其ノ二十二 魔物

 常磐井ときわい様は、右手は花子様のお手を取り、左手は、まさに今煮えくり返らんとするはらわたを帯の上からぐいと押さえつつ、努めて目を閉じ一つ深く呼吸をなされると、その御心にご自身のお二人の可愛いお子様方の、屈託のない笑顔を思い浮かべられました。


 そうだ、子供らの笑顔を守るためならば、母はこれしきのこと、耐えられぬ筈はない。常磐井ときわい様はそう思い直すと、御心とは真反対の、あらんかぎりの笑顔をお作りになり、こう仰りました。


わたくしに是非、勘定方かんじょうがた(会計)のお勤めを果たさせてくださいませ。皆様と一年ひととせ奥勤めが叶うなら、これほど光栄な事は御座りませぬ。至らぬ処多きわたくしに御座いますが、どうぞ宜しゅうお願い申し上げまする。」


 常磐井ときわい様はこう仰ると、おでん方様かたさま(取締とりしまり、委員長)、大典侍おおすけ様(取締御後見とりしまりごこうけん、副委員長)、おとみ様(同じく取締御後見とりしまりごこうけん、副委員長)、大奥(PTA)御吟味方ごぎんみがた(選出委員)の新三役に向かって、深々とお辞儀をされました。


 常磐井ときわい様はもとより、此度こたびはお役を引き受けるおつもりは無かった筈で御座いますのに、人をして御心と真逆の事を思わず口に出させてしまう、まこと大奥(PTA)と言う処には、得体の知れぬ魔物が棲んでおいでなのでしょうか。


 御三方おさんかたが黙って頷かれるのを見届けると、常磐井ときわい様は花子様の小さき御手を握りしめ、

「さあ、参りましょう。お母様はあちらですよ。」

 と仰り、そそくさと御広座敷おひろざしき(多目的室)を後にされました。


 残された他のご一同は、呆気あっけに取られ静まり返っておりました。


 そこへ、大典侍おおすけ様の筥迫はこせこの、銀の房の鳴る音のみが、じゃらりと不気味に響き渡ったので御座います。



第三章へ続く

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