脱出

 昇降機は二人を乗せて上昇を始めた。かごの中では動作音以外の音は存在しない。


 神門は人間離れした美しさを湛えた少女を眺めると――サクヤという名に心当たりがあった事に、今更ながらに気がついた。


 今や目を閉じればまざまざと浮かぶのは悪夢の断片、自分が乗っていた機兵を捕食する機械仕掛けの遺骸。思えば、その機兵の機体管制システムの名称こそ――。


「――サクヤ」

「ええ」


 思わず、口に出していたようで、自分を呼ぶ声と勘違いした少女が、神門へと向き直る。


「おはようございます……ではなく、ご無沙汰しております、とした方がようございましたか?」

「……いや」

「?」


 小首を傾げる少女は、とても肉食恐竜に似た機兵に搭載されていたAIなどとは思えぬほど、清楚な所作を見せているのだが……。


 ――ご無沙汰……。つまり、これは再会……か。


 神門にはサクヤという名に関する覚えなど一つしか思い当たらない。数ヶ月前の悪夢の情景、得体の知れぬ怪人に拉致され、瞳に報仇の黒いを灯した、あの日、あの時。


「俺が知っていたサクヤは、機体管制AIだったはずだが……」

「正確には、特殊機体管制ユニットSpecial Airframe Control Unit、シリアルナンバーYA、タイプXXダブルエックス。略してSACU-YAサクヤです。私のシステムは人体模倣絡繰人形マシンナリフィギュア等に情報を移転する事が可能でした。如何なる経路でそうなったのか履歴ログに残されてはいませんが、私のシステムデータがこの女性模倣絡繰人形ガイノイド素体に移行されたと推測致します」


 どうにも、神門は釈然としない何かを感じていた。

 あの怪人達が――特別製とはいえ、機体管制ユニットをわざわざ女性模倣絡繰人形ガイノイドに移行するとは思えない。

 それに、あの時の状況。どう見積もっても――例え、サクヤ自身がネットワーク経由でプログラムデータを移行できたとしても、その転送以上の速度で遺骸の捕食は侵攻していた。酸素を取り入れる産声のように、餓鬼さながらの暴食で。


 謎は残るが、神門は黙考を打ち切った。どのみち未だに敵の砦にいる現状、考えても答えが出るとは思えぬ問いに拘う事は無駄でしかないだろう。


 神門は逡巡しつつも、彼女に手を差し伸べる。

 いざ戦闘になれば年齢に見合わぬライディングでMBを駆る神門が、女性に関してはそれだけでも――かなりの勇気を要した。


「はい」


 挙作で、意図するところを心得た少女は、そっと神門の掌に繊手を重ねる。すらりと伸びた白い指が身震いするほどに優しい流線を描き、その先の薄紅に染まった爪が見せるなめらかな艶かしさたるや……。


 神門が必死に平静を演じながら、芸術的造形美の手を包むように握ると、ちょうど昇降機が到着を告げる音を立てた。


 僅かな音を立てながら開いた昇降機の扉の向こうで出迎えてくれたのは、整然と並んだ戦闘航空機だった。

 乗降用に備え付けられた舷梯タラップ以外は規模を拡大されてはいるものの、自走式駐車場とそう大差ない作りの駐機場で、彼らは白線で区切られた各々の駐機枠で動力を落とされ、眠りの静寂に身を寄せていた。


 扉を抜けると、神門の靴音が耳に痛いほどに響き渡る。それほどに此処は静謐が沈殿した空間だった。


 神門はサクヤの手を引きながら物陰に隠れつつ、ちょうど良い機体を見定めると、舷梯を上る。

 風防キャノピー内部を透かし見ると、思っていた通り、複座式の機体だった。もう一度周囲を確認すると、風防を開き、まずサクヤを前部座席に座らせると、自分も後部座席に滑り込んだ。


 太義タイシー義体公司製の搭乗経験がない機種だったが、ほんの僅かな特殊例を除けば、基本はどの機種もそうそう変わるものではない。座席前方のパネル類の右側に、挿入口を認めると、認識票ドッグタグを挿し込んだ。


 刷新された『ノスフェラトゥ』、第〇六実験機試験部隊と改められた部隊に神門は所属していた。彼の、年齢に見合わぬ卓越したライディングはそこで培われたものだ。

 部隊の特殊性故、搭乗兵器に関してはエクシオル軍においてもかなり優遇措置を受けており、大抵の機体に対して認証をパスできる――はずだったのだが。


 HUDヘッドアップディスプレイに赤く『エラー』の文字が映された。続いて、『あなたの権限ではこの機体の搭乗は許可されていません』と表示される。


 ――なら、別の機体か。


「お待ちになってください」


 即座に結論づけるや否や、腰を浮かせようとした神門を制止する声と共に、HUDヘッドアップディスプレイに投影されたエラーメッセージが解除され、緑色の『認証成功』の文字が現れる。


「これは?」

「認証システムに侵入し、搭乗者情報を誤認させました。機体操縦が可能になりました」


 なるほど。機体管制ユニット・サクヤは、機体に限定されない汎用性を備えているようだ。

 つまるところ――神門の推測に過ぎないが、あの時の機兵とサクヤはそれぞれ独立開発されていたのだろう。前者は新型機兵として、後者は如何な機体にも対応しうる管制AIとして。


 脳内チップによって簡易に機体制御が可能となった時代とはいえ、未だに健康体に半導体を埋め込む事に抵抗を覚える者は、未だに後を絶たない。


複製人クローン人体模倣絡繰人形マシンナリフィギュア被造子デザイナーズチャイルド塵級機械ナノマシン電光空間グリッドスペース惑星破壊兵器プラネットデストロイヤー生物兵器バイオウェポン、脳内チップ、機化ハードブーステッド……。


 旧時代では想像の産物でしかなかった彼らは、創造主に恩恵を与える一方、その倫理観を試しているのか、種々雑多な危険性を孕みつつ世界中で犇めいている。


 中でも、機化処置と脳内チップほど個々人の倫理観を刺激する問題はない。


 もって生まれた脆弱な身体に拘泥するあまり、生物的若しくは機械的強化を否んで、結果、儚く散っていく者など、ボブのように機化された義体処置者サイボーグにとっては嘲笑の的でしかない。

 そして、一方は、健康な身体を――或いは病体であろうとも――使い捨てるように安易に切り刻み、無機物で詰物をする輩に侮蔑の眼を向ける。両者は互いに見えぬ境界線を引き、その意識の版図を水面下で奪い合っている。


 畢竟ひっきょう、星の海を渡り、惑星を股にかけても未だ人類の意識は旧時代から変化していないのだろう。


 そんな人類の意識を二分する境界線だが、趨勢は明らかに機化ハードブーステッドにあった。戦乱、終戦の混乱――替えの効かない、脆きに過ぎる生身の身体など、所詮、泡沫うたかたのように儚いもの。

 生き残るためには、人間の枠を超えた肉体が求められるのは、世の定めだったのかもしれない。


 結局、理想と現実の軋轢に力尽き、自己生存のため、生体部品と別れを告げる者たちが後を絶たない情景だけが残された。


 そんな流れに一石を投じるためか、氷月教授は脳内チップによる情報管制に対抗しうる管制AIの開発を行っていた。その一つの集大成が、神門の前の座席にいる少女――サクヤだった。


 思えば、新型実験機兵との同時運用による試験作戦――に偽装して、神門たちの救出作戦を実行していたのかもしれない。


「機体制御を龍神神門様に譲渡致します。同時にネットワーク経由で当機体を電子的に欺瞞します」


 サイドスティック式操縦桿を握ると、機体操作側特有の僅かな遊びヽヽを感じた。スティックをゆっくりと押し込んでゆき、そのゆとりを越えると緩緩ゆるゆると機体が誘導路をタキシングする。


どうやらステルス性に重きをおいた機体らしく、タキシングの音量にも気を配ってか、このフロアに敵がいない限りは音響的に存在を気づかれる事はないと思われるほどに慎ましい。


「離着陸デッキを開放します」


 システムに介入していたサクヤの声に応じて、誘導路の突き当たりの壁の一部が奥へ倒れていく。途端、侵入してきたビル風に掻き乱された静寂しじまが、鬼哭啾啾とした嘆きの声を上げる。

 壁は床と地続きになるまで倒れこみ、展開した垂直離着陸デッキに機体を乗せると、速やかに離陸プロセスに移る。


 双子の新月に黒く染まった飛海フェイハイ閉鎖型環境都市アーコロジー外殻を直下に、それを越えれば、荒野の面と他都市を結ぶ高架道路の線が、夜闇の彼方まで続いているのが見えた。

 瞬間、光量の低下にを感知したシステムが即座に暗視補正を開始、明るさと共に緑に染まった風景が風防に映し出された。


「脱出する」


 サクヤの精妙な機体管制もあって、無謬の安定性で機体が風を踏む。重力を裏切った機体は大仙楼に張り出した離着陸デッキと袂を分かち、徐々に高度を上げていく。

 充分な高度を確保すると、宙を浮かんでいるとは思えぬほど均衡を保ったまま、不可視の氷原を滑る滑らかさで、神門たちを乗せた暗い灰色の機体は天を翔け、夜闇の彼方へ溶け消えていった。

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