章之弐

降下

「こちらルード、降下開始する。OK?」

「了解した。こちらも開始する」


 真空の宇宙空間の底の中心には渦巻く灰色の中心がある。惑星イラストリアス4の自転速度に合わせて、相対的に停止した宇宙艇から伸びるケーブルに貼り付いているEMP’s。大斑点の中心に向けて、ゆっくりと重力の底へと向かっていく。焦りは禁物だ。大気圏は言うに及ばず、この惑星には塵級機械雲ナノマシン・クラウドが存在する。相当の速度に反応し、その物体を解体せしめるという暴喰の雲を前に、惑星潜りサルベージャーが挑む。


 決して速度を上げすぎぬよう、ケーブルの伸長速度を調整していく。脳内チップが見せる、虚構のウィンドウに表示された情報によると、彼らの降下に塵級機械雲ナノマシン・クラウドは無関心を決め込んでいるようだが、決して油断はできない。何しろ、塵級機械雲ナノマシン・クラウドがどれほどの速度で、どれほどの質量で、どれほどの深度で――或いは、様々な要素を複合してか――獲物に呀をかけるのが定かではないのだ。


 現在、ほぼ無風。なるほど、確かに大斑点は惑星を覆い尽くす灰の大渦のらしく、降下には最適な凪の静寂に包まれていた。


 次第次第に灰色の靄に包まれて、視界が曖昧模糊となっていく。一面が灰色に埋め尽くされる、灰の暗幕グレイ・アウト塵級機械ナノマシンの雲海を潜行するEMP’sはさしずめ、深海潜水服か。目視が用を成さぬ以上、EMP’s外部に備わった観測機からの情報を当てにするしかない。ウィンドウが示す環境状況を逐次睨みつつ、ルードは慎重に降下速度を調整する。


「? 足元に反応?」


 まだ地表は遠いはずだが、足元に何らかの物体を検知した。それも、EMP’sの規模からすると、かなり広大な面積を誇る……。訝しく感じながらも、より一層降下速度を落としていくと、雲海の底が見えた。広大な円盤状の建造物だ。その天面に観測機が反応したのだろう。


「なんだ、これ?」


 着地、続けて神門の乗るEMP’sとコンテナも着地した。設計上、此の程度の負荷は織り込み済みらしく、微苦びくともしない。表面は艶めいた白。相当の歳月を耐えてきたとは思えぬほどに、蒼然たる趣きはは見られなかった。そう、まるで適切な管理が行われているかのような、得も言われぬ不自然、違和を感じざるを得ないのだ……。


『軌道エレベーター……?』


 先程まで息遣いのみを存在の証としていた神門のつぶやきをマイクが拾った。

 そう、軌道エレベーターに似ているのだ。無重力とは言わないまでも、重力の支配が弱いここならば、宇宙艇発着場としての役割は充分たせただろう。


「軌道エレベーターなら、何処かに入り口があるはずだけど……無いかなぁ」


 仮に、これが宇宙港の機能を兼ねた軌道エレベーターならば、内部へと通ずる扉などがあって然るべきなのだが、もともと存在しないのか巧妙に隠されているか、見つけることはできなかった。むしろ、真珠に似た光沢が疵一つなく広がり、塵級機械雲ナノマシン・クラウドの海までを無謬の平坦で満たしている。


 ――本当に軌道エレベーターなら、ラクできたかもしれないな。


 少々落胆するも、しかしルードも本気で思ってのことではない。この建築物はそもそも先進文明の遺産である。機能や目的さえ定かではない建築物に不用意に侵入する愚を避けるのが、賢人の行いである。


「よし、この機動エレベーター――って言ってもいいのかな? まあ、いいや――の端を超えたところまでケーブルを移動させて、そこから降下再開しよう」


 下手に接近しすぎては、不意の風に煽られて建築物に衝突もあり得る。特に、この高度にまで達する超高層建築物ともなれば、EMP’sなどひとたまりもあるまい。


 慎重に大渦のと巨大建築物との距離を測りつつ、降下を再開する。灰色の雲の中でうっすらと黒くヽヽ映る白い塔は、幾星霜もの風月を耐え忍んでそびえてきた威厳のようなものが確かにあった。周囲に漂う塵級機械ナノマシンにも我関せずといった様子は、むしろ暴喰の灰色を統べる存在であるかのようで……。


 灰色の世界では他に映るものもなく、しかしつぶさに見つめるには曖昧な塔の翳。ある程度のデータも出来上がり、降下作業も半自動状態となり、ルードは退屈しのぎ程度にEMP’sの観測機を塔へと向ける。観測機がよこした情報を元に、脳内チップが修正を施した映像がウィンドウに表示された。


 平坦だった天面とは裏腹に、塔は無機質な滑らかさではなく、何らかの凹凸が散見できる。意図をもってのものだろうそれらは、旧い遺蹟特有の像にも思えた。先進文明が残した遺蹟――現状の銀河人類でも明確にその意味を知れるものは少ない。それを探るのは学者の仕事であり、少なくとも惑星潜りサルベージャーであるルードではない。適材適所という言葉を胸に秘めつつ、彼は降下状況を確認する。


 ゆったりとした牛歩ながらも確実な潜降は、いつしか塵級機械雲ナノマシン・クラウドの海の底へと達しようとしていた。


「……見えてきた」


 灰色の、塵級機械ナノマシンの雲が靄となり霞となり、地表が朧気ながらも姿を顕していく。


「…………海の底にある龍宮城を見た浦島太郎も、こんな気持だったのかな……」


 狐につままれたようなルードが益体もない言葉をこぼすのもむべなるかな。


 塵級機械ナノマシンの沃野と化した、雲と同じ灰色か鈍色の大地を想像していたのだが、実際はテラフォーミングした植民惑星と同様の茶と緑がまだらに染まった地表だったのだ。


 大気構成――EMP’sの加護なしでもなんら問題ない……呼吸可能な大気。病原体などの類も、出発前に投与したワクチンで無効化できるものばかりだ。まるで、人類に誂えたような環境――例えるなら、いつか人類がこの惑星にヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ上陸することを見越していたかのようなヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ


 いや、そんなはずはない。そもそも、この惑星は銀河人類が認知していなかった惑星である。テラフォーミングが行われたとして、一体誰がそれを施すというのだ。


 心中の自問に明確な答えを出せぬまま、ルードのEMP’sは惑星イラストリアス4の地を踏む。続けて、神門の乗るEMP’sの脚も未開惑星の土に触れた。周囲には風の奏でる仄かな響鳴の他には何も聴こえない。大斑点の中心に据えられていた巨大な塔が平野に根を下ろし、向こう側には建物が――恐らく廃墟だろう――街の規模で立ち並んでいた。


「……とりあえず、この塔の中をちょっと見てみようか」


 ルードの好奇心を刺激させる謎の塔。その壁面の一部――規模からすると、本当に一欠片といった程度の口を開けた部分が、彼には手招きして自分を呼んでいるように思えた。


「……好きにすればいい」


 ぶっきらぼうな物言いの神門だが、この数日間で何も気分を害してのものではないことはルードも理解していた。


「じゃあ、ちょっとだけ……」


 惑星潜りサルベージャーが塔へと意気揚々と駆け出すのを、神門は嘆息しながら追従する。ふと、振り返って、中に自分の武器ヽヽを詰めたコンテナを見つめる。できれば、まだケーブルを外していないコンテナに眠る機械兵を目覚めさせてから塔に向かいたいものだが、すでにルードはEMP’sのホバースラスターを使って、かなり先を行っている。コンテナ取り外しを行って乗り込む頃には、とっくに塔内部へと入っていることだろう。


 もう一度深くため息をついて、神門はコンテナのケーブル解除プログラムを走らせつつ、ルードを追った。何かあれば即座に撤退する……必要なら、そのときには起動可能状態になっているであろう機械兵に乗り込んで、ルードをなんとかトレジャー号まで逃がす――そう、心に誓いながら。

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