其ノ九 御犬

 ご夫君ふくんのご質問に、安子様は一瞬身の固まる思いで御座いました。何処から何処までお話しすれば良いのか迷われた安子様でしたが、ようやっと口をお開きになりました。


「お義母かあ様……。確かに御息災ごそくさいでいらして、花子も私も本日は大変良くしていただきました。ただ……。」


「ただ?」


御犬おいぬを……。旦那様はお小さい頃、竹丸たけまると言う黒犬くろいぬをお飼いでは御座いませんでしたか?」


 急に御犬おいぬの話になり、少し戸惑ったご様子のご夫君ふくんでございましたが、

「ああ、確かに。その様な御犬おいぬを飼っておったことが有る。しかしもう廿年にじゅうねん以上も前の事だ。悪戯者いたずらものだが可愛い奴であったが、その竹丸たけまる如何いかがした?」


 安子様は意を決した様に、言葉をお継ぎになられます。

「それが……。お義母かあ様がその、昔飼っていた御犬おいぬを、まるで今飼っていらっしゃるかの様に、お話しになられるのです。」


 ご夫君ふくんさかずきを持つ手を止めて眉をひそめ、お顔を曇らせになりました。

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