覚醒

 細切れになった記憶の遡行が途切れ、神門の意識は過去から現実の肉体へと帰還した。


 目の前では、人間離れした美しさの少女が緩慢に小首を傾げながら、自分を見上げている。透き通るような肌、華奢な肩、そして――


「――ッ!」


 腕の中に収めたままの少女が一糸纏わぬ状態だった事を思い出した神門は、一瞬で顔に血が集中したのを自覚した。余計な毛が一本としてない、均整のとれた肢体に慌てて背を向ける。


 背を向けたはいいのだが、火傷しそうな程に熱くなった相貌が耳まで赤く染まっているのは、隠しきれる訳もなく。先程までの戦いとは異なる、鼓動の早鐘が居心地の悪さに拍車をかける。


「……?」


 急に背を向けた少年に、先程とは逆の方向に小首を傾げる少女は、己の姿を自覚してるのかどうか。

 とにかく、いつになく狼狽しつつも、彼女が着れそうな服を――彼女を見ないように――求めて辺りを見回すが、残念ながら身に羽織れそうな布の類すらない。


 仕方なく、自分の軍服のジャケットを脱ぐと、顔を背けたまま少女へと突き渡す。


「…………」


 どうやら、神門の行動で言わんとしている事を理解したようで、少女は神門のジャケットを受け取ると、それを着込んだ。然程さほど大きくない布擦れの音が、やけに響いて聞こえてきたのは、神門の心境故だろう。


 ジジ……とジッパーが上がる音を聞いて、ようやく居心地の悪さに解放されると、安堵の嘆息と共に少女へと振り返った。


 先程の肢体を惜しげもなく晒した姿よりは遥かによいとはいえ、小柄な少女が袖を余らせたジャケットに身を包んでいる様子は扇情的の一言に尽きた。

 余った裾から伸びた流麗な描線の素足が目の毒だ。なるべく、そちらを見ないようにしている神門に、少女が口を開く。


「……おはようございます、神門様」


 礼儀正しく一礼する少女。膝裏にまで達する長い髪が滝のように少女の肢体を流れる。声は、鈴の音の高さに、春風に馨る桜花の如くに柔らかく、玄妙な容姿に足る声模様だった。


 時が止まったか、と錯覚した。音が凍り、遍く万物が停滞する無命むみょうの情景。或いは、それは錯覚ではなく現実のものだったのかもしれない。その、時と時の狭間の中、神門は自分が何をしていたのかを忘れていた。


 やがて、時の歯車が回り始めたのか、足元を震動する轟音が耳に届いた。


 ――何をやっている!


 不甲斐ない。敵中渦中にありながら、何度も心奪われるとは。


 目覚めた少女は、此処が何処なのか認識していない様子で、辺りをきょろきょろと見渡している。


 此処が何らかの研究施設である事は、鎮座している装置群などで理解できる。しかし、一体、何のために彼女は此処でその実験に供されていたのか。この謎に神門は解答する術を持たない。

 ただ、此処に残しておけば、再び生贄の祭壇に供されるのは想像に難くない。ならば。


 神門が折れそうなほど繊細な手を取れば、少女が神門を上目遣いで見上げる。

 強引すぎたかと神門は少女の手を放した。女性の心の機微が分からない神門は、こんな時に何を語ればいいか見当がつかない。或いは、兄弟同然に育った幼馴染ならば、巧い言い回しができるのだろうか。


「…………」


 無言のまま、黒い瞳と赤紫の瞳の視線が交錯する。


「脱出するぞ」


 結局、何も飾る事ない、強制的とも取れるただ一言を告げる。だが、その朴訥な一言に――または瞳から語られる何かを受け取ったのか、少女は頷いた。


「はい」


 落としていた軍刀を右手に握り、左手は壊れ物を扱うように少女の手を取ると、神門は一度深呼吸をして、精神を集中させた。激戦の連続で疲弊した精神を奮い立たせると、入ってきた門扉から研究室ラボを出る。


 とにもかくにも脱出経路の確保が最優先だ。駐機場へ向かう昇降機エレベーターを探している途中だった事を思い出しつつ、神門は少女の歩幅に合わせて足を進めた。


 少年と少女が研究室ラボの外へ出て行くのを、物陰で気配を殺していたメルドリッサは我が意を得たりといった、会心の笑みを浮かべていた。彼の高揚を反映してか、妖しく燃ゆる眼光、がいつになく光を灯して見える。


朴訥ぼくとつにすぎるが、王子様は来てくれたようだな。魔法使いの役もなかなか楽しいものだ」


 独りごち、虚空を切り取って半透明のウインドウが表示される。脳内チップが直接視神経に投影する、虚構のウインドウディスプレイを操作し、仕掛けた『魔法』を解除した。



 * * *



 神門と少女が歩く六一階は、息をしている者が他にいないのか、時折、遠雷のような震動が伝わってくる以外には静寂そのものだった。角が見える度に少女を留まらせ、先行して様子を探りつつ進んでいた神門であったが、ここまで音沙汰がないと逆に不気味なものを感じる。


 腰に下げていたヘルメットから、音声通信の呼び出し音が小さく鳴る。ヘルメットを腰から外し、耳に当てると通信ボタンを押し込む。


『あー、あー。まいてす、まいてす』


 緊張感が幾分か欠けた声は、エリナのものだった。


『やっと繋がりんしたよ。見知らぬ美少女と手に手を取り、愛の逃避行を行おうとししていんすのは、いっそ妬ま羨ましいのでありんすが、そちらは昇降機エレベーターの反対方向でありんすよ~』

「…………」


 彼女の茶化しに反駁しようにも、傍目からの視点ではその余地がない事もあり、せめてもの抵抗に神門は無言のまま振り返り、元来た道を戻る。


『はい、そこ右、まっすぐ、右、あとは突き当たりまでまっすぐ』


 エリナの誘導に従い歩を進めると、ほどなく昇降機が見えた。


「駐機場は七三階で?」

『YES。かごももう到着済でありんす』


 エリナの言通り、確かに神門と少女を待ち構えた昇降機の扉が開いていた。

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