其ノ十一 丁字屋歯磨

 安子様と御吟味方ごぎんみがたの面々が、窺書うかがいしょ(アンケート)の御開票作業にいそしんでいらっしゃったのと同じ時分、いつはん(午後九時)過ぎの事に御座います。


 安子様のお屋敷の寝室では、安子様が御出立ごしゅったつされた時にはすでにお休みになって居られた花子様の右横の御布団に、晩酌が終わった御夫君ごふくんが、大きないびきをお掻きになりながら、ぐっすりと眠りについておられました。


 太郎君たろうぎみは、居間の円卓の上に、安子様が並べて置かれた三本の房楊枝ふさようじ(歯ブラシ)が、三本とも使われずにそのままになって居るのをご覧になりました。


「ああ、お父様も花子も、歯を磨かないで眠ってしまわれた。お母様があれほど念押ししてお出掛けになったのに。」


 そうひとりごちると、三本のうち一本の房楊枝ふさようじをお取りになり、行灯あんどんの灯りを頼りにお勝手の流しの所へ行って、「丁字屋歯磨ちょうじやはみがき」と書かれた袋から房楊枝ふさようじに歯磨き粉をつけ、その房楊枝ふさようじを御自分のお口に含まれると、大人用の歯磨き粉の辛さに時折眉をひそめながらも、七つのお子の小さなお手で、いつも安子様が仰っている通りのやり方で、一生懸命歯を磨かれたので御座います。


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