其ノ十六 麻疹絵

 しばしの沈黙の後、安子様は診察室に掛けてある一幅いっぷくの絵にお気づきになられました。その絵には、何やら赤い猿の様な人形と、尖った緑の葉、あときねの様な棒が描かれておりました。


「先生、この絵は?」

 と、安子様が赤鬼あかおに先生にお尋ねになると、

「ああ、これね。この絵は麻疹絵ましんえって言って、疫病除えきびょうよけのまじないさ。医者のわしがこんなもんで縁起担ぐのも可笑おかしな話だが、稚児医者ちごいしゃ(小児科医)なんてものを長年やってりゃあ、色んな怖え流行病はやりやまいて来た。

 特に体力の無い子供の命なんてえのは儚いもんでさ。手のほどこしようも無い事も何度も有った。流行病はやりやまいでなくっとも、昔から、『七つ前は神のうち』なんて言ってさ、子供の命ってのは、そりゃあ儚いもんなんだ。ちょっと目を離しただけですぐどっかへ行っちまうし、危ねえ物もそこら中に有る。今日みてえに、食っちゃ行けねえもんを分からねえで口に入れちまったりさ。医者だって、こんなまじない絵でも貼って、縁起の一つも担ぎたくなるってえもんだよ。」


「ああ、それでこの絵を…。」

 安子様は麻疹絵ましんえに描かれた、まるで子供が元気に手を伸ばして居るような形の、丸く赤いさるぼぼ人形と、昔からまじないを書いたり占いに使われるという多羅葉たらようの葉、疫病除えきびょうよけの南天なんてんの木で病を打ち砕くと言う縁起のきねなどに見入っておられました。


 そこへ、

「ただいま戻りました! 牧野様を連れて参りましたよ。」

 と言う、健太郎君けんたろうぎみの元気なお声が診察室中に響き渡りました。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る