其ノ八 酒盗

 奥方様の屋敷から戻られますと、安子様は早速夕餉ゆうげ支度したくに取り掛かられます。


 本日、安子様は帰り際にお寄りになった御豆腐屋で、揚げたての飛竜頭ひりゅうずと、魚屋では初鰹の酒盗しゅとう(肝の塩辛)を手に入れられました。安子様は、これはお酒のお好きな旦那様の晩酌にはもってこい、きっとお喜びになられることでしょう、とかまどに火を入れ米を炊き始め、朝から戻して置いた切干し大根などを具に、汁物でも作ろうかと忙しくくりやで立ち働いておいででした。


 むっはん(午後7時)を回りました頃、ご夫君ふくんがお戻りになり食卓に着かれると、安子様はすずのちろりでよい塩梅あんばいに、ご夫君ふくん好みのぬるかんをお付けになられます。ご夫君ふくんは卓上に好物の鰹の酒盗しゅとうをお見つけになると、珍しくご機嫌で晩酌を始められました。


 太郎君たろうぎみは男の子らしく揚げ物には目が無いようで、まっ先に飛竜頭ひりゅうずに箸を付けられます。

「これ、太郎、まずは頂きますをしてからでしょう?」


 安子様はそう仰りながらも、まずは皆、さいがお気に召したようで何より、さて、お小さい花子にはもう少し柔らかいものをご用意致しましょうか、とお思いになり、またくりやに向かおうとした矢先に、ご夫君ふくんが安子様にお声をお掛けになりました。


「ときに安子、本日はお袋様ふくろさまはどのような御様子であった?」

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