其ノ十七 筆蹟(て)

 重き三役のお役目がようやっと決まりましたところで、残りは御右筆ごゆうひつ(書記)と勘定方かんじょうがた(会計)、おのおの一方ひとかたを残すのみとなりました。


「どなたか、名乗り出て頂けるお方はございませぬか?」

 荻野おぎの様の呼びかけに、皆様また例の沈黙でお応えするうち、四半刻しはんとき(約30分)ほど過ぎた頃合いにございましょうか。


「あ、そなた……。」


 気配をなるべく消して居られた安子様で御座いましたが、沈黙をいとわれたおでん方様かたさまが辺りを見廻しました処、まるで鷹が獲物を捉えた様なまなざしで、その白いおまゆがぴくりと上下致しました。おでん方様かたさまは、後方のにて安子様が先程め書き(メモ)されておりました懐紙かいしに御目を止め、安子様に声をお掛けになられました。


「そなた、なかなか良い文字をお書きになるではないか。」

 おでん方様かたさまがお褒めになると、

「え、いいえ、めっそうもない事にござります。」


 安子様は謙遜なさっておでん方様かたさまにそう申し上げましたが、実を申せば、武家のおなごのたしなみとして、筆使いには覚えがないではなく、懐紙かいしに細筆でさりげなく物された崩し文字は、なかなかに流麗で、大変見よい御筆蹟にござりました。



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