其ノ二十三 顔色

「太郎……。よく御無事で。」


 御自宅の方角にのぼった煙を目になさり、川原からここまで、不安なお気持ちのまま無我夢中で駆け抜けて来られたここのつき身重みおもの安子様は、この時息は途切れ途切れで、顔色は青ざめ、唇も葵色あおいいろになって血の気が引いたお顔でいらっしゃいましたが、太郎君たろうぎみの可愛らしいお顔をご覧になられると、ほんのひと時、お顔に気色けしきが戻られました。


「お母様、申し訳有りません。私が手燭てしょくを薪の上に。」

 太郎君たろうぎみがそこまで言うと安子様は、

「分かりました。それは良いから、その手に持って居るたらいの水をここに掛けてちょうだい。」

 と優しく仰り、火元の薪の上に掛けられた濡れた単衣ひとえを指差しました。


 太郎君たろうぎみは、

「はい。」

 とお返事をなさいますと、七つの男子おのこごが持てる精一杯の量の水が張られたたらいの水を、まだ消えそびれてかすかにいぶって居る薪の上に、ざばとお掛けになりました。


「ああ、消えた。やっと。有難う。」


 安子様は消え入るような声でそう仰ると、張り詰めた緊張の糸がぷつりと途切れたかのように、青い顔をしてその場に倒れ込まれたので御座います。



次章に続く

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