其ノ十 拍子木

 その時、かちん、かちんと拍子木ひょうしぎの硬い音がして、自身番屋じしんばんや番太ばんたの火の用心の声が、辺りに響き渡りました。


御用心候ごようじんそうらえ〜、お火元、御用心候ごようじんそうらえ〜。」


「これからの季節は空気が乾燥するからねえ。火元には十分気を付けないとね。ウチの兄貴なんざ、昨今さっこん毎晩の様に二丁目の自身番屋じしんばんや見櫓みやぐらに張り付きでさあ、中々家にも寄り付きゃしないよ。」

 おりんさんのその言葉に頷きながら、常磐井ときわい様がこう仰いました。


「そうでしたね。おりんさんのお兄様は、確かこの街を取り仕切る火消しの組の若頭わかがしらで、歌舞伎役者みたいに大層鯔背いなせな良い男だって評判でしたよね。」


「いやあ、兄だけじゃあなく、組の若い衆は皆んなキップの良い色男揃いでさ。ってまアかく、夜は提灯ちょうちん行灯あんどん手燭てしょくも、ウッカリしてたら火元になっちまうから、くれぐれもご注意を。」

 おりんさんがそう注意を促すと、

「ええ、分かりましたとも。組のかしらのお嬢様!」

 常磐井ときわい様はそう仰って、安子様とお顔を見合わせて笑い合いました。


 その笑い声がお聞こえになったのか、ぎぎぎぎ、と言う大きな音がして、漆喰しっくいの壁に丈夫に埋め込まれた分厚い土戸つちどが開き、中から行灯あんどんの光が漏れ出ると、じゃらりという筥迫はこせこの銀の房の音と共に、御吟味方ごぎんみがた(選出委員)取締御後見とりしまりごこうけん(副会長)の大典侍おおすけ様のお顔が拝見出来ました。


「お約束の暮六くれむはん(午後7時)をとうに過ぎておりますよ。皆様もうお揃いで御座います。」


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