集結

 天空に浮かぶ黒き震狼が〝緑の玉座〟を眼下に据える。その肩に立つ、乗機とは対象的な白い甲冑を纏っている翳は、言わずもがな狼我ランウォである。やはりとでも言おうか、その身を巻き込んだ機械肉食昆虫の疾走の余波など何処吹く風か、白く鈍い艶がある装甲には一片の瑕疵きずさえ視られない。


 彼の千里眼めいた炯眼は、三方向からこの地に眠る〝魔石貴族〟へと迫ってくる勢力を捉えていた。勇者――久遠、ルード、白金からなる〝柱の時代〟の代表者。魔王――ゼクスルク、龍神神門、桃李という流離さすらいの旅人。そして、怪物――殺戮の才能を確固たる己の存在理由レゾンデートルとするジラ・ハドゥ。


 三者三様の思惑を胸に、舞台に役者が揃おうとしている。その行方はまだ誰も知らない。人狼の靡く軍用コートが示すは風の行方。ならば、彼らの運命もまた示す何かがあるのだろうか。或いは、震狼フェンリルのコンテナに収まった銀姿ぎんしの乙女がそうなのかもしれぬ。だが、まだこの舞台は決着をつけるに相応しくなく、物語としても半端にすぎる。


 ――しかし、だ。舞台は此処よりももっと劇的でなければいけない……と思うのは、彼の影響か。


 闇の中にいて、なお太陽の如くに輝く吸血鬼――メルドリッサ・ウォードランの姿が狼我ランウォの脳裏をよぎった。彼の影響を受けるのは、己の出自を鑑みれば得心はできるのだが、しかし容易に受け入れられるかといえば、話は別だ。


 ――まあ、いい。今のところは、ジラ・ハドゥ。ちっぽけなお前の覇道が、宿命という天体の運行を変えられるのか……とくと見せつけてみろ。


 そう、このクワイエットハルディアンという舞台での〝公演〟に於いて、人狼の興味はそこに尽きた。宿命の軛は莫大な質量を持つ妄執で断ち切れるのか、世界という森羅万象のことわりを超越できるのか、そしてその先に何が視えるのか。狼我ランウォ自身が目指す高みの更に先へと駆け登る鳥羽口を見つけるきっかけになれば僥倖、加えて彼自身が多数の同等の存在を喰らって己の肉へと変えてきた手合いだ。ジラが強きを喰らって、元来あるべからざる大番狂わせを起こすところを、己の眼で視てみたい慾求は否定できぬ。


 既に、塵級機械ナノマシンの色に染まった大地より、天を覆った渦巻く暗雲に近い座標から、人狼は下界を睥睨する。宙空へと導かんとする横殴りの風圧にも一切動じぬ狼我ランウォの俯瞰する舞台。戦端はまもなく開かれる。





 〝緑の玉座〟を分け入った彼らを待っていたのは、朽ちた二本の柱だった。濃淡まだらにさざめく枝葉と、伸びるがままに伸びて空をくすぐろうとなおも手を伸ばす草木の中に忘れ去られた門は、石畳の途上になければ気づかなかっただろう。


 大仰な石造りの門が勇者の往く路を見守っていた。かつては鉄扉で遮られていたとみえる石畳も、今や門にへばりついた錆色の残滓が過ぎた時代を惜しむばかりである。流石に、魔石貴族たる〝比翼の魔杖ビルヘイムフル〟が〝緑の玉座〟だけあって、このあたりは定期的に雨さえ降るらしい。外気に晒され続けた門柱には黒い雨だれの跡がしとどに滴っていた。潤沢なアニマが大気に、そして上空まで満たしている証左だ。


 濃い葉叢から木漏れ落ちた光が、淡いとはいえ確かに〝緑の玉座〟を飾る。浮かぶプリズムは大気を刺す鋭さこそないが、虹溜まりとなって緑の静寂しじまに沈殿していた。そう、限定的とはいえ濃い緑が支配する場において、生物の息づく気配が無い。不自然な静謐が包み込む幻想な光景は、これを描いた者が人ならざる者である故か。


「静かすぎやしないか?」


 当然の疑問を口にするルード。彼も、カリアティードや石像機以外の動物を眼にしている故に、これが異常であると察せられたのだ。


「多分、動物とかの類は本能かなにかで退散しているんでしょうね」


 白金が興味なさげにつぶやく。なるほど、この惑星の動物にも生存本能と危険察知能力は備わっているとみえる。


「それよりも、ここが〝聖者の門〟。かつて、ここを通って、〝白き隕石いしの勇者〟叉拏しゃなは魔王討滅の旅をしたと伝えられているわ。この門は勇者と認められた者だけが通行できる――門だったのだけどね」


 既に用を満たしていない、門柱だけがかつてを伝える門。隔世の感がたえないが、久遠もルードも残念ながらそれを惜しむ背景は無い。おそらく、その時代には〝緑の玉座〟を囲むように壁が築かれていたのだろう。崩れ去った壁面だったと思われる平滑な面をもつ瓦礫が、伸びた草に埋没している。歴史的価値はともかくとして、今では観光名所ほどの価値も無いことがこの有様から容易に想像できる。


「まさに朽ちてたってフレーズがぴったり」


 興味なさげにつぶやく久遠に、ルードは内心で頷いた。


「嘆かわしいと言えばいいのか、なんと言えばいいのか……。とにかく、このみちの先が〝比翼の魔杖ビルヘイムフル〟の座所よ」

みちって――これが?」


 眼前で石畳が途切れ、あとは獣道とさえ言えぬような鬱蒼とした木々の群れが見下ろしているばかりだ。鼻には先程から植物由来の青臭い匂いがこびり着いている。


「……これよ。一応、勇者がここに来たという足跡という意味でも、ここから〝緑の玉座〟に入ることは重要な意味を持つわ」

「どんな意味よ……」


 ため息をついた久遠に、茶化す色なく真剣味を帯びた視線を向ける白金。


「異端としてのシメールが魔石貴族を斃したところで、シメール達の立場は決して改善されない。けれども、勇者としてシメールが魔石貴族を斃したらどうなると思う?」

「どういうこと?」


 久遠の疑問は何故異端シメールを虐げる立場にあった白金が、いまさら彼女らの境遇に心を砕くような真似をするのかを問うていたのだろうが、齎された返答は異なっていた。


「こういう儀礼的なことも多少の意味はあるってこと」


 投げかけられた問いの意味に気づいていないはずはないだろうが、〝所長〟と呼ばれていたカリアティードはこれ以上応える気はないらしく、口を閉ざして歩を進め始めると、行く手を阻む藪を鉈で斬り始める。舞う彼女を彩るが如き、白銀の流線はその優雅さとは裏腹に、枝葉の抵抗を許さずに障害を断っていく。


「……どういうつもりよ」


 小さく口の中で転がせたつぶやきがルードの耳に届く。自分に問いかけられたものではない。自問自答の問いだった。





 風の唸りが装甲板を介して耳に届く。安寧を破られた大気の絶叫は、不可視の存在に己を刻むような感覚があり、妙に心地よい。蒼き肉食昆虫は弌陣の疾風かぜとなって、砂塵を蹴散らして街の中心地たるオアシスへと接近していた。


 なんの邪魔も無いのは既に避難が完了しているからだが、ジラ・ハドゥにとっては少々物足りない。めくるめく素晴らしい闘争への前哨――ウォーミングアップを愉しみたかったのだが、人っ子一人姿を見せぬ街路では抵抗者との遊戯たたかいや非戦闘員への戯れさつりくもできぬ。


 ――なら、いいや。いきなりメインディッシュでもね。


 金髪の悪魔の申し子デザイナーズ・チャイルドは高揚に熱くなる身体を更にいきり立たせる。前菜が主菜の味を引き立てるのも道理だが、空腹が何よりの香辛料となるのもまた道理。あえて、この空腹のまま、龍神神門というメインディッシュを平らげるのも――下手な前菜で腹を満たすよりは悪い話ではなのやもしれぬ。


 轟々たる大気の唄に耳を傾けつつ、造られた少年は歪んだ笑みを浮かべる。装甲板に遮られた獰悪な笑顔を眼にする者は誰もいないが、その裏に潜む梟悪なる気配を感じ取る者がいなかったのは僥倖だった。市井の人々が恐れ慄くほどの気配は絶対強者として生まれ落ちた者の――総てが己に傅き、総てが己を奉り、総てが己の獲物と視ている傲慢さが由来している。この気配にあてられたなら、膝をついた途端、オドナータに撥ねられ、或いは轢かれて、宙空と蒼い甲冑に血のドリップペインティングを施すことになっていただろう。


 求めるべきは強さ、求めるべきは高み……。その慾求自体は一途で純粋なのだろうが、彼の生き様がそれを否定する。虐殺こそ誉れ、闘争こそ華……。己の手を必要以上に血に染める修羅道、そして更に先。闘争のてに希求するものが待つと、誇大妄想狂メガロマニアは他者の生命を奪い続ける。そう、誇大妄想だ。しかし、常識を逸脱する者の資格があるとするならば、それは〝狂人〟。そのベクトルは様々であろうとも、総てを逸しようとするならば、すべからく狂人たらねばならぬ。


 ――今度こそ、今度こそ、仕留めてやる!


 本人以外には誰の耳にも届かぬ哄笑は、まさしく妄執という狂気の産物。生まれながらの化生の姿がそこにあった。


 速度を落とさずに〝緑の玉座〟へと入ったオドナータは右腕の爪牙クロウバイトを振るう。光を湛えた爪牙クロウバイトの噛筋力と光熱が、木々を灼きえぐっていく。生じた熱は炎上をも通り越し、もはや触れたものを灼き焦がしていた。強烈な顎の力は逞しい樹幹ですら噛み砕き、灼熱と混じり合って灰燼へと変えて、宙空へ放逐していく。


 この兇悪な肉食昆虫と呃逆あくぎゃくの天才ならば、龍神神門のMBなど赤子の手を捻るが如くに屠られる。強靭、堅牢、俊敏、重量、反応――あらゆるステータスが他のMBを過去の遺物へと追いやるオドナータの性能と、悪辣、冷酷、技術、精神、妄執――戦いにおける精神性と技倆が常人を大きく上回るジラ・ハドゥ。勝てる道理などありはしない。立っている領域が違う、視ている地平が違う、求める標高が違う。多少腕が立とうとも、所詮は生身ニュートラルボディの儚い存在。生来の強者にとっては獲物にすらならぬ相手に過ぎぬ。


 爪牙クロウバイトから木漏れるメイサー光が軌道を辿り、オドナータを衣裳ドレスのように飾る。仄明るい光の軌跡は幻想的ですらあったが、その正体は触れた途端に肉と魂を奪う熾火だ。身から吹き出す殺意の嵩と熱を上げつつ、ジラ・ハドゥとその愛車オドナータは戦場へと疾駆する。最高潮のボルテージで、宿敵と見定めた者の生命を奪わんがために。

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