其ノ三 曼珠沙華

 安子様と花子様は、曼珠沙華まんじゅしゃげ真紅しんくに咲き乱れる長月ながつき(9月)の川原を、花子様の歩く速さに合わせて、ゆるりゆるりと進んでいらっしゃいます。一面に曼珠沙華まんじゅしゃげしべと花弁が手を広げている隙間に、猫じゃらしの様なふさふさした狗尾草えのころぐさしなって揺れておりまして、お小さい花子様はそれがどうしても気になって気になって仕方がないご様子で、三歩歩いては房に触れ、二本歩いては房を手折たおりつつ、どうにかこうにか六丁(約600メートル)先の小高い丘の上にある寺子屋が見える所まで辿り着かれました。


 長月(9月)はまだ秋と言うより残暑で、八月やつき身重みおもの安子様にとりましては、息が上がるのは勿論のこと、暑さによるのぼせも有り、膨らみ始めたお腹が、重くおみ足にのし掛かって来るのでございます。


 安子様は寺子屋の山門をくぐられると、左手に有る名もないほこらにいつもの様に御手を合わせられました。ふう、と息を着き、手拭いで額の汗を拭いながら見上げますと、長月(9月)初めの抜けた様な青空に、高い入道雲、そこから覗く昼九ひるここのツ(正午)の太陽が、真上から照り付けておりました。


 安子様は名もないほこらの脇に、古い井戸が有るのを見つけられました。


「ああ、こんな所に井戸が。はあ、この暑さ。ほこらぬし様、清水しみずを一杯頂いても宜しいでしょうか?」

 と、万事ばんじ律儀りちぎなご性格の安子様は、もの言わぬほこらぬし様に一言お断りをされてから、井戸に掛かっていた釣瓶つるべを手に取り、深い井戸底におけを落とされたので御座います。

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