月の瞳に映らぬ夜明けの簒奪者は、孤独な星を想う

 砂漠の惑星において、ここは天上の楽園と呼べるほどに樹木と水に満ち満ちた空間だった。新設された王宮の屋上に備えられた空中庭園。迷路のように配置された立ち木は、幼い子供にとっては恰好の遊び場だろう。実際には、毎日職人が手がけている庭園だが、その頃のオリヴェイラにとっては自分だけの秘密の楽園であった。ここには、無能と蔑む人の眼も、王族というフィルターのかかった視線も、何も無い。


 ひとしきり駆け回り、眩い太陽を避けて木陰に入る。そもそも、何故駆け回っていたのかは自分でもよく分からない。ここにいるという事実が高揚感をもたらしていたのだろうか。何にせよ、今の彼にはそれを詳細に分析できる聡明さは無かった。


「オリヴェイラ!」


 一人の庭園の典雅をかき乱す声。声の主は父だ。幼い彼でも、父が王国でも有数の賢君として名を馳せている事実は聞き及んでいる。尊敬に値する人物である事は疑いの余地はないが、それでもこの庭園に入り込まれるのはいい気分ではなかった。迷路のような木立をすり抜けて、父が木陰で休むオリヴェイラへと近づいてくる。少し不機嫌そうな息子の表情を読み取ったのか、そんな子供らしい一面に父は少しだけだが顔をほころばせた。


「私は今から公務があってな。お前にこちらのお嬢さんをエスコートしてもらいたいのだが……」


 エスコート。客人をエスコートするのは一流のオトナの証だ。我慢しようとしても、満面の笑みが顔面の筋肉をゆるませようとする。必死に耐えているが、自分でも口が歪んでいるのが判る。


「はい! お任せください!」


 巧みに息子の自尊心をくすぐった父の老獪さに、二つ返事で応えた幼い子は気がつく様子もない。


「じゃあ、紹介しよう。ほら――」


 父が一歩身を退くと、彼の影に隠れるように後ろに控えていた、同じくらいの年頃の女の子が姿を顕した。


 外惑星の人だろう。褐色の肌が多いバラージの民と異なって、砂漠の砂のように白い肌膚きふが眩しく映った。白い薄手のワンピースは砂漠へと出るのならば無防備極まりないが、この王都にあっては少女らしい清楚さが際立っている。麦わら帽から覗く、栗色の髪が太陽を反射して複雑なきらめきを灯し出す。


「こちらは、アリアステラさん……。父さんの仕事相手のお嬢さんだ」


 内気な質なのだろう。麦わら帽の下から青い瞳を覗かせた少女は、躊躇いがちに頭を下げた。


「アリア……ステラ、と申します」

「よろしく」


 王族としてはあるまじき行為ではあるが、オリヴェイラは気恥ずかしさから頭をかきながら、頭を下げた。如何せん、同年代となるとサダルやカウスといった男友達しかいなかったオリヴェイラにとって、同じ年頃の女の子など、ウチュウジン――実際に、バラージ人から見れば宇宙人ではあるのだが――のように不可思議な存在だ。


「それでは後はお若い二人にお任せして――」


 顔合わせが済むと、まるでオミアイのナコウドさんのように父は立ち去っていった。


「えぇ~~っと……」


 二人残されて、オリヴェイラは途方に暮れてしまった。エスコートはいいのだが、何をどうしたらエスコートできるのか、という肝心な知識が彼には無かった。


「あの……」

「え?」


 おずおずと、少女――アリアステラが声をかけてきてくれた。見るに見かねたのだろうか。エスコート役を任されておきながら情けない。


「お名前……」

「ああ!」


 言われて気が付いたが、迂闊にも自己紹介をしていなかった。これでは、父に笑われてしまう。何せ、エスコート役を任されたオトナなのだ。しっかりしなくては……。


「ぼ、僕はッ! オリヴェイラ! よろしくッ!」


 粗忽さとそこから来る恥ずかしさで、舌がうまく回らずに声が上ずってしまった。どこまでも恰好がつかない自分に少し拗ねそうだ。


「くすくす……」


 そんな様子がよほどおかしかったのか、アリアステラは口を抑えて笑っている。


「それじゃあ……オリヴィーくんだね」


 ああ、そうだ。『オリヴィー』と初めて呼んでくれたのは、彼女だったのだ。今までその事実を忘れていたとは、相変わらず自分はあの頃から変わらずに迂闊だ。ふと気がつくと、彼らを俯瞰して見ている今の自分に視点が映っていた。思えば、この時が初恋の頃の始まりだったのだろう。


 そして――。アリアステラ。貴女きみをキルシュタインの物にさせてなるものか。


 結局のところ、大層なお題目を揃えてはいたが、この少女の未来をキルシュタインに委ねるなど許せない。それで、自分は王を目指しているのだ。無論、民や国がどうでもいいという事ではない。しかし、ここが王座を求める起源なのだ。


 これから俺につき従う事になるみんなへ。どうか、許して欲しい。これから先、この事はおくびにも出さないから、一人の少女を理由として王座につこうとする馬鹿でちっぽけで弱い男を、どうか許して欲しい。


 過日を描いた世界が遠くなっていく。あの日のアリアステラの笑みも遠くなっていく。意識が現世の水面へと浮上していく感覚に、オリヴェイラはどうかこの夢が続きますようにと願っていた。




 遠雷のような歓声が耳朶を打つ。先王殺害の犯人として、キルシュタインは裁判を待たずに国家反逆罪とされ、オリヴェイラ王子に粛清された。キルシュタインの国家反逆罪を明らかにしたオリヴェイラ王子は、議会の決により、本日、バラージ王国第二八代国王として王座に就く。権能を持たぬ国王の是非について、連日、王国のマスメディアははやし立てていたのだが、第二七代国王にして稀代の王位簒奪者キルシュタインを自ら討ち取った勇敢さをかわれ、議会でこれを是としたのだった。


 まさに、アラカム翁の脚本シナリオ――いや、今日から先々代に当たるヴァレンタイン二世国王が書いた脚本シナリオをなぞった展開といえる。もしかすると、十年後も議員の席にいるだろう有力議員に、働きかけていたのかもしれないが、真相は闇の中だ。


 この日のために建設されたステージが戴冠式の舞台だ。王位奪還の立役者たちが並んだ椅子に座って、式の進行を見つめている。サダルメリク、カウスメディア、アラカムとその妻……。だが、椅子は一つ空席になっている。


 龍神神門――。彼は、事件が終わると置き手紙を残して姿を消していた。それも簡潔に『楽しかった。また会おう』とだけ書かれているのみだ。心のどこかで、オリヴェイラはいつか彼が旅立つ事を予感していた。ただ、彼は王国で成す事があり、それを果たしたからこそ旅立ったのだと。そして、今も何処かの天宙そらの下で旅を続けているのだろう。そう、考えていた。


 結局、最後まで謎だらけの男だった。もしかすると、彼は歴史の変換期にくさびを打ち込んで、流れを変えていく者なのかもしれない。銀河から睥睨すれば小さな変化だが、無権能者の国王が誕生するなど、以前では考えられない事件だ。神門自身は、そんな事は些事程度にしか考えないだろうが。そんな益体もない考えが浮かぶ。しかも、オリヴェイラ自身、その考えがあながち間違いではないのでは、とまで思っている。


 そして、アリアステラ――。彼女は、キルシュタインの婚約者として王宮で客人として滞在していたはずなのだが、あの事件の直前から姿が無かったという。痕跡すら無くした彼女は、はたして夢か幻の産物だったのだろうか……。いや、キルシュタインを斃した時に、微かな意識の中で倒れるオリヴェイラを抱えてくれた、栗色の髪の持ち主――。夢幻ではなかったと断言できる。


 いずれ、また何処かで会える――と思うのは、楽観的な考えだろうか。いや、オリヴェイラはそうは思わない。生きている限り、そして死した後でもえにしは絶えないのだから。そう思えるようになったのは、死してなお息づいていた父の意志故からだった。夢に見るまで忘れていた父の顔……。だが、彼の意志が築いたみち、彼が遺したえにしに導かれて、今日、オリヴェイラはここにいる。


「第二八代国王オリヴェイラ、ここに――」


 代々の王位の変遷を立ち会ってきたマルディアール教が、戴冠式を執り行うのが慣習だ。当代の法王の声に従い、オリヴェイラは舞台で一段高く備え付けられた戴冠台へと上り、民へと片膝を立ててこうべを垂れる。バラージ王国での戴冠の際は、『王の主は民である』という教えから次期王は民に向かって跪く。オリヴェイラの頭に法王が、国王の証たる白いズリーバンを巻いていく。


 ここに――バラージ王国第二八代国王が産声を上げた。

 一際大きな歓声が王都を包み込んだ。


 これから先、彼に待ち受けるのは明るい未来だけではないのかもしれない。暗君として歴史に名を刻む事になるやもしれぬ。だが、今日この日だけは……新たな国王の誕生に祝福を――。




 とある惑星の軌道エレベーター。天上を貫くエレベーターの先には、航宙挺が羽を休める宇宙ステーションがある。太陽の光を浴びた道エレベーターとステーションの姿は、大気が無い故に幽玄な絵画のようだ。


 その待合室には、人類の作り上げた情報網ネットワークシステムから届けられた、銀河人類の宇宙における版図内のニュースが表示されている。空間に表示されたモニターからは、銀河人類の近似種とされる惑星バラージでの戴冠式の様子が映っていた。白いズリーバンを巻かれた若き王。褐色の肌とくせのある髪が如何にも砂漠の民といった風貌の新たな国王の姿は、あどけなさもあったが、それ以上に凛々しかった。


 そのニュースを見つめていた栗色の髪の少女は、微かな笑みを浮かべていた。主との待ち合わせまで十数分ある。その間に、昔日の思い出に浸るのも良いのではないか。彼女は、今は遠くなった初めての、そして唯一のオトコノコの友人との過日に想いを馳せた。

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