朝露

 オリヴェイラは色境に映された見知らぬ風景に、数秒とはいえ思考を奪われていた。


「あれ?」


 覚醒と同時に脳の最適化が行われ、次第に昨日の出来事が脳裏に蘇った。


「ああ、そっか」


 傍で横たわっていた神門の姿がなく、奥のベッドを見やればアラカムはまだ深い眠りの中らしい。


 自分の身体に目を向けると疲れはあったが、ふとした拍子で目覚めたのだろう。再び眠りについてもよかったのだが、なんとなく外の空気を吸いたくなりオリヴェイラは立ち上がった。


 扉を開けると、ひやんと頬を撫でる大気が心地いい。足元の草や家壁に貼り付いた苔が、朝露の衣を羽織っている。水底から輝く地底湖の翠の風が辺りを照らす。朝の空気がそうさせるのか、紗がかかったような景色は窓を通して見やれば額に飾られた絵画の如く、現実感が乏しかった。


 神秘的とさえ言える景色の下、鳥の鳴く声に混じって風が朝の大気よりなお冷たい刃金はがねに鳴く。風の響声こえの正体は秋津刀の一閃が奏でる、鉄と大気の逢瀬だ。鞘から鋭く研ぎ澄まされた刀身が振るわれる度に、刃筋に絡んだ空気がひゅうっと鳴く。


 秋津刀の奏者は神門だった。とりわけ目を奪われたのはその技だ。権能を持たぬ身からは、ここまで技術というものが磨かれるものなのか。サダルメリク自身も認めていたが、これに比べれば彼の剣技は剣技にあらず。経験と勘を頼りに、大剣を振り回しているだけだ。

 尤も、サダルメリクの場合、その膂力りょりょくと権能に裏打ちされた強さがあり、神門の技と比較する事自体が間違っているのかもしれないが。


「――シュゥ!」


 神門が浅く呼気を放つと、またも、秋津刀が朝の微細な水気をはらんだ大気を鳴らす。秋津刀の輝きが大気を一層冷ややかなものに錯覚させる。


「起きたのか?」


 いつから気がついていたのか。納刀し、数拍を置いて抜きざまに大気を斬りながら、神門はオリヴェイラに話しかける。


「ああ」


 真剣に刀を振っていた様子に声をかけるのが躊躇われたオリヴェイラにとっては、それはちょうどよい挨拶だった。緊張の糸を解いた神門に、多少の安堵を含んだ返事で応えた。


「それ、確か”イアイ”ってやつだよな?」

「ああ」


 応えると同時に、神門は大気を薙いだ。残心。止めを刺した相手への警戒に、身体を即行動に移るために切ったヽヽヽ体勢は、それ故に静謐だ。その凍った姿勢に固定された切っ先は妖気すら感じる鋭さで、自らの動きで斬られた大気が耳鳴りのように音をてているような錯覚すら覚える。


「俺も訓練させてもらっていいか?」


 オリヴェイラは腰の後ろに二振りのバナイブスを携帯している。その剣帯を指さすオリヴェイラに神門は「好きにしろ」とだけ言うと刀を納めた。

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