其ノ十五 口喧嘩

 赤鬼あかおに先生のお言葉に、常磐井ときわい様が怒った顔で畳み掛けます。

「あらやだ、おとっつあん、いえ先生。遊技場ゆうぎじょう(パチンコ屋)にはもう行かないと、前にあれほど約束した筈じゃ。」


 赤鬼あかおに先生は、頭をぽりぽり掻いて決まり悪そうにしておいででした。そこへ健太郎君けんたろうぎみが、

「五丁目の三河屋みかわやの隣の、あの遊技場(パチンコ屋)だろ? 俺、サッと行って呼んで来てやらあ。なあに、急患が来た時、しょっちゅう爺ちゃんを呼びに行ってるから、道なら任しときな。着いたら、牧野さまあ、いらっしゃいますかあ!と叫びゃあいいんだろう?」

 と得意げにおっしゃると、流石は鷹匠頭たかしょうがしら(リレーの選手)の健太郎君けんたろうぎみ、羽根の様な軽い足取りで外へ飛び出して行かれました。


「ほんにまあ、御恥ずかしいこと。こんな父ですが、医者としての腕は確かなのですよ。」

 常磐井ときわい様は呆れながら安子様に仰いました。


「こんな父ってなんだい?出戻りに言われたか無いね。一昨年おととしこのおけいが、離縁して息子二人連れて出戻って来ちまってから、口うるさくってしょうがねえや。まあ確かに、仕事は助かっちゃあ居るけどな。」

「出戻りって、ひどいわ。おとっつあん、いえ先生。いらない事ぺちゃくちゃ喋ら無いで下さいよ?」


 口喧嘩はしても、仲の良さが滲み出る常磐井ときわい父娘おやこの会話を微笑ましく聞きながらも、一方で、安子様の心は晴れる事はなく、どんよりしておりました。お子たちを確かに夫に預けたはずが、御病弱で気鬱きうつ気味のお義母かあ様の所にさっさと置いて、ご自分は遊技場(パチンコ屋)で遊び呆けていると? 初島はつしま様や、常磐井ときわい様、赤鬼あかおに先生等、沢山の他所様よそさまに多大な御迷惑をお掛けした上、わたくし自身もここ数刻すうこく、花子の身が心配で心配で、胸が潰れて生きた心地もしなかったのに。幼い太郎なら尚更、深く心を痛めて居るに違いない。


 安子様は深い溜息をつかずにはいられませんでした。


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