ねぬというのろいに等しい。


 だが、もし。ジラの抱く谿壑けいがく怨念よくが宿命とも言える不文律、因果律の地平を超えたことわりくつがえすとしたら。決して触れられぬ筈の神域の深淵に脚を踏み入れられたとしたら。


 亞神いつだつしゃにして更なる逸脱しんいきを深め、やがては本人の望む存在かみに到ることも、或いは全くいなむこともできぬのではないか。


「……仮に、龍神神門をれたとして……お前は次に何を望む?」


 自己の強さを求道する者として、何より同存在の犠牲の上に成り立っている者として、狼我ランウォは被造子に問う。危険な狂犬、または総てを敵と見定めた猛獣とだけ認識していたジラにあえて問うたのは、己と異なる強さへの指標おもいを持つ者への興味だったのやもしれぬ。


「当然、その先を。玄天君に成り代わって〝相剋の儀〟を執り行って、紫天君もしいして……神皇帝へと到る。それだけだよ」


 その時が来ると確信しているように、合わせ鏡のジラには罅めいた笑みが彫られている。吐いた言葉の危険な意味を解していないかのようで――だからこそ、白い人狼は彼の底に眠る、遍く森羅万象への超越慾求とも言える慾動に偽り無きことを察した。


弑逆しいぎゃくの簒奪者となる気か。面白い」

「……へぇ。止めないのかい?」


 否、金髪の悪魔は己の危険な思想に自覚的であり、狼我ランウォと一戦交えることも考慮の内であったらしい。もしくは、ここで人狼を仕留める腹やもしれぬ。殺意を弄ぶジラは、なるほど、殺戮という目的のために偶像化デザインされた被造子デザイナーズチャイルドだと納得させられる。戦場を揺り籠に殺意を振りまく彼にとって、鏖殺こそ最大の美徳――いや、むしろ残酷なこの世から解放する慈悲なのだろう。


「ほんの少しだけお前に興味が湧いた。不可能だとは今も変わらぬ見解だが、せいぜい宿命とやらを覆してみるがいい」

「責を取らされるかもよ?」


 尽きぬ自信の在り処は何処までも湧いて溢れる、己の権能ちからへの絶対的な妄信。しかし、古今東西、大事を起こす者とは大小あれど、皆同じ気質を持ち合わせているのやもしれぬ。そう、狼我ランウォの胸中もジラのそれとは方向性ベクトルが異なるものの、同じ己への矜持がある。


「むしろ、お前が神門卿をしいすのなら、咎めなどあろう筈がない。絶対の宿命のろいを突破できる者こそ、結社には相応しい……だろ?」

「ふぅん。一匹狼を気取る、気に喰わない奴だと思っていたけど、意外に話せるじゃないか? 少しは好きになれたよ」

「戯れ言は美事みごと討ちたしてから言うべきだな。己は請け負った任を遂げるだけだ。ところで――」


 白い人狼は、先程から宙に浮いていた疑問をあえて口にした。


「仮に――己と事を構えたとして、無事に済むと思っているのならば、甘い考えだと否定させてもらおう。それに、だ。己無しでこの惑星から離脱できるのか?」

「はァん? 蠱毒程度が僕に克せないとでも? それこそ甘い考えだね」


 何の保証も無いというのに、彼の口をついた――言葉を発する口が存在しない〝不可視の雷霆ゼギルゼウス〟への表現としてはおかしいが――のは強烈な自負。計り知れぬ自身への妄信は、この〝塔の惑星〟よりも巨大でなおも膨張している。一つの惑星せかいをも呑み込みかねぬ、壮大な猛慾が向かう先は神域。しかし、神威を得たとして、その終着はては存在するのか……。それは、狼我ランウォもジラ自身も知らない。

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